物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昨日の16時ごろ

2018-02-09 15:48:19 | 日記

アクセスが急に100件ほどあった。それ以外のところではそれほどのアクセスはなかったのに。

こういうことがあるのだとびっくりした。何に反応したのかわからない。一人の人ではいくら頑張て見手も100件のアクセスすることはできないだろう。

「リフレ派と反リフレ派のなんとか」というブログを書いたのでそれがヒットしたのかもしれない。これは新聞に出ていたことの引き写しだが、うまく要約されてあると思ったので、ブログのタネとさせて頂いた。これについては結論は出ていない。いずれ歴史的には10年もすれば決着がつくことではあろう。

しかし、現在国とか日銀の金融政策とか現在進行中なので、その良し悪しをなかなか言えない。もっとも論叢があることはいいことである。というのはリフレ派にしても反リフレ派の言い分を少し気にしながらの政策としなければならないからである。

反リフレ派が日銀を支配していてころ、それもかなり長い間で反インフレ政策を行って来てあまりうまくいかなかった。そこでリフレ派の金融政策が登場したわけである。ところが案に相違して思ったようには行っていないように見える。

もちろん、株価だとか円安は誘導できたが、それでも給料が上がった人たちは大手のメーカーの社員くらいに限られているように見える。株式をもてる人にはいい時代だろうが、そのような人は一部の金持ちに限られる。

業績良好企業の内部留保が大きくなってきているが、それがあらたな設備投資にはあまり向かっていないというが、その辺はどうなんだろうか。

要するに家電製品のメーカーが軒並みにここ数年苦戦していて、最近になってようやく黒字を出すようになった。シャープ、パナソニック、東芝、三菱電気、NECその他、現在はすこし以前のようなひどい時代ではないにせよ、何か勢いに欠けるとみるのがやはり妥当であろう。

自動車のメーカーはどこも悪くはないようである。何か根本的に考え直さないといけない時代なのであろうか。

話はまったく別だが、大学初年級クラスの数学のテキストで優れた書が「複素解析」とか「線形代数」とかでではじめているという印象を受ける。まだ詳しく調べたわけではないが、たとえば、山本直樹『複素関数論の基礎』(裳華房)とか藤岡敦『手を動かして学ぶ線形代数』(裳華房)とかである。特に後者はまだ図書館でも書店でも一見だにしていないので、評判倒れでないことを祈る気持ちである。


石井進さん

2018-02-09 13:00:56 | 日記

の紹介が2月3日の朝日新聞に出ていた。これは『応仁の乱』(中公新書)で著書が何十万冊と売れたという呉座勇一さんが書かれた文章にあった。石井進さんは日本史の専門家のことである。

名前も聞いたことがなかった人だが、日本史の専門家にはよく知られた人らしい。呉座さんは石井さんの、私のような非専門家でも読める著作をいくつか紹介されていた。

網野善彦さんは有名になったから彼の本は数冊は購入したが、結局1,2の本を除いて読んではいない。瀬戸内海の松山の沖にいくつかの島があるが、もう広島県境に近いところに二神島という島がある。この島に網野さんが研究していた古文書があり、網野さんはここに休みごとに来て、古文書を読んでは、その休暇の終り頃には島の人を集めては古文書からこういうことがわかったと話をされていたと網野さんの話を聞いた方から伺ったことがある。

いつ間にやら、石井さんから網野さんの話に転移してしまったが、石井さんに話を戻すと中央公論社の『鎌倉幕府』、岩波書店の『日本中世国家史研究』、朝日選書の『中世の村を歩く』、また中央公論社の『日本の中世1 中世のかたち』等を挙げられている。

私がなにが弱いかと言えば、いちばんに歴史をあげるくらいなので私は歴史に暗いが、それでもいつか読んでみたいと思わせるような呉座さんの書き方である。こういうのが優れた書き手なのであろう。


eigentlichを使った例文をつくれ

2018-02-09 11:24:41 | 日記

と言われたからIch bin eigentlich Physiker, aber ich interessiere mich jetzt f"ur Mathematik. と言ったら「よし」としてくれた。昨夜のドイツ語のクラスのことである。

タイミングよくこういう例文をつくれたのは滅多にない機会であった。eigentlichとは日本語で言うと、「そもそも」とか「本来は」とかいう意味であろう。形容詞としても使われるが、副詞として使われる方が多いような気がする。

最近は R 氏がクラスの人たちのドイツ語を話す力が向上したとでも思っているのであろうか。「他の人が話したことを要約して話しなさい」という課題をしばしば出される。他人の話を聞いてわかっていなければならないのだが、それだけではなく、それをまた自分のドイツ語で他人の話のおおよそを再現しなければならない。

これはなかなか話す練習としては効く課題である。もっとも私以外の、みんなはなんとかそういう課題をクリアしているのだから、大したもんだと思う。もっとも私などブロークンなドイツ語であることは否めない。ブロークンなドイツ語を話しながら、少しずつ的確なドイツ語になっていければいいのだろう。  

Wof"ur interessieren Sie sich ? (何に関心がありますか)と問われたら、Ich interessire mich f"ur Fussbal.(サッカーに関心があります)とか Ich interesiire mich f"ur Musik.(音楽に関心があります)とか答えるのが普通である。ここでwoは普通は「どこ」という場所をたずねる疑問副詞だが、f"ur wasとドイツ語では言わずに、場所には関係がない何に関心があるかをwof"ur(ヴォフュア)という疑問副詞を使う。

ドイツ語が専門の人にとってはなんでもないことでも、これは私たちのような門外漢にとってはなかなか難しいことである。難しいことは考えずにこういうときには、こういうふうに表現すると覚えておいた方がいいかもしれない。


Schlucht

2018-02-08 16:25:23 | 日記

というドイツ語は知らなかった。ええっ、なんだろうと思ったらこれは「渓谷」という意味だという。谷という語で知っているドイツ語はDas Talという語である。

それで渓谷という意味が日本語でどんな意味だったか調べてみたが、谷という意味しか広辞苑には載っていない。山峡という意味が新明解国語辞典には載っていたので、狭い谷という意味に渓谷は使われているかもしれない。die Schluchtは女性名詞である。

私は日本人だし、ドイツに住んでいるわけでもないのだから、知らない言葉があってもしかたがない。

それで、この前のアインシュタインに関係した小話で「ベルボーイ」というのはドイツ語でどういうかインターネットで調べてみたら、HotelboyとかHotelpageとかHoteldienerとか出てきた。独和辞典で調べたら、この語は載っていない。Diener(ディーナー)は召使という意味なので、Hoteldienerならドイツ語らしい。Page(パージュと発音するらしい)はフランス語由来らしいが、フランス語としても聞いたことはなかった。


AIのしたことを判断する人間

2018-02-08 13:37:00 | 日記

などと情けないことに将来はなるのだろうか。将棋の棋士がAI勝負で負けたとか新聞記事になったときに羽生さんか誰かがいった言葉である。確かに人間の発想と違う差し手を指すならば、AIのしたことを真剣に考えなければならないことになる。

そういうブラックボックス的なところがAIにもある。だから、将来AIに職をすべて取られるなどと心配するのはいけない。それを克服するような教育がなされなければならないのだと思う。

京都大学と大阪大学の入試ミスだって、異なった考え方をする人を育てなかったところに問題があるのではないかという気がしている。あくまで気がするくらいのことしか今は言えない。


リフレ派と反リフレ派の言い分

2018-02-08 12:45:50 | 日記

について2018.2.6の朝日新聞Globe版が「リフレ派と反リフレ派の言い分」を要領よくまとめていた。このブログでも一度問題点について触れたが、要領のいい、だれにでもわかる議論だったのでその箇所を抜き書きしておこう。

(引用はじめ)

政府の借金が、国内総生産(GDP)の2倍以上に達している日本の財政状況は、深刻なのか。

リフレ派の一部は、政府には借金だけでなく資産もあるので、それを相殺して考えると問題がない範囲とみる。これに対し、反リフレ派は「国は、一つの家庭のように瞬時に資産と負債を相殺できない以上、借金の総額で考えるべきだ」と話す。財政の健全性を示す基礎的財政収支(プライマリ―バランス)の赤字を解消する見通しも遠のき、財政問題は深刻だとみる。

リフレ派の多くは、まず安定的な物価上昇が達成できるまでは、金融政策の手綱は緩めず、FRBが実施しているような金利の引き上げなどの「出口」を探るべきではない、という立場である。2%を達成すれば、財政再建もしやすくなり、経済は安定軌道に乗るとみる。

一方、反リフレ派の論客で、元日銀金融研究所長の翁邦雄は「足元の景気が良いうちに、政策対応の余地をつくっておくべきだ」と話す。今後不況になれば、日銀は打つ手がほとんどなくなる。政府がさらに歳出拡大に踏み切れば、市場は「財政再建ができない」と判断して、「円」の信認が揺らぎ、一気に円安が進むリスクがあるとみる。

リフレ派と反リフレ派との論争は決着する気配がない。

(引用終わり)

これは、金融政策の論点の見事な要約であるので、経済に関心のない人にもわかる。

この記事をまとめた一人は朝日新聞編集委員の山脇岳志さんである。彼はアメリカ在住中はリフレ派であったが、いまはすこしリフレに疑問を感じているという。これはアメリカの失敗を直接的に見たからでもあろうか。

私個人の意見というか感想は「やはり中央銀行、これは日本では日銀であるが、やりすぎているのではないか」という感じである。株価を釣り上げるためにやり過ぎでいるのではないか。

反リフレ派ほどには心配をすべきではないかも知れないが、これだけ金融緩和を続けてもあまり生活に余裕を感じられなくなっている理由をもっと直視すべきではないか。

このへんのところをもっと直視してその対策を考えないといけない。それは国としては、比較的余裕のあるいまだからこそ考えられるべきであろう。


読了

2018-02-08 12:16:09 | 日記

昨日書いていた、『なっとくする複素関数』のことである。昨夜、10時半ぐらいから12時までで読み上げた。もっとも出ている演習問題は解答を見たりして、自分では解いていないからまだ半分にもいかないのだろう。だが、本文はまがりなりにも読んだ。

解析接続のことを知りたくてこの本を借りてきたのだが、最終目的にはまだ到達してはいない。もっともこの本で得たこともある、それは級数の収束判定に使われるD'Alembertの判定条件について直観的に書かれていた。

これとCauchy-Hadamardの判定条件を直観的に書いてあるのは志賀浩二さんの本なので、これらの二つだけはある種の発見法的な理解ができることとなった。もっとも級数の収束判定条件はいろいろなものがあり、まだその全容を発見的方法ではとらえることができてはいない。

今回関心が出てきたのは定積分のしかたについて複素積分でできるものを分類しておきたいという気がしはじめた。「定積分のしかた」については書き始めているが、まだ未完のエッセイである。これには複素積分は入れないつもりだ。それは複素積分だけでも大きな分野となるからである。これはいつかきちんとやっておきたいが、まだなかなかとりかかれないだろう。

最近、一日に数時間は小川修三さんの量子力学の講義ノートを編集のためにパソコン入力しているが、なかなか作業が進まない。昨日も散乱問題のビームのとり出しという項目を入力したのだが、有名で、標準的な量子力学のテクストはそういう話はあまり取り扱いがない。それでどういうふうに話をすすめているのかわかりにくい。このことに比較的近い記述がある、Bohmの量子力学の本をちらっと眺めたりしているが、なかなかどうやって式を導出したのかわからない。

話はこういうことだ。

どこかに、スリットがあり、そこではある波束で準備されているが、スリットを通り抜けた後、時間発展につれて、その波束が広がって動いていく。その波束の時間的な変化を求めてあるのだが、どうやったのかちょっとわからない。もちろん、シュレディンガー方程式にしたがって、計算されたのだと思うがどうやったのか、いまのところまだ理解できていない。

(2019.2.9付記)上に述べたともリットを通った波束の時間発展は最近ようやくその計算がわかった。これはやはり朝永の『量子力学』IIの中に同様の記述があった。これは小川修三さんの「量子力学の講義ノート」の話であるが、その解決に1年くらいかかったわけである。


昨日はいくつかのアディアがあったのに

2018-02-07 12:39:06 | 日記

今日はそれを思い出せない。いやアディアとってもブログに書くネタのことである。

なにせ2005年4月末からブログを書き出したので、書くタネがなくなっている。それだが、2月4日の日曜に数学にかんした、いくつかのブログのネタを思いついたので数日は書くことがあるなと変な安心をしたのであった。

ところがその中の2つを昨日のブログのネタとしたのだが、もう一つか二つネタを思いついていたと思うのだが、今日になると忘れてしまっている。

テーマだけでも昨日挙げておけばよかったのだが、そのときは忘れたりはしないだろうと思っていた。ところが今日になって見るとまったく思い出さない。また思い出すこともあるだろうが、それがいつになるかは運しだいである。


『なっとくする複素関数』

2018-02-07 10:56:28 | 数学

(講談社)を読んでいる。解析接続の仕方について調べるために県立図書館で借りて読んでいる。はじめ解析接続とかリーマン面のところ(本の後ろの方)を先に読んで、つづいて前の方から読んでいる。

応用の複素積分のところまでやってきたので、あと数十ページを読めば、この本を全部読み終わる。私には数学の本などはじめから終わりまで読んだことなどまったくない。もちろん、自分が書いた本を除いてだが。

この本については、アマゾンコムでもさすがに文句をつける書評など一つもない。私も5つ星を与えるだろう。

もっとも注文がないわけではない。だが、それは私の度の過ぎた要望であろうか。これはこのブログでも繰り返し書いたので、またかと思う人もあるだろうが。

一つは分岐点の述べ方は悪くはないのだが、分岐点はその点のまわりでは多価関数なのに、その点では一価となる点だとはっきりした方がいい。もっとも私が知った、分岐点のこの定義を明らさまに書いてある本はあまりない(注)。

もう一つは解析接続のしかたのところで比較的多くの例がでているのはいいのだが、解析接続のしかたの種類をはっきり書いた方がいいと思う。これについては 

(1) 級数展開による方法 (2)積分表示による方法 (3)関数関係

の3つだと書いてあるのは今村勤『物理と関数論』(岩波書店)である。ただこの書は例をあまりあげていない。 

この3つの手段の他に、挙げてあるのはSchwarzの鏡像の原理をどの複素解析の本にも説明があるが、これの例をあげている本を見たことがいままでない。友人の数学者の N さんに以前聞いたところでは、電磁気学の導体近くの電場を求める映像法がSchwarzの鏡像の原理のいい例だと聞いたが、自分でまだきちんと調べたことがない。

(注)ベル『数学をつくった人びと』下(東京図書)p.194、安倍斉『応用関数論』(森北出版)pp.41-42とか矢野 忠『物理数学散歩』(国土社)pp.54-56くらいであろう。


花粉症のシーズン到来

2018-02-06 12:41:05 | 日記

今朝起きたら、鼻汁が出るようになった。そういえば、私にとっての花粉症のシーズンの到来である。2月7,8日ころが毎年の私の花粉症が起こる時期である。今年はまだ行きつけの診療所に行って花粉症の薬をもらっていない。

例年は少し早期に薬を飲み始めるのだが、今年はちょっと遅れてしまったようである。4月終りになるくらいまでは鼻汁が出るということが引きも切らない。ちょっと憂鬱シーズンのはじまりである。もっとも薬のお蔭で少しは楽になっているのだけれども。


シュレディンガーはシュレディンガー方程式が解けなかった

2018-02-06 11:54:31 | 日記

シュレディンガーは波動力学と一時言われた、量子力学の創始者である。彼は自分が立てた微分方程式である、シュレディンガー方程式を解けなかったという。それでそのころ彼が住んでいた、チュウリッヒにいた数学者の H. ワイルに頼んでその方程式の解き方を教わった。

その微分方程式の解き方はその当時はまだあまり一般的でなかった境界値問題であったという。このことはその昔、三村剛昂先生から聞いた。だからまったくのウソでもないだろう。

そういえば、これは名古屋大学の谷村省吾さんがどこかの雑誌に書いていた記事によれば、ハイゼンベルク方程式はハイゼンベルクが立てた方程式ではないという。だが、それでも世間ではハイゼンベルク方程式と言ってはばからない。それがやはりある意味ではウソではないからであろう。

もちろん、谷村さんの記事が誤っているわけではないのだが、世間的には本質的にハイゼンベルク方程式はハイゼンベルクの提唱したものだと言ってもいいという考えが一般的に流通している。

物理の分野においては数学が先にあるのではなく、現象なり、事実なりが先にあってそれを数学的にどう表すかということになる。だから、そういう現象なり、事実を発見したり、認識した人が重要視されるというところがある。数学的才能はあった方がいいけれども、数学的才能とは違ったものが要求される。

(2018.2.8付記)「神様は積分をなさらない」という誰かの言った言葉がある。積分などという数学に委ねなくても直観的に神様は何でもわかってしまうという意味だと思う。それをほんとと思うかどうかはその人によるだろう。


「頭の悪いものは数学くらいは使わなくては」

2018-02-06 11:20:44 | 日記

などと気の利いたことをいうのはもちろん私ではない。私の物理の先生で S で始まる方が3人いるが、その一番年上の先生の口癖であった。もう存命ではない。

世の中では「自分は頭が悪いから数学などわからない」という方もおられるのだが、表題の「頭の悪いものは数学くらいは使わなくては」というときの「頭の悪い」はちょっとレベルが違うかもしれない。この S 先生はもちろん「世間的な意味では」数学だってわかる頭のいい方である。だが、彼は自分はそんなに飛び切りの頭脳の持ち主ではないと思っておられたのかもしれない。それで相対的に頭の悪いものは数学くらいは使わないと物理はできないと言いたかったのであろう。

でもその昔、私が学部の学生だったころ、この S 先生の量子力学の講義を聞いた。

数式が一杯の量子力学の講義であり、その解釈もときには話されたが、あまり感覚にまでは訴えるものではなかった。もっともその講義ノートを見て、私が講義をするときには参考にさせてもらった。その講義は大体Schiffの量子力学のテクストにしたがったものではあったが、ところどころ後から考えるとBohmの量子力学のテクストからの取り入れられたと思われるものもあった。

それらで一番頭に残っていることはエルミ―ㇳ演算子のことである。エルミ―ト演算子とはその期待値が実数になるような演算子である。この点はあまりSchiffの量子力学ではあまり明確ではないが、さすがBohmはきちんとしていた。

話がタイトルから大きく外れた。しかし、私はどこかの書店などで、初等的な量子力学の本を読むとき、その本ではエルミ―ト演算子をどのように説明しているかを見ることにしている。


寒波来襲

2018-02-05 10:07:23 | 日記

ということで寒くなるらしい。今日はたまたま7時半くらいに目が覚めたので、少し早く仕事場に来た。

ということは夕方少し早目に帰った方がいいということだろう。それと食料品を少し買いだめしておいた方がいいかもしれないと思っている。もしか雪が積もって車で買い出しに行けないこともありうるから。

四国も松山だとそれほど雪が降ることはない。年に一度か二度くらい雪が積もれば、よく雪が降ったほうである。もちろん、松山からちょっと奥に入った久万町になると四国山脈に近くなり、雪が降って積もるのは普通のことだし、だからここにはスキー場がある。

それでも子どもが中学生か高校生だったころに大雪が降ったことがあって、電車が止まったことがあった。私が子どもころ、それは昭和20年(1945)だが、朝鮮から引き揚げてきたときの2月だったかに丁度大雪で親戚のおばさんの肩におんぶされて親戚のうちまで港から帰ったことがあった。そのときには大雪がよく降るのだなと思っていたが、その大雪から勘定して49年ぶりだったか59年ぶりだったかと言われてああそうか私の子どものときのあのときは珍しい大雪だったのだなと納得した。

大学4年生の卒論をやっているときに、ある日大雪で大学の校門のところのフェニックスが珍しく雪をかぶり、しばらくそのフェニックスが元気がなく、元に戻るのが日にちがかかったのを覚えている。

とはいえ、あまり雪とは縁がない地方に暮らしていることを幸いと思っている。福井に住んでいる友人の言では屋根の雪下ろしなど重労働でだれもやりたくはないのだが、雪下ろしをしないと家が雪でつぶれてしまうことになるので、しかたがないのだと言われた。彼の住んでいるところは鯖江というメガネのフレームの産地である。冬には雪が2mも積もると聞いたが、私などには想像を絶する。


『ふたりの微積分』2

2018-02-03 13:37:24 | 日記

昨夜は、一人でコタツに入って退屈だっだので、テレビを消して、『ふたりの微積分』の別の章を読んだ。一晩に一つの章くらいしか読めない。ボイヤーの『数学の歴史』からウオリスの公式の記述からのテーマだったが、sin ^{n}xの0から無限大の積分とsin ^{n+1}xの同じ積分限界の積分の比が n が無限大に大きくなるときに1となることをどう理解するかが話題で数学者の手の内を示してもらえたような気がした。

ストロガッツは応用数学者で純粋数学者ではないのだろうが、数学の本でこのような式の評価の自分の手の内を示す本はあまりないので、おもしろい。

もっともこれを理解できる人は、ある程度数学ができる人という制約はあるだろうが、これくらいの数学を理解できる人は日本でもかなりの数いるであろう。それにストロガッツの手紙をやり取りしている人はストロガッツが高校で数学を教わった先生であるので、日本でも高校の数学の先生なら、これくらいの数学は容易に理解できるであろう。

アメリカの高校の数学の教育は程度が低いとか昔聞いたが、それは全体のレベルからするとそうなんだろうが、やはりアメリカでも先進的な人々は高校生でも優れた数学を興味をもって学ぶ人たちがいる。もっとも大学院を出るころには日本人の普通の教育を受けた人よりも優れた程度となるというから驚きである。

昔、私たちが聞いていた範囲ではアメリカの大学院で学ぶ程度の数学を学部で教えているとか言って、数学の先生は日本の教育の程度が高いと鼻高々であった。もっともそれは修得の程度を問題にしない範囲であったのだが。


女性の州政府首相

2018-02-02 12:29:20 | 日記

ドイツのラインランド・プファルツ州はいま女性の首相らしい。これは朝日新聞の多和田葉子さんの「ベルリン通信」という記事で知った。

ことは多和田さんがラインランド・プファルツ州からカール・ツックマイヤー・メダルを受賞したことから、彼女が受賞のためにマインツに出かけたことから話が始まっている。

このカール・ツックマイヤー・メダルの賞は白ワイン30リットル入りの樽をもらえるという。そして生涯にわたって毎年一ダースの白ワインをもらえるという。うらやましい話だが、多和田さん個人はあまり飲めない人だという。

ドライヤー首相が女性首相その人だという。フランスの国境に近いトリア市にドライヤー首相は住んでいる。トリアといえば、ポルタ・二グラというローマ時代の市門で有名なところである。私も2,3回ここに行ったことがある。

私の好きなモーゼルワインで有名なモーゼル河の上流にある都市がトリアである。ここはカール・マルクスの生まれた町であり、彼の生家が残っている。

いま、ドイツの総選挙後、CDU・CSUは議会で多数をとったのだが、絶対多数ではなかったので、政権打ち立てることができていない。それで連立を画策したのだが、上手くいかなかった。それで一度連立から離れたSPDにもう一度話が帰ってきた。今度はこのドライヤーの「いまは(SPDが)野党にあるというロマンチシズムに溺れているときではない(カッコ挿入は筆者による)」という発言をきっかけとして、SPDが連立政府の交渉に入っている。

選挙後4ヵ月も政府をつくれないという経験はドイツでもなかったろうが、今後がどうなるのだろうか。