物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Pause, nett, Entschuldigung

2020-01-18 12:54:05 | 外国語
今朝、朝食後に妻と話をしていて思い出したドイツ語がある。

それはPauseというドイツ語であった。まだ私たちが大学の宿舎に住んでいたころこの地区にドイツ人の子どものサッカーチームを連れたコーチがやってきた。

それの世話を頼まれたのだったか、妻がその中学校の校庭にでかけた。ひとしきりサッカーのゲームか練習を彼らがした後で町内の世話役が休憩のための飲物をもってやってきた。その時、世話役は何といっていいかわからなかった。

それを見た妻がパウゼーと叫んだら、ドイツ人の子どももコーチも「おおパウゼー」と叫んで休憩ができた。あまりにドイツ人の子どもにとってパウゼ―が普通の言葉であったので、なぜ妻がこの言葉を知っているのかなどという質問はでなかった。

nettについては先日書いたので、省略する。

Entschuldigungについてはあるとき京都であった国際会議に出席したときの夜のパーティである女性がEntschuldigungといいながら、人いきれの中を食物か飲物とかのところへ行こうとしていた。

だれもそれに反応した風には見えなかったが、ああ、ドイツ語だなと一人納得したのであった。その時にどのくらいの人がその言葉を理解したのかはわからない。

母語というものは自然に出てくるものだと思えた瞬間であった。

1980年代に世界の先頭を走っていた日本

2020-01-18 11:57:27 | 科学・技術
1980年代に世界の先頭を走っていた日本の面影はないというのがマスコミで言われていることである。

確かに、世界の電気産業の先頭を走っていたソニー、パナソニック、東芝、日立等の落日は誰の眼にも明らかであろう。

AIの研究を始めたときには先頭を走っていたが、いまの潮流には乗り遅れた。

では、こういうときにどうしたらいいのか。どこかで挽回の機会を真剣に探らなけらばならない。それにはどうしたらよいかは私にはわからない。

しかし、いくつかの例をあげることをしておきたい。

トヨタをはじめとする自動車産業では早晩電気自動車に乗り替わり、それも自動運転の車が一般になるだろう。

それを見越して、中国では近い将来には電気自動車だけにするという方針が出されている。これは中国の自動車産業が極限に近くまで技術開発されたガソリンエンジンでの競争を避けたこともあるだろうし、炭酸ガスの放出を抑制するという意味もあるだろう。

太陽光発電でも同じようなことがある。光半導体の研究もはじめたころは盛んだったというのに、日本の政治の悪さのおかげで太陽光発電も立ち遅れてしまった。

いまでは韓国だとかEU諸国に主導権を握られているという。これは原発を優先させて、自然エネルギーの発電を優遇しなかった日本の政治の影響が大きいだろう。
こういう機会はいずれの分野においてもあるだろう。

風力発電の経験でもそういうことが言えるのではないかと思うが、そのあたりの詳しい事情は知らない。

話題はまったく外れるが、高校数学などで落ちこぼれてしまうことに直面している生徒には、よく新しいテーマとなるときに盛り返せと言われてきた。

たとえばであるが、対数とか対数関数はそれ以前の整式とか多項式とはかなり違っているからである。微分と積分などもそれにあたるかもしれない。

順列と組み合わせなどもそういうテーマにはいるであろう。

GAFA(google, apple, facebook, amazon)のような産業を育てることができなかった日本の体制を反省しておく必要はあろう。

 

Pauli行列の導出 3

2020-01-17 17:21:20 | 物理学
最近はすこし頻繁に量子力学のテクストを見る機会がある。今の関心事はPauli行列の導出に関係したことだ。

いくつかの方法があることがわかったが、それらをまだ細かくフォローしているわけでない。

これは、もしか「数学・物理通信」に共同編集者の N さんの原稿ができないときには載せるつもりだからである。

今日も午前中から前に書いた原稿をチェックしていた。先刻、その修正箇所を入力して、プリントしてみた。まだそれを再度チェックすることにはいたっていない。

N さんを信用して、9巻10号には私のエッセイは載せないつもりだが、あまりに発行が遅くなると、それは編集者には重荷になる。ある程度短期間に発行の仕事を片付けたいと思っている。

3の倍数のついた月だけ「数学・物理通信」を発行することにしているのは、いつもこのことばかりしているのは精神衛生上よくないからである。

それでも3の倍数の月は年に4回もあるので、編集に追いまくられる感じがする。





ホームページを持つ日が来るか

2020-01-17 11:47:04 | 日記
いや、これは私が「ホームページを持つ日が来るか」という意味である。

ブログの方はもう15年くらい書き続けているので、私の生活の一部となっている。だが、ホームページも私の生活の一部となるか。これは私にもわからない。

というのももう私は80歳を越えた老人であるのだから。とはいうものの私よりも年長の方でもホームページをもっている人は少なくない。すくなくとも私は私の知人でかつ私よりも年長の方でホームページをもっている方を存じ上げている。

もっともその方のホームページをまだ覗いたことがない。だが、この方は亡くなった私の兄の後輩であり、私よりも年長であることは確かである。理科教育が彼の専門である。

ホームページの代わりと言ってはいけないだろうが、「数学・物理通信」というメール配布の一種の雑誌を発行しており、これは名古屋大学の谷村省吾さんがご自分のサイトに掲載してくれている。

これを発行すると言った情報を彼がもったときに、どこかのインターネットのサイトに載せるべきだというご意見をいただいた。ただ、私にはその能力がなかったので、それを知った谷村さんが自分のサイトにリンクをしてくださった。

これには感謝にたえない。

村上雅人『なるほど量子力学 III』

2020-01-16 14:16:22 | 物理学
スピンとの関係で『なるほど量子力学 III』(海鳴社)の第3章を読んでみた。

昼食前に本を取り出してきて、いまさっき読み終わった。1時間はかかっているだろうが、3時間とはかかっていないだろう。

するすると読めるように書かれている。論理に結構気を使って書いていると感じた。

これは海鳴社社長の辻さんにねだって、以前に村上雅人さんの『なるほど量子力学』全3巻をいただいていたものである。

それでも、どの巻も読む機会がなかったが、今回「Pauliの行列の導出」のエッセイを書いている機会に読んでみた。

他の章を読んではないので何とも言いかねるが、少なくとも第 3 巻の第 3 章はうまく論理の飛躍なく書かれている。

この第3巻は磁性入門という副題がついているので、磁性がどのように生じたかの理論的な説明として役に立つだろう。

他の章も読んでみる機会がくれば、いいのだが。

電子にスピンが必要となったわけ

2020-01-16 11:25:43 | 物理学
スピンが必要となったわけを比較的短く書いたものとして、原島鮮『初等量子力学』(裳華房)を再認識した。

昨日、この本を取り出して読んでみたら、なかなか簡潔によく書けている。それはこの本の最後の方に近い第17章「スピン」である。
この後には第18章「多粒子系」しかないから、最後の方に近い。

実験的事実としては、銀の原子のビームがスピンによって上下に分かれるステルンとゲルラッハの実験とアルカリ原子の光のスペトラムの二重性とが書かれている。

大学に在職中にこの本を何年かテクストにつかって教えていたが、ここまで教えたことがなかった。だから初めて読んだ。

だが、昨日の午後に読み始めて、深夜12時になる前に読み終えていた。だから、全体の時間は10時間もはかかっていないだろう。するすると引っかかることもなく読める。

昨日『物理学と化学のための数学』の量子力学の章の電子のスピンの導入を示す箇所も簡潔でいいと書いたが、『初等量子力学』のほうが詳細に書いてある。

それも物理事実が詳細に書かれている。ただ、注文をつけるとすれば、Pauli行列を導くところはこれはある種の数学だというつもりか、天下りになっていて、その詳細は述べられていない。

だから、私がたぶんこの書をPauli行列を導くためには、参考にならないと判断したのでなかったろうか。

しかし、いまではいくつかのPauli行列の導出法を私はメモしているので、この『初等量子力学』の良さがわかってきたのであろう。

スピンに関しては朝永振一郎『スピンはめぐる』(みすず書房)がある。これは名著であることはまちがいがないが、あまり詳しく読んだことがない。この本をそろそろ本棚から引き出して読んでみようか。





Pauli行列の導出 2

2020-01-15 11:52:23 | 物理学
「Pauli行列の導出」について朝永さんの『角運動量とスピン』(みすず書房)にもとづいてエッセイを一つ書いた。もっともそれはまだ完成していないのだが、普通の人ならもう完成と思っていいくらいであろう。ただ、私の基準ではまだ完成とはいかない。

それで、そのギャップを埋めることができる文献がないかといろいろ私のもっている本を探していた。

それを探しているうちに、私が前につくった同じテーマのノートにであった。そのノートは数ページだったので、すぐに読み返せたのだが、その下敷きにした本、マルゲナウとマーフィの『物理と化学のための数学』II(共立全書)の該当箇所を昨日読んだ。

これを前にはきちんと読んでいなかったが、優れた書であり、量子力学にスピンという概念が導入されるきっかけとなった実験的な事実もきちんと書いてある。

それで、ちょっと走り書きの計算をしたりしながらその部分を読んだのだが、「Pauli行列の導出 2」とでもいうべきエッセイが書けそうな感じがしてきた。

私は頭が悪くていくつかの方法で同じことを導いて見ないと了解できない。それでいくつか異なった方法で導くのを常としている。

先ほど、メシアの『量子力学』(これは英語の訳書:(注))をちらっと見たのだが、あまり納得できる書き方ではないような気がした。

(注) メシアの本は日本語訳もあるが、日本語の訳書はもっていない。英訳の書をもっている。英訳と書いたのはこの一番の原書はフランス語だからである。

(2020.11.25付記) この「Pauli行列の導出」というエッセイは「数学・物理通信」9巻10号(2020.2.3)に掲載されている。「数学・物理通信」でインターネット検索すれば、名古屋大学の谷村先生のサイトにあることがわかるので、関心のある人は読んでみてください。

不勉強な私

2020-01-14 11:28:08 | 日記
大学入試のために受験勉強していたころでも、英語の受験参考書は1冊も読んだことはない。これは2歳上の兄などは高校3年にときには山崎圭次郎の『英文解釈法』を懸命に読んでいたから、それと比べても不勉強のそしりはまぬかれまい。

もっとも、この兄と比べて私の英語力が劣っているとは自分でも思ってはいないから思い上りもはなはだしいかもしれない。

兄は一生懸命記憶しようとしても次の日には忘れているといつも嘆いていた。いつだったか、もう何十年も昔のことになるが、この兄の子(すなわち私の姪)の結婚式のときに、兄の高校のときの友だちが「お前の兄貴も本来は理科系だったよね」と言われたことがある。

私の兄は大学では法学部に学んだが、別に弁護士とか裁判官とかのすばらしい職には就かない人生を送った彼はたぶん記憶力が十分ではないことを自覚していたのであろう。

(2023.4.24付記)ここに挙げた私の兄は2年前に亡くなっている。コロナ禍で死ぬ前に会えなかったので私の頭の中では彼はなかなか死んだという実感がわかない。ただ、実家に行くと彼にはもう会えないというのは事実である。それでも私にはなかなか実感がわかない。

All's well that ends well.ってドイツ語では

2020-01-13 18:01:25 | 日記
All's well that ends well.(終わりよければ、すべてよし)ってドイツ語ではどういうのかと思って、
昔聞いた小塩節先生のNHKのドイツ語講座のテクストにないかと探しに行ったが、そこには見当たらなかった。

それで、インターネット検索したら、すぐに出て来た。

Ende gut, alles gut.

だって。

ここには動詞があからさまには出てきていない。
それにしても訳が簡単だと感心した。

インターネットの検索によれば、これは原典はシェークスピアらしく、文法的には
All that ends well, is  well.
というのが文法的には正しいらしい。しかし、
All's well that ends well.
でそのまま覚えておきなさいと書いてあった。

私などは
 All is well, that ends well.
とAll'sとは覚えていなかった。

成人の日

2020-01-13 16:58:13 | 数学
今日は成人の日で祝日である。

もっとも私には今日は仕事日である。それで昨日の日曜日に最後の読み返しをした原稿を修正して、「数学・物理通信」9巻9号を編集し、発行した。

なかなか9巻9号の発行できなくてストレスがたまっていたが、これでちょっと肩の荷が下りた。

もう一号の9巻10号は今月中に発行になれば、いいほうであろう。これは共同編集者の N さんの仕事の進み具合にかかっている。

もし、それでも仕事があまり進まないようなら、私のエッセイの完成を急いで、9巻10号に載せることも考えなくてはならない。

Nさんを昨年の12月に訪ねたときには、なんだか元気で前からの彼の課題の「無限級数の収束半径」の論文を入力しており、いまにも完成しそうな勢いであった。

ところが年が明けて行ってみるとその原稿ができたのかどうかもわからない。本人も記憶があやふやである。パソコンのどこにかその原稿が残っているのかどうかもわからない。

二つほど「無限級数の収束半径」に類似のタイトルの書きかけの原稿があったが、それは1ぺージか2ページくらいの短いものでとても完成に近いものではない。ほかにも原稿がどこかに入力して、それを忘れてしまっているのかどうかも私にはわからなかった。

ともかく現時点で、「数学・物理通信」を通巻で79号まで発行したことになる。





一本とられた

2020-01-13 11:50:11 | 外国語
今朝、妻がコーヒーを入れてくれるというので、ドイツ語で

Du bist freundlich.

と言ったら、妻にそれは nett でしょうと言われた。その通りである。nettという語を思い出さなかったので、freundlichと言ったミスを鋭く突かれてしまった。

前の表現であるが、ほんとは

  Das ist sehr nett von dir.

とでも言ったらよかったのであろう。

妻はあまりドイツ語が上手に話せるわけではないが、全く話せないわけでもなく、ちょっとした短い話ならできる。

私などと比べれば、はるかにドイツ語を話す経験は少ないのだが、その妻に教えられてしまった。これは私がドイツ語を母語にする話者ではないからしかたがない。

これは私のことではないが、ある日本人のドイツ文学者を若いころに知っていたが、彼が毛皮のコートPelzmantelという語を度忘れして、四苦八苦している場面に出会ったことがある。

彼はスイスの留学したドイツ文学者であり、ドイツ語もよくできる人だが、それでもときにはそういうことがあるという例として知っている。これは単に度忘れだから、その語を知らなかったとは思わない。



「Levi-Civita記号はテンソルか」についての私の見解

2020-01-12 08:19:07 | 数学
 「Levi-Civita記号はテンソルか」についての私の現在の理解はどうか。

「相対テンソル(またはテンソル密度)」というのが正しい答えかと思ったが、特殊相対論の範疇ならば、「擬テンソル」というのが正しい答えらしい。

内山龍雄『相対性理論』(岩波書店)には、両方が書かれてあった。石原繁さんの比較的新しいテンソルの本、『テンソル』(裳華房)では擬テンソルと書いてある。

擬テンソルは一般的には相対テンソルであるのだろうが、これは空間反転をすれば、普通のテンソルではない変換をするので、擬テンソルというのが正しい。もっとも空間反転を考えないとすると、これはテンソルであるといってもよい。

数学書でも岩堀長慶『ベクトル解析』(裳華房)ではテンソルと書いてあるが、空間反転のことを考えていないのだろう。岩堀さんくらい、偉い数学者がまちがいを起こすとはあまり考えられないのだが。

私も堂々と小著『数学散歩』(国土社)ではテンソルと書いてしまった。もちろん、そのときには愛媛県数学教育協議会を長年率いて来られた故矢野寛(ゆたか)先生からはLevi-Civita記号は相対テンソル(テンソル密度)という指摘はすでに受けていた。

もうこれは35年ほど前の1985年のことであり、愛媛県数学教育協議会の機関誌『研究と実践』に掲載された「テンソル解析における学習の問題点」というエッセイへのコメントであった。

このエッセイは私がテンソルを理解するときにとまどった点を述べたものである。そして、テンソル解析の初歩を学んで、それをベクトル解析に応用したらよいとの考えはいまでも変わらない。

そのことを知った矢野先生はいままでの自分のもっていた常識が覆されたと大いに喜んでくださった。愛媛県の数学教育において、そういう目利きの方が少なくなっているのはさびしい。

このエッセイは小著『数学散歩』(国土社)に収録された。これらのベクトル解析に関するエッセイが同書に収められているので、『数学散歩』の抄刷版である『物理数学散歩』(国土社)に古本で法外な24,000円の高値がついたり、『数学散歩』の無料のpdf文書を入手できる4つか5つのサイトがインターネット上で見られたりしたのであろう。

しかし、こういうインターネットのサイトは年明けに調べたら、それらはほぼ一掃されたように見えるがはたしてどうだろうか。

それらのサイトは著者の私の著作権を侵害はしていたかもしれないが、若い学習者には役立っていたのだろう。だから、内心複雑な心境にあるというのが偽らざる気持である。



今年の目標は?

2020-01-11 21:49:26 | 数学
今年の目標をどうするか。

いま考えているのは,『四元数の発見』の英訳の完成が一つの目標である。
そのためには日本語での書き換えや足らないと思っている箇所をまず書き
上げる必要がある。しかし、それらはかなりできている。

「ベクトルの空間回転」の章の書き換えは出来上がっており、「数学・物理通信」の
9巻9号に掲載される。これは近日発行の予定である。

さらに、「Pauli行列の導出」の原稿もかなりできあがっているが、ちょっとまだ論理を詰める必要がある。

さらに義理を欠いている、小川修三『量子力学講義ノート』第3部を今年こそは完成させなければならない。

この二つが私の優先すべき事柄である。

それにもちろん「数学・物理通信」の10巻1号から10巻10号までの発行がある。
これは原稿をどれくらい多く手に入れられるかにかかっている。


自分のエッセイを読み返したら

2020-01-11 21:33:51 | 数学
自分のエッセイを読み返したら、けっこう修正するところがあった。
しかし、これで週明けには「数学・物理通信」9巻9号の発行ができそうだ。

金曜日に共同編集者の N さんに会いに行って、9巻8号から10号の予定稿までを彼のパソコンにコピーをした。
そのために行ったのである。彼に原稿を書いてもらうための発破をかけに行ったということもある。

もう一人共同編集者を増やす話もしたら、特に N さんからは異論は出なかった。

9巻10号は1月中には発行するつもりである。

3月発行の10巻からは3人の編集者で編集と発行が行われることになろう。これで私も一安心である。

1月の子規の俳句

2020-01-11 12:33:22 | 日記
E大学の校友会が送ってくれたカレンダーの1月の子規の俳句は

 若水になりてこぼるる筧かな 子規 
    New Year's water 
    overflowing
    the bamboo gutter    (1895)

である。
gutterという英語は知らなかったが、辞書を引いてみると古い辞書には「(道端の)どぶ、溝」の
意味が最初に出てくる。2番目に「雨どい」が出てくるのでやっとほっとした。

あとは難しい単語はない。

写真がついているが、これは松山城二の丸史跡庭園の筧の写真である。
このブログは写真抜きのブログであるので、写真はお見せできない。