物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

毎日何か書くのは

2017-04-18 11:16:26 | 日記

楽しみでもあるが、また苦しみでもある。これは話題をどう展開していくかが難しいからである。

これは以前にも書いたことがあるが、新聞などでも「今日は記事なしとか宣言して白紙の新聞を発行できたらどうだろうか」というような仮想の話を書いたことがあった。

2005年4月末にこのブログをはじめて以来、昨年の12月とか今年の3月とかに2週間ほど続けてブログを休んだが、それは不在にしていたのだから、仕方がなかった。

ある方などはどこかにでかけても代理の方に頼んで記事を送ってブログをほとんど休まないという人もいる。そういう人はともかくとして私などは自分一人で細々とやっているブログであるので、さすがに不在のときにはどうしようもない。それにとても忙しくてブログを書くことを忘れることもまれにないではないが、基本的には日記を書くようにブログを書くこと優先している。

それでもやはり話題がなくなるということは避けがたい。できるだけ世間に広く関心をもって記事にするようにしているが、それでも政治のことはあまり書くチャンスがない。これは政治に関心がないというよりは政治にうんざりしているからである。

まあ、適切な表現で、適切な意見を述べることができないという才能不足に起因するということだけであろう。いずれにしても自分の関心をもったことについて書くという傾向があるだろう。

本をあまりよく読む方ではないので、自分の読書遍歴を披露するということもできない。

 


初等幾何2

2017-04-17 10:47:16 | 日記

初等幾何に関係したことでいえば、最近、星野華水『チャート式幾何学』(復刻版)(数研出版)を古本で購入した。復刻版であるので実は古い本ではない。言い方が矛盾しているが、復刻版の出版年は古くはないが、元の版はもちろん結構古い。『チャート式代数学』(数研出版)の復刻版もあるのだが、こちらはあまり食指が動かないのでいまのところ購入の予定はない。

初等幾何については私にはコンプレックスがある。というのは私の1級下の学年からは高校で「数学1(幾何)」として幾何を高校で学んだ学年だが、私の学年はその一年上の学年であったので、高校で初等幾何を学んだのはほんの1~2時間くらいであって、幾何を学んだとはいえない。

ところが、初歩の物理の中にはそんなに難しいものではないが、初等幾何の初歩を知らないとわからないところがあったのである。それでしかたなく初等幾何を自習したのだが、それも最小限のところしか自習しなかった。そういういきさつがある。

亡くなった母は女学校のころにこの初等幾何が得意であったといつも言っていた。だが、私は母には似ず代数学や幾何学の頭があまりなかった。むしろ中学校を中退した父に似ていたのだろう。なんでも自分で納得できないとわかったという気にならないという困った性質をもっている。

それでもそのことが現在までの私に役に立っているとも言えるので、人生全体としてはどちらがよかったかはわからない。外国語や言葉が好きだとか文章を書く趣味とかは母の気質を受け継いでいる。

母は頭のいい人で私たち子どもが中学校の低学年のころに、連立方程式で問題を解いていたりしたときに算数として問題を頭で暗算で解いてしまうというほどであった。また私など暗算がとても苦手だが、結婚前にどこか会社に勤めていたときにそろばんを習ったらしく、暗算とかそろばんとかも得意であった。

もっとも最近の数学教育なら、文章題を算数で解くよりも代数の問題として連立方程式をたてて解くことの方が教育的には推奨されるであろうけれども。


初等幾何

2017-04-15 12:05:49 | 日記

年をとったら何をするか。ちょっと旧式の数学者であった佐々木重吉先生は「初等幾何の問題を解く」と言っておられた。佐々木重吉先生は名物先生であり、E大学の工学部の昔の卒業生ならば、大抵は佐々木先生の微分方程式の講義を聞かれているはずである。

授業の終了の鐘がなってから、それでも5分とか延長して講義を続けられるとか、春休みになったのに数学の補講をされるとか、ナイターと称して夕方に補講があるとか。

ある意味では正規の授業時間中では講義の内容が教えおわらないので、補講をということだったらしい。残念なことにというか、幸いというべきかはわからないが、私は先生の講義を受けたことはない。

この佐々木先生のライフワ-クは『微分方程式概論』(槇書店)である。ちょっと旧式の記述ながら、先生の薀蓄を余すところなく示されている。3次元のラプラス演算子を極座標で表すという計算をまったく便法などつかわずに計算された貴重な記録が下巻にある。この計算はあまり他の文献では見かけたことがない。もちろん便法を用いた計算も同時に収録されている。

その下巻と中巻を購入したと先生にお会いしたときに話をしたら、「上巻は購入するのを待ちなさい」と言われてそれで待っていたら、増刷時に先生のところに送られてきた、上巻を私に下さった。「贈呈、佐々木重吉」と先生の几帳面な字で書かれてある。

先生はお子さんがおられなかったこともあって教え子の学生を大切にされた。私の知っているだけでも数人の先生に私淑する方がおられた。

先生は東京物理学校から東北大学へと進まれて、その卒業後中学校の先生を数年なされた後、新居浜工業高等専門学校に赴任されたと聞いている。

中学校時代の教え子にダックダックスのグループの一人の方がおられたと聞いているが、どなただったかはもう覚えていない。

その先生は毎日、1問か2問だけ微分方程式の問題を解かれるということを日課としておられた。そのルーズリーフのノートを整理されて、先生は上記の『微分方程式概論』を書かれた。原稿は漢字カタカナ交じりの文章であったが、出版社の方でカタカナの部分は平カナに変更された。

その先生だから老齢になったら、初等幾何の問題を解くと言われたのであろう。実際に先生がどうされたかは存じ上げない。

人の情報をこういうブログに書くのはときとして問題が起こるとかも聞くが、先生はもちろんのこと、その奥様も亡くなられて久しいので、直接的な被害を被る親戚もあまりいないだろうと思っている。


とうとう花見に

2017-04-15 11:49:53 | 日記

行った。これは松山に住む人なら誰でも知っている城山公園に行った。昨日は金曜日であったので、妻が仕事場について来た。

そして、4時過ぎに花見に堀之内の公園へ行こうと言い出した。これは私があまり歩かないことを慮っての考えである。それで城山公園のほうへ歩き出したのだが、結局山の上の城のある広場を目指すことにした。

私が城山に登ることなどできないと思っていた妻は半信半疑であったが、最近「新しい靴を買ってはいているので多分登れる」と私が言ったら、「じゃあ」ということで登った。

城山に登るには私たちは坂道を時間をかけて歩いて登ったのだが、もちろんロープウェイとかリフトを利用することもできる。坂道はまっすぐ歩くときついので、道を斜めに登ることにしてようやく上った。

観光客とか市民の散歩で訪れている犬を連れた人にもたくさんであった。城山には桜の木がかなりある。もう満開が過ぎて葉桜になっている木もあったが、その大半は満開から散り始めに転じているころで、一度散った桜の花びらが風に吹かれてまた舞い上がるという桜吹雪も見られた。来ていた人もこの光景には感激をしていた。

今年はこういう花見はもうできないと思っていたので、今年も何とか花見ができたとという事実を残すことができた。城山公園の広場にある、お店でソフトクリームを買って二人で食べてから、城山を後にした。


松山ゆかりのドイツ人

2017-04-14 11:30:00 | 日記

昨夜、R氏から今日おじいさんが松山高等学校でドイツ語を教えていたというドイツ人親子が松山を訪れるという話を聞いた。

そのドイツ人親子の年齢がどれくらいなのかは聞かなかったが、その祖父のドイツ人は1924年頃に松山高等学校でドイツ語を教えていたということだった。

1924年(大正13年)と聞くと日本では大正末期にあたる。そして物理学を少し学んだことのある人なら、1923年にフランスのde Broglieの電子の波動性の提唱があり、1925年5月にはHeisenbergの行列力学の端緒となる研究が行われ、1926年初めからはSchr"odingerの波動力学の一連の論文が出るというような波乱に富んだ年代である。

そのころに多分にまだ若かったであろう、一人のドイツ人が松山の地で高校生(いまなら大学の1年生とか2年生にあたる)にドイツ語を教えておられた。

妻にそのことを話したら、自分の祖父がそのころにやはり松山で、ある学校の数学の教師であったという。だから、妻にとってはそういうことを思い出して、ちょっと感慨があったようである。妻が小さかったときに亡くなった祖父が活躍していた時代に遠い異国の日本までドイツ語を教えに来ていたというドイツ人はどういう人であったのだろうかという。

そういうゆかりのためにその子と孫が松山を訪れるという。たぶん、その子といっても私よりも大分年上かもしれないし、孫といっても私よりも多分若いではあろうが、もうそうは若くはなかろう。

松山高校のゆかりの建物はすでに愛媛大学付属中学・小学校の講堂くらいしか残っていないが、それでもゆかりのものがまったくないわけではない。この講堂は松山の焼夷爆弾攻撃の夜(1945年7月?)に当時の松高生が必死で消火して守ったものとされている。

10年ほど前に亡くなった妻の叔父なんかも私たちが松山に住むようになったころ(これももう半世紀前に近くなったが)、東京から帰郷した折に、その講堂を見に来たことがあった。彼は旧制の松山高等学校の卒業生であったので、そして自分が松高生だった昔を思い出してとても懐かしがっていた。桜の花が咲いていたら、こういう桜の木が自分の若い学生のころにもあったとか言っていた。


桜の満開がつづく

2017-04-13 12:30:14 | 日記

昨日も天気が良かったが、今日も悪くはない。それで桜の満開が続いている。普通は桜の満開から散るまでに1週間くらいはあるであろう。

だが、昨日まで雨天とかで天気があまりよくなかった。もう大学の入学式もすんだようで今年は数日遅れての満開である。近所の松山地方気象台の庭にも桜の木が数本あるが、そろそろ散り始めている。

城山に登るほど時間的な暇はないので、たかだか車の窓から石手川の河畔のサクラとかを車で通り過ぎながら、見るくらいしかできない。昨年は石手寺の近くの岩渕石手川の上流のというところで1時間ほど花見をした。石手寺の後ろの山には弘法大師のコンクリートの像が下の私たちを見下ろしている。

いつだったか春にドイツ人のグループがホームステイで松山に来られたことがあったが、そのときには私の家ではホームステイの宿は提供しなかった。その機会に石手寺で出会ったドイツ人グループをボランティアの日本人女性がきれいなドイツ語で案内をされていた。それで弘法大師の像が山の上にあると話をされていたので、「石でつくった(aus Stein ?)?」と聞いたら、"Nein, aus Beton"と言われたのでコンクリ―ト製だとわかった。

それにしてもドイツ語の上手な方がおられるということをそのときに知ったが、あまりよくその方を存じ上げてはいない。英語も上手なかたらしく、本来は英語で観光ボランティアをされているというふうにそのとき聞いた。


子どもをもつことは

2017-04-13 12:10:24 | 日記

人生を2倍に生きるような気がする。ちょっとどう表現したらいいかわからないのだが、自分の人生をもう一度体験しているような気がしたものだ。

確かにどんな人でも幼児であったはずだが、その経験はあまり直接的ではない。というか記憶としては自分にはあまり残っていない。だが、子どもをもつとその幼児体験をこれは自分の幼児体験ではないが、直に見ることができる。それは自分の子どもという他人の体験ではあるが、育てる立場にいまはあるので、より近く幼児であることを再体験できる。

子どもをもつという人としての重大な責任もあるが、それ以外にとても得難い体験を人生でさせてもらえるということだ。そういうことを何十年か昔に感じた。だからかどうかわからないが、妻も子どもをもったことで親として貴重な体験をさせてもらったのだと改めて最近になって述懐していた。

いろいろな理由で子どもをもてない人とか、もたなかった人とかはそれはそれでいいと思うが、やはり人としてある種の貴重な体験を逃しているという気持ちもする。

だから、もし万一子どもをもたないなら、人生において別に違った大胆な試みをしてほしいと思う。人の生き方はそれぞれであるので、どれがよくてどれが悪いとか言うことはできない。


熱力学第一法則

2017-04-13 11:19:51 | 日記

として、内部エネルギーの変化dUは外部からした仕事d'Wと外部から得た熱d'Qの和に等しい。これが熱力学第一法則dU=d'Q+d'Wであるが、この右辺のd'Qとd'Wとは不完全微分だが、それをたした内部エネルギーは完全微分となる。

これがとても不思議な気がしたものだ。ところがこのことをきちんと説明したテクストがあまりないような気がしている。もっともこれは物理学者の書いたテクストという意味だが、ムーアの『物理化学』上(東京化学同人)にはその説明が出ていたと思う。

それでそれを読んだときにはなるほどと思ったものだが、その内容をよく理解していたわけではないので、もう一度読み返してみないとどういうことだったのかわからない。

私の学習のしかたが、不十分であったために実はdU=d'Q+d'Wで熱力学第一法則が表されるというふうに理解ができていなかった。これは前にもこのブログに書いたかもしれないが、入試問題の作問委員会である先生の話からようやく認識したというお粗末な話であった。

金属工学科に数年属していたことがあったので、そのときにやはりきちんと熱力学を学んだある同僚の先生から完全微分という言葉を教わったが、これもやはりムーアの『物理化学』に詳しく出ている。

その後、定年前の4,5年自分で熱力学を教える機会があったので、生まれて初めて熱力学を人に教えるという経験をもつことになった。もっともこれは初歩の熱力学であるので、あまり難しいことは必要がなかった。

それでも自分で理解していないことは学生に教えることができないので、努力してみたが、やはりつけ刃であったろう。


泳ぐ、自転車に乗る

2017-04-12 15:36:35 | 日記

人として小さいときに修得しておきたいこととして、泳ぐことと自転車に乗ることがある。どちらも努力して修得しないとできない(注)。

だから、小学生になれば、どの親御さんも子どもに自転車に乗ることを教える。もっともこれは教えることなどできない。本人が転げたりしながら、自転車の乗るためのバランスのとり方を体得して自転車に乗れるようになっていく。

ところが小さいときにこのことを修得しないで大人になってから自転車に乗る練習する人もいる。本人は自転車に乗れない間は乗れないということをいわないが、乗れるようになった後で乗れるようになったと聞いたことがある。多分、親御さんが子どもに危ないことをさせないという主義だったのかもしれない。

同様にカナヅチだったが、泳げるようになったと告白された方も知っている。そういう人は私よりも実は泳ぐのが上手になっている。また、カナヅチだったある女性は水泳の指導員の資格まで取られた。

だから、人生においてどこからでもやろうと思えば自分のできないことをできるようにすることもできるのだと思う。

これは水泳とか、自転車に乗るとかほど必須ではないが、小学校の体育でできた方がいいこととして鉄棒の逆上がりがある。若いころ私の父は体が弱くて体操などできそうになかったが、鉄棒の逆上がりも蹴上がりもできたと聞いたことがあった。

私も逆上がりは小学校のころに練習してなんとか6年生のときにできるようになったが、蹴上がりは練習してもなかなかできるようにはならなかった。

これは中学校のときだったか、もう高校生になっていたかは覚えていないが、それでも蹴上がりの練習をしてできるようになった。今は多分できないだろうと思うが。

子どもがやはり小学生のときに、なかなか逆上がりができなかった。弟の方は身が軽くてちょっとお尻を持ち上げてやっているとすぐにできるようになったが、兄のほうがなかなかできるようにはならなかった。それでもときどき鉄棒のところへ行って練習していたので、腰を持ち上げてやっていたら、いつしか要領を覚えて、逆上がりはできるようになった。不思議なものである。

親ができることはこどもできるようになる。もっとも子どもはなんでも親のできないことをするようになるのだろう。それが世の中の進歩というモノだろう。

(注)フランス語で「私は泳ぐことができる」とはje sais nager(直訳だと「泳ぐことを知っている」)という。savoirは「知っている」という意味だが、ここでは努力して修得してできるという意味だとフランス語で教わる。「できる」という意味では英語のcanに対応するpouvoirもある。こちらには修得してできるという意味はなかったはずだ。je sais nager,mais je ne peux pas nagerということがある。泳ぐことはできるのだが、いまは風邪をひいているので泳げないというふうな意味で使うことがある。

 


生きる意欲は

2017-04-12 12:27:27 | 日記

ものを食べることから来ているという話をテレビで見たことがある。

具体的には歯を直して自分で楽しんで食物を食べるようになった老人でもういまにも死ぬかと思われていた人が生き生きしてきて、生きる意欲をもってきたという様子を示したという話でした。

だから私は歯を大事にしています。半年に1回くらいの割で歯科医に診てもらって歯の掃除とか点検とかをしてもらっています。8020とか言われますが、80歳のときに自前の歯を20本残すとかいう医療運動です。

80歳にはまだ数年ありますが、多分20本の自前の歯は残せそうです。もっともそれ以外の病気で80歳前に死亡するかもしれませんが、もしそうならそれも仕方がないでしょう。

ともかく、8020運動は私の場合には成功しそうです。もっとも奥歯から奥歯から歯が痛んで来て、すでに数本の奥歯を抜いたという経験をもっています。

(注)もう40年以上も前のことだが、ある歯科学の研究者と知り合いになった。彼の言によると人間の内の1/3は歯を磨かなくても虫歯にはならない。また1/3は歯を磨いても虫歯になる。残りの1/3が歯を適切に磨くことによって虫歯になることを防ぐことができると。

多分彼の言うことは本当だろうが、それでも残りの1/3だと思って3食後の歯を磨いて来た。それでもすでに数本の奥歯を失った。またこれからもまだ数本の歯を失うであろう。

それでも食べることが生きる意欲を保つ一番の方法であるということは多分変わらないのであろう。歯を大切にすることを勧める由縁である。


桜がようやく満開

2017-04-12 12:18:15 | 日記

です。今年は満開が遅かったです。それに天候にも恵まれなかった。

それで花見もできませんでした。それでも石手川沿いのサクラは満開で風によってそろそろ散っています。毎年書くけれど「年々再々花相似たり、年々再々人同じからず」です。先日も書いたけれども昨年には数人の知人が亡くなっている。親戚も一人亡くなった。

そういう新陳代謝が人間社会もあるのですね。これは自然自身も同じことでしょう。先日チラッと見たテレビではある面積の野原が年々どう変わって行くかを追跡したものでした。

草や草花が段々と年によって変わって行くさまを示してくれたのをちらっと見ました。けっこう植物の相というのが変わっていくが、草を刈って見ると、以前滅びたと思っていた草がちゃんと生きてまた復活したとか。

そう簡単ではないと思い知らされたことでした。


亀のように

2017-04-11 10:47:15 | 日記

ゆっくりとしか進めない。いま準備しているフーリエ解析のエッセイのことである。そしてそれもだいじなことがまだ書けていない。

もっとも、これが人さまの前に見せられるようなものができ上がるという保証もない。多分に自分の満足するものができるかどうかはどうも見通しがもてない。

10年以上前に「電気電子工学科ミニマム」に書いたときには、はなはだ暢気なものであった。フーリエ級数の収束性のことなどまったく触れていなかったし、その意義とかどういう応用があるのかもまったく関心をもっていなかった。

もちろん、それらしい言及は同僚の先生方の助言でちょっとは書いてあるけれども。第一、フーリエ解析が偏微分方程式の解法に役立つなど知っていなかった。まるで知っていなかったとは言えないだろうが、少なくとも意識したことはなかった。

だから、認識の段階がすこしは進展したのだろうが、それとて普通の物理研究者が知っているようなことを知っていないというに過ぎない。

ベクトル解析は大切という意識はもっていたが、場の量子論でフルにフーリエ展開が出てきたりするのにその重要性についての認識があまりなかったとは我ながら情けないことである。

古典的な場のフーリエ展開では振幅だったところが、場の量子論では生成演算子や消滅演算子にあたることはもちろん知っていたけれどもそこら辺りも、もう記憶の彼方になってしまっている。


prepare, ingredient

2017-04-10 10:14:05 | 日記

プリペアprepareというと「準備する」という意味で高校の英語で学んで以来、知っている言葉だが、このprepareは料理をつくるという意味で最近はよく聞く。

フランス語でも「準備をする」という意味ではなく、pr'eparer(プリパレ)を「食物を調理する」という意味で最近聞いて覚えた。いま仏和辞典を引いてみると、やはり「準備する、用意する」という意味が先に出ているけれども、「食物を調理する」も3番目に来ている。

料理は食べることがその料理のある種の「完成」を意味するので、「調理をする」というのはある意味で「準備する」ことであるといわれれば、そうかもしれない。もっともprepareの「調理する」という意味にはそういう含意があるとはだれからも聞いたことがあるわけではないけれど。

ingr'edientというフランス語もこれは英語にも同じ語があるが、「要素」みたいな意味で英語の本の中でかなり抽象的な語として覚えたと思うが、いまでは「食品の材料」という意味の方でよく出会う。

これは料理等の話題で使われる日常用語である。だから、私ははじめはingr'edientを抽象的な意味で覚えたと思うが、いまでは食品とか料理とかの方でむしろよく聞く英語やフランス語である。

ドイツ語ではあまり聞いたことはないが、辞書を引いてみるとやはりdie Ingredienzという語としてある。料理用語として「添加物」と訳が出ている。

die Zutaten(添加材料)とかdie Beilage(添付、付加、付き合わせ)とかいうドイツ語をすぐに思い出すけれど、これらは料理に関係して覚えているドイツ語である。

(注)フランス語の語彙は1/3以上が英語と共通であると昔聞いたことがある。だが、発音はかなり違う。もっともprepareとかingredietnはそれほど発音が違わない言葉である。

英語からフランス語を学ぶのは発音でリエゾン、エリジオンとはアンシェヌマンとかを別にすればかなりやさしい。間接目的語や直接目的語の代名詞が動詞の前に出てくるというのが、フランス語の特色であるが、それはドイツ語の語順と比べればそれほど難しくはないと思う。また、形容詞が名詞の後ろに来るのが原則である。もっとも短い形容詞では名詞の前に来るものもあるが、これはむしろ例外である。

言語としてはドイツ語と英語の方が英語とフランス語の関係より近親関係にあるのに、語順という意味では英語からドイツ語に入るのは少し敷居が高いのは残念である。

だから、第2外国語として学ぶとすれば、フランス語よりもドイツ語を先に学んだほうが外国語の多様性を知るためにいいのではないかと考えている。もっともフランス語を話す人口の方がドイツ語を話す人口よりも多いので汎用性という意味ではフランス語を学ぶ方がドイツ語の学ぶよりもいいということはある。


日本理学書総目録

2017-04-08 13:47:42 | 日記

というカタログが毎年、日本理学書総目録刊行会というところから発行されている。いつのころからかわからないが、しかしこのカタログに出版図書を掲載しない出版社が増えて来た。

実は私の書いた2つの本はいずれもこのカタログに載っていない。以前には1冊の本はこのカタログに掲載されていたと思うので、多分掲載を頼むためにはいくらかの分担金を支払わなくてはならないのだろう。

そうするとその分担金がけっこう高額であるとすれば、わざわざそのカタログに分担金を払って掲載を依頼するだろうか。そこらあたりが難しいところである。

特に、最近ではインターネットの時代である。印刷された書籍カタログが無料だといっても、それでどれくらいの書籍の販売の目安が立つのか立たないのか。

私だけではなかろうが、アマゾンコムの書評を読んで、その本を購入するか思い留まるかの参考する人はけっこう多いのだろう。もっとも本当はいい本でも手厳しい批評をする人も必ずいる。

一方では、どんな書籍に対しても甘い評価を与える人もいて、その本を購入するかどうかはやはり自己責任で決めなくてはならない。


時間の長さを線分で表す

2017-04-08 13:24:20 | 日記

ことができるのかどうか。たとえば1時間を線分で表すにはどうしたらいいか。先ほど終わったサークル会でちょっとアイディアを聞いたのだが、本当にそれができるのかはまだよく考えたわけではないので、わからない。

話を聞いたところではできそうだが、どうも私のひとり合点のような気もするし。そのアイディアというのは半径 r の時計があるとして、12時間で時計は短針が1周するのだから、半径を12倍すれば、すなわち 12r の半径の5分角の円弧が1時間を意味するというようなアイディアである。

しかし、それでほんとうにいいのかどうかは頭の働きの悪い私にはすぐにピンとこない。

もともとのアディアは普通のアナログの時計を二つ買って来て、その一つからは分針を取り除き、もう一つからは時針を取り除いた。またもう一つの時計はディジタルの時計である。合計3個の時計を約1万円ほどで買ってこられたという。ある老年の退職教員の考えである。

この三つの時計から子どもたちがどのようにして時間の測定をするようになるかを知りたいという教育の勧めである。果たして新しい考え方がここから出てくるのかどうか。

小学校で時計の読み方を教える教育というのがあるが、それが現状ではなかなか難しいという現実がある。それでそれを打破するためになにか新しい試みをしたいということらしい。