という音楽をFMで聞いた。Copperlineはアメリカかカナダの町らしい。銅に関係した町である。歌っているジェームス・テイラー(?)の生まれた町との簡単な紹介があった。
そのとき感じたのは新聞などで人の紹介があるときに、私などとははるかに違った経験とか境遇の人が居られてうらやましく思ったり、気の毒に思ったり、またはそのたくましさに感心したりする。
だが、それは私に関して誰れかが感じる感想でもあるだろうか。人には自分のおかれた環境で育たって行かなければならないところがある。
という音楽をFMで聞いた。Copperlineはアメリカかカナダの町らしい。銅に関係した町である。歌っているジェームス・テイラー(?)の生まれた町との簡単な紹介があった。
そのとき感じたのは新聞などで人の紹介があるときに、私などとははるかに違った経験とか境遇の人が居られてうらやましく思ったり、気の毒に思ったり、またはそのたくましさに感心したりする。
だが、それは私に関して誰れかが感じる感想でもあるだろうか。人には自分のおかれた環境で育たって行かなければならないところがある。
とは「前進」という意味のドイツ語である。vorr"uckenは動詞であるが、それを大文字で初めてVorr"uckenとすると中性名詞となる。ドイツ語では動詞を大文字で始めると中性名詞になる。実は今朝までこのドイツ語を知らなかった。
E 大学の農学部の元教授 M さんが、前進座の「怒る富士」松山公演を成功させる会の代表世話人としてのスピーチで使ったという。「さすがは M 教授は学があるね」と妻と朝食後に話しあった。ということでロベルト・シンチンガー編纂の独和辞典を引いてみたら、赤線のアンダーラインを入れていたので、いつかは文章の中かどこかでお目にかかったことがあったらしい(注)。
ということで妻から前進座の「怒る富士」の公演のことを私のブログで取りあげてねと頼まれてしまった。なかなか抜かりがない妻である。私のブログがなにほどのプロモーションになるかとは思うが、それでも1回分のブログの話題となった。
(注) 自分の辞書にその言葉を引いたときに赤線を入れるというのはもう何十年も前に新聞で読んだ手法だが、これは役立つことは言うまでもない。大体、外国語の単語を一度で覚えるなんてことはないからである。
計算がうまくいかない。ということで明日以降に持ち越しとなった。行列式では共通因数がわかりやすくそれをくくりだすことができて、計算が楽になったのだが、なんだかまだおかしいところがあるらしい。
4次までの場合のヤコビアンの計算は簡単にチェックできた。もっともここまではすでに以前にしてあった、計算のチェックにしかすぎない。
n次元の球の体積を求める以前書いたエッセイの改訂をしている。その中に体積要素の前のヤコビアンの計算がある。今やっている計算は5次の場合だが、やみくもに展開をしていたら、このような計算では共通因数をくくりだすことが行列式の場合には簡単にできることを知った。
もちろん、そのことを知らなかったわけではないのだが、その知識を使ってなかった。面倒な計算なのでどうしようかと思っていたが、それだと少し助かる。行列式ではそのようなところが普通の式よりも形式的にわかりやすい。
した。これは横浜の W 氏のご尽力によるものである。旧制武蔵高校の卒業生である、W 氏はご自分の母校の記念室から武谷さんの資料を手に入れて、私に送ってくださった。
現在では何人かの武谷三男の研究者がおられて、その一人が愛知の N 氏とか東京の Y 氏とかである。私もその中の一人というわけである。また、新しく W 氏が加わった。徳島科学史研究会会長の S さんからメールがあって、 W 氏を紹介された。
この W 氏は台湾のキルーンで小さい時を過ごされた方であり、このキルーンは武谷三男が住んでいた所である。奇しき因縁といわねばならない。
なんて、多重積分の例のようでそんなものに関心をもつことなどまるでなかった。答えのわかっている、多重積分の例が必要かもしれないという事態に至るまでは。そのように考えるようになったのがいつだったかはもう忘れてしまった。
乱数で多重積分をしたことがあるとは、ドイツの大学でルームメイトになった、韓国人の物理学者Kimさんから聞いた。そのときに多重度が多いほどモンテカルロ法での多重積分の精度がよいとのことであった。
それまでに2重積分か3重積分はガウス積分でする必要があったが、数値積分でもモンテカルロ法を使うということはちらっとどこかで聞いたことがあったけれども、自分でやってみたらということはもちろん考えたことがなかった。
1年のドイツ滞在を終えてのことだから1976年よりは後のことだが、当時京都大学の数学の教授であった、山口昌哉さんを工学部の数学の先生たちが集中講義に呼ばれた。その講義のときに話に聞いたのがカオスのことだった。
ところがその話を後になって勉強しても見てもあまりよく理解できなかった。そのときその簡単な2次元写像でてんででたらめな数が得られるという風にその講義で聞いたのだが、それを乱数の発生のさせ方に使ったらというアィディアをもったのはその話を聞いてから、まだ数年後のことである(注)。
工学部の卒論生をようやく持つようになったのはそれからまた数年後だったが、学部の4年生に卒論のテーマを与える必要ができたので、この2次元写像を乱数の発生に使うというアィディアを卒論のテーマに与えた。私があまり真剣でなかったこともあるし、まわりにそういうことに関心をもってくれそうな人もいなかったので卒論はあまりうまくはいかなかった。
そのことはともかく、そのときに乱数の発生ジェネラターとして2次元写像を使うのであれば、それでモンテカルロ積分をやってみたはどうかと思いついた。それが私がn次元の球の体積に関心をもった理由であった。
愛数協(愛媛県数学教育協議会)という数学教育団体の機関誌「研究と実践」にその後3回にわたって球の体積の求め方を述べたことがある。2回目は4次元の球の体積を求めたのではなかったろうか。シリーズの初回は久保亮五『統計力学』(共立出版)の中にあるn次元の球の体積の求め方の説明であった。
そのときにn次元の極座標系を用いていなかったので、3回目はまじめにn次の多重積分をするという話を杉浦光夫『解析入門』(東京大学出版会)の記述を敷衍して述べた。藤原松三郎『微分積分学』(内田老鶴圃)にも計算の詳細があるが、こちらはちょっとまじめには積分をしていないところがあったと思う。
それで、3回目のシリーズにはむしろ藤原さんの計算は久保さんの説明にむしろ近いと書いた。ごく最近だが、スミルノフ『高等数学教程』の微積分のところに多重積分の例として記述があるのを見つけた。これについてもそのうちにその説明を読み解きたいと思っている。
さらに言うと最近の統計力学のテクストである、芦田正巳『統計力学を学ぶ人のために』(オーム社)の付録にも久保さんの導出と同じような記述があるのを知った。
n次元の球の体積を求める方法を調べるなんて、多重積分のアカデミックな例題のようだが、私には単なる例題ではない動機があった。
(注)その後、この研究は私には発展させられなかったが、世界的にはそういう論文が物理の分野にも、また情報工学の分野でも論文が出ている。知っているのはその中の1,2の論文だと思うが。自分の能力のなさを棚上げしていえば、私にはまわりにそういうテーマに関心をもって議論してくれる仲間がなかった。
(2017.10.12付記)ほぼ一年経って、サーキュラー「数学・物理通信」に4回にわたって n 次元の球の体積の求め方についての数学エッセイを書いた。ほぼ、普通に知られている球の体積の求め方はふれたのではなかろうか。もし関心のある方はインターネットで検索をしてみてほしい。
をどうやって導くか。これは新著である、N 先生の『微分方程式』(丸善出版)p.130の脚注にある方針で求めればよいのだが、これを実際に求めてみたくなった。もっとも n 次元のラプラシアンがどこで使われるのかその実例はしらない。
これは以前に3次元の球座標でのラプラシアンをもっともオーソドックスに導こうとしたら、手間が大変だと私が自著『数学散歩』に書いたら、便法があることを N 先生から示唆された。それを私も知らないではなかったが、オーソドックスな方法ではないのではないかと疑っていた。
ところが N 先生はn次元の球座標でのラプラシアンではこの便法の方がむしろオーソドックスなのだとのご意見のようであった。この方法でないとn次元の球座標でのラプラシアンなど導くことができないと。
ご著書を贈って頂いたことへのお礼のメールを出したら、その返事に以前に私の書いたことへの言及があった。それで昨日まず3次元のラプラシアンをチェックしたが、これはもちろん比較的簡単に求められた。つぎに、N 先生にしたがって、n次元の球座標でのラプラシアンを求めてみたいと考えるようになった。
まだ、証明に取りかかってはいないが、しばらく考えてみるつもりである。その形はすでにBatemann Projectの超越関数の本に載っていて、その該当の章をコピーして持っている。これも以前にN 先生から教えてもらっていた。
それとは別だが、n 次元の球座標の表示は一度だけ n 次元の超球の体積を求めるときに使ったことがある。これは杉浦先生の『解析入門』(東大出版会)に載っていたのをチェックしたのである。一昨日だったか、スミルノフの『高等数学教程』のある巻を見ていたら、この n 次元の超球の体積を求めてあった。杉浦先生の導出に似ているが、それでも独自性もありそうなのでそれの解読もしてみたい。
しばらく放心状態であったが、すこしづつ気持ちがもどってきている。
(2018.1.8付記)表題の「n次元の球座標でのラプラシアン」についてのエッセイは「数学・物理通信」7巻9号に掲載した。インターネットで、たとえば、googleで「数学・物理通信」と検索すれば、名古屋大学の谷村さんのサイトにリンクされてバックナンバーがあり、そこで見ることができる。N先生、すなわち、京都大学名誉教授の中西 襄先生のアイディアに従って具体的に計算をしたものである。功績があるとすれば、中西先生であり、私は単にそのアディアにしたがって手を動かしてみたにすぎない。
とは先日も書いたかもしれない。反応がおそいのだ。メモリの容量が少なくなっているのかもしれないと思って不要なメールを削除して見たりしたが、どうもよくない。
それでしかたなくバックアップのファイルを削除することにした。実は何がバックアップされているのはわからないのだ。文書ファイルは大抵USBのメモリに落としているはずなので思い切って削除してみた。おかげでディスクDの容量が大幅に減った。これでうまくレスポンスがよくなればいいのだが、はてどうだろうか。
なんでも初級から中級に進むのはそれほど難しくはない。Ich bin Anf"anger. だとか Je suis d'ebutant. (ジュ スィ デビュタン) とかいうのがドイツ語やフランス語で初心者だということだが、そういう時代が私にも確かにあった。
それからもう半世紀が過ぎてどう考えても フランス語にしてもドイツ語にしてもd'ebutant 初心者ではない。何十年かにわたって続けて来たが、あまり上手ではない、テニスにしてもそうであったろう。ところがテ二スなどはいつも中級の下の方にしか居れなかったし、フランス語にしても最近はなかなかフランス語が聞き取れない。フランス語の語彙だってそんなに増えているわけではない。
だから、中級とはいってもなかなか上級には進めない。いずれにしても比較的にということだが、いちばん努力をしているドイツ語だってなかなか中級から出ることができない。中級の大分上の方には位置するようになってきているとは思うが、それでもまだとても上級へとは進めない。それでドイツ語技能検定試験の準一級の受験にも足が向かない。多分、試験を受けたとして50点くらいしかとれないのではなかろうか。それではなかなか合格とはいかない。
これは自分での予想であるが、どうやってその予想をしたかといえば、3級の試験は94点くらいであり、2級の試験は74点くらいであったから、準一級では54点くらいとなるであろう。合格するためには65, 6点をとらないといけないと思うので、当分準一級は合格しそうにない。
そんなことを考えるよりも試験を受けてみて「当たって砕けろ」ではあるのだが、受験料も1万円くらいかかるので、経済困窮の私としてはそう簡単においそれとは受験とはならない。
フランス語の検定を受けることも考えないではない。これは3級は合格するであろうが、2級は多分私には難しかろう。これはドイツ語と比べて私の熱心さがそれほどではないからである。もっとも話す言語としてのフランス語の方がドイツ語よりも若いときに接する機会が私にはたまたまあったという事情によっている。
いずれにしても中級に入ることは簡単だが、そこから出ることはとても難しい。これは中級の壁と言ってもいいだろう。そうはいってもみんな中級の壁に苦しんでいるのだ。勇気を出して少しづつ励む以外に方法はなかろう。
9月は台風とかで晴天の日がほとんどなかった。今日は久しぶりの晴天であり、気温は高かったが、湿度は現在6時前で50%くらいである。だからエアコンのお世話にはならないですんだ。
明日がどんな天気になるかはわからないが、早く10月らしい天候になってほしいものだ。
量の理論とは水道方式という計算の体系をつくり上げた日本の民間教育団体「数学教育協議会(数教協と略する)」の創始した理論である。
これは初等数学の教育には役立つことがわかってきているが、これが高校クラスの数学ではあまり有効でもなくなってくる。それは量が複雑になって来るからであるが、その中でも内包量と言われるものがあり、内包量をもっている物質とかの合併のときに加法性を示さないのに、それでも加法が成り立つということがある。内包量の加法である。
内包量の加法が成り立つ場合があるというのは知られているけれども、それについてはあまり数教協の発行の文書でもあまり書かれていない。唯一少し詳しく書かれた文書に故矢野 寛(ゆたか)先生の考察がある。ところがそれを読んでもあまりよくわからなかったのだが、昨日ちょっとそれをとり出して読んでみたら、以前よりは分かった感じがした。
それで矢野先生の考察をもうすこし敷衍して考えてみたらどうかと思うようになった。いま考えていることはキャパシターの並列接続、直列接続とか電気抵抗の直列接続、並列接続である。物理の量を分類したりする議論は見かけないので、うまく議論できるのかどうかはわからない。
ちょっと燃え尽き症候群である。すぐに他のことができない。これは台風のせいだかどうだかわからないが、結構気温が高くて、暑いからでもある。昨日のテレビの天気予報では昨日につづいて今日も最高気温が30度を超えるらしい。幸いなことに最低気温は23度くらいで朝方は真夏ほどではない。
これではエアコンなしでは日中は過ごせない。気温が下がって涼しくなったと思っていたのに真夏に逆戻りである。
武谷三男の研究をしている人は私よりも若い人で、数人はおられるようだが、武谷批判を展開している人たちがおられるのにそれを現在の時点でどう考えるかに取り組む人がほとんどいないように思われる。もちろんその批判にこたえることだけが研究ではないのだが、その批判に答えていくことは厳しい仕事だが、しなければならないと思う。
それははじめから答えがあるわけではない。だが、自分でどう納得するのか。私はそのような研究をする端緒にはついたと思っている。だが、端緒についたからといって、今後の研究が楽にできるなどとは考えていない。
なかなか言えなくなった。これは10年以上ブログを書いているのだから、そういう気の利いたことも一人の人間がもつものとしては限りがあるのかもしれない。
哲学者の鷲田さんが毎日の言葉として朝日新聞に連載しているが、これはいろいろな本とか新聞とかテレビで言われていたのを読んだとか聞いたとかした言葉で、彼が注目したものを連載している。
これは一人の人の発想ではなくて、鷲田さんが注目した言葉なのでそう簡単には種切れにはならないのだろう。しかし、毎日それも日曜も祝日もなく連載するのだから大変だろうと思う。
私は少なくとも日曜は休むし、自分が仕事場に来なかった時はパソコンとアクセスすることができないのだから、そのときは自動的にお休みになる。もっともあまり旅行はこの歳になったら行かないし、それほど病気もしないので、わりあい健康でもあるので、多分ブログを書いた回数はゆうに3000回は超えたであろう。
先日、図書館で借りてきたカッツの『数学の歴史』(共立出版?)は大部の書であるが、その中の四元数のところを読んでいたら、四元数をベクトルの「商」として理解するということをHamiltonが書いているという。普通のベクトルでは商を定義されたりはしないので、どういう話か調べてみたいと昨日から本にそのような説明がないか調べているが、いまのところそれを見つけてはいない。森田克貞さんの『四元数・八元数とディラック理論』(日本評論社)にもそのことには述べられていないようである。
ベクトルの「商」とかいうことをどこかで読んだことがある記憶があるのだが、それがどこであったか覚えていない。そのときもよく分からなかったおぼえだけがある。パラメーターの数だけはカッツの説明ではあっていたが、どういう話なのか調べておきたいと思っている。
授賞した。3年連続のことだという。総理大臣が誇らしそうに大隅良典さんに電話しているシーンがテレビで放映された。それはそれで文句はないのだが、いまノーベル賞の対象になっている、これらの業績はいまから20年から30年前の業績であるので、いまの科学技術政策がいいということではない。そこを政治家は誤って信じてもらっては困る。
現在の状況は厳しく研究費は国立大学法人では私が定年退職した頃(2005年)と比べて約1/3となっているとか。また外国に長期留学すると大学や研究所での自分のポジションを失うとかということで外国に出かけることも難しくなっているという。
こういうことでは70年代から90年代にかけてのような状況に日本の科学技術はない。このことは心ある人たちが心配しているところである。
実家のある I 市に妻と行っていた。次兄が兄嫁と二人で住んでいるのだが、次兄は6月だったかに心臓手術をしてあまり動けない。
それで、障子張りはもっぱら兄嫁と妻と私の仕事となった。東と西側に廊下がある古いタイプの家であるので、全体で 12枚の障子があった。それを3人で張った。
外注すれば一つの障子は3000円かかるとかいうことで36000円の支出を節約したことになる。もっとも夕食には豪勢な仕出し弁当を頂いたので、兄の家はそれほどの節約にはならなかったかもしれない。
ただ、妻はなんでも仕事を楽しそうにするので、一緒にやっていても楽しい。こういう人は少ないと思う。こういう家事とは違うが、26歳のときに博士課程の学生だったときに指導教官の Y さんと研究してその仕事をまとめようとしていたときに Y さんがやはり楽しそうに一緒に仕事をしてくれたことを思い出す。
あれこれの研究中にはアドバイスもその前にあったけれども、計算のフォーマリズムは自分でCGLNと略称された論文に書かれていた方法を自分で勉強した。それは自分でしなければならなかった。このCGLNのNはその後2008年にノべ-ル賞をもらった、南部陽一郎さんである。そしてこのフォーマリズムを理解するためにはG、すなわち、Goldbergerの書いた大部な散乱理論のテクストの一部を自分で読んだ。これを読みなさいなどという指示などはもらわなかったが、これは1967年5月ごろに一生懸命に勉強をした。
式での計算が終わって、数値計算をコンピュータでするようになって、あまり実験データとの一致がよくないことが分かったときにはすぐに、rho中間子の寄与を考慮して見ようと示唆をされた。ベクトル中間子ではベクター結合だけではなく、テンソル結合まで考えなければならなかった。そしてテンソル結合は相互作用に微分を含むのでエネルギー依存性があり、もっと高いエネルギーでは実験データがもしあれば、不一致が大きくなるはずであった。だが、そのときには幸いなときにそのようなより高エネルギーのデータはまだ存在しなかった。
それでちょっと苦しかったが、なんとかほとんど唯一のフリーパラメータをエネルギ―依存にとって、存在した実験データと理論的な断面積の一致をみるようにすることができた。
1968年3月にその論文を主論文としてあと参考論文3の最低条件で学位をもらって、ようやく大学院を規定の3年で終えることができた。もっとも私にはそれ以前に2年以上かかった論文があり、この2年を越えた時期はとても辛い時期であった。これをなんとかしてクリアできたことが私がまがりなりにも研究者として生き残れた理由であろうか。
物わかりがわるい大学院生の私に辛抱してつきあってくれた当時の指導教官であった Y さんには頭が下がる。だが、ものわかりがわるいことも一つの個性として認めてくれたのだと思う。
障子張りの話が変な方向に脱線してしまった。いつものことだが、仕事を一緒にしていて楽しいということから、およそ50年前のほんの1年くらいの短い期間だったが、楽しかった経験を思い出した。