大学入試のために受験勉強していたころでも、英語の受験参考書は1冊も読んだことはない。これは2歳上の兄などは高校3年にときには山崎圭次郎の『英文解釈法』を懸命に読んでいたから、それと比べても不勉強のそしりはまぬかれまい。
もっとも、この兄と比べて私の英語力が劣っているとは自分でも思ってはいないから思い上りもはなはだしいかもしれない。
兄は一生懸命記憶しようとしても次の日には忘れているといつも嘆いていた。いつだったか、もう何十年も昔のことになるが、この兄の子(すなわち私の姪)の結婚式のときに、兄の高校のときの友だちが「お前の兄貴も本来は理科系だったよね」と言われたことがある。
私の兄は大学では法学部に学んだが、別に弁護士とか裁判官とかのすばらしい職には就かない人生を送った彼はたぶん記憶力が十分ではないことを自覚していたのであろう。
(2023.4.24付記)ここに挙げた私の兄は2年前に亡くなっている。コロナ禍で死ぬ前に会えなかったので私の頭の中では彼はなかなか死んだという実感がわかない。ただ、実家に行くと彼にはもう会えないというのは事実である。それでも私にはなかなか実感がわかない。