今朝、朝食後に妻と話をしていて思い出したドイツ語がある。
それはPauseというドイツ語であった。まだ私たちが大学の宿舎に住んでいたころこの地区にドイツ人の子どものサッカーチームを連れたコーチがやってきた。
それの世話を頼まれたのだったか、妻がその中学校の校庭にでかけた。ひとしきりサッカーのゲームか練習を彼らがした後で町内の世話役が休憩のための飲物をもってやってきた。その時、世話役は何といっていいかわからなかった。
それを見た妻がパウゼーと叫んだら、ドイツ人の子どももコーチも「おおパウゼー」と叫んで休憩ができた。あまりにドイツ人の子どもにとってパウゼ―が普通の言葉であったので、なぜ妻がこの言葉を知っているのかなどという質問はでなかった。
nettについては先日書いたので、省略する。
Entschuldigungについてはあるとき京都であった国際会議に出席したときの夜のパーティである女性がEntschuldigungといいながら、人いきれの中を食物か飲物とかのところへ行こうとしていた。
だれもそれに反応した風には見えなかったが、ああ、ドイツ語だなと一人納得したのであった。その時にどのくらいの人がその言葉を理解したのかはわからない。
母語というものは自然に出てくるものだと思えた瞬間であった。