物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

自分自身のこだわり

2020-09-10 12:37:21 | 数学
自分自身のこだわりを私ももちろんもっている。

しかし、それは自分自身の関心事に関してである。これは、たとえば、どういうことに関係しているかというと何でも「自分がわかった」ということに関してである。

複素解析(元は「関数論」といわれていた)で分岐点と解析接続の二つが私のもっている2大問題点であった。完全に解決しているかどうかは何とも言えないが、分岐点のほうは私の問題点ではなくなった。

しかし、解析接続の方はまだ自分の問題点からはずしていない。それも私の関心は解析接続の方法とその具体例を納得したいというところにある。このことは15年以上に及ぶこのブログの中でもたぶん1度ならず言及されたことがあるだろう。

こういうことは誰がどういおうと自分の納得ができるまで私の問題点の一つから消えることはない。

こういうこだわりと自分が考えてどうでもいい些細なこととは区別している。研究者にはこだわりがなくてはならない。だが、それがあまりに小さなことには及ばないように配慮できることは大切である。

暇をつぶす方法

2020-09-10 12:17:14 | 本と雑誌
暇をつぶす方法はどんなものがあるのか。

「ナンプレ」とか称するクイズもあるようだし、「脳トレ」とか称する小冊子も売っている。それも100円ショップで。妻がある集まりで自分は「脳トレ」をやっていると言ったら、その小冊子を買ってきてほしいという人が少なくとも複数いたらしい(注)。

それで老年をどうやって過ごしているのかがすこしわかるような気がした。
それで昨夜「ナンプレ」のしかたを妻に聞いたのだが、どうもあまりにも「虚しすぎる」という気がして、私から三角関数を一緒に勉強しようと提案した。

妻は高校時代以降には子どもが高校で三角関数を学んでいたころ三角関数を勉強したという経験がある。このときは子どもから教えを受けながらだったという。

それ以来の三角関数の学習である。さてどうなるか楽しみである。

だが、ナンプレをするよりは生き甲斐を感じるはずだ。

(注)自分では「ナンプレ」だの「脳トレ」を買いに行く気はないが、それでも人に頼んで買ってきてほしいというこの積極性のなさは問題だと思う。

やはり積極的に時間をつぶす必要を自分が感じているのなら、自分で「ナンプレ」とか「脳トレ」を買いに行くべきだ。そのことからむしろ、どう自分の残り人生を生きるかを考えることが望まれる。別にどういきようともその人その人の勝手ではあるけれども。

ビールのCM

2020-09-09 13:55:32 | 本と雑誌
テレビでよくビールのCMを見る。別にビールに恨みはないが、私はあまりビールが好きではないほうである。

もっともサントリービールだかの会社の社長さんは私の物理の先生の息子さんであるといういうような因縁がある。

サントリー関連の会社はたくさんあるので、それいずれの会社の社長さんなのかをくわしく調べたことがない。

ともかくビールが飲めないのではなく、もし飲めば人並みには飲めるとは思うが、あまり好きでないのである。

それでも若いときには一日忙しかった日などは「自分に今日はよく働いたね」という励ましの気持ちもあって、1ビン, 2ビンを飲んだものだが、最近は妻と二人の生活ではそういうビールを夕食に飲むという機会はほとんどない。そういう気が自分に起こらないのである。

むしろワインの方が好きだが、それだって数年前には妻と少しは飲んだが、最近はそういうことも極めて少なくなってきている。

経済的にワインが飲めないということでもないのだが、妻がワインをはじめて飲んだときに酔いがまわってしまったために、自分にアルコール耐性がないということがわかって、それから用心してあまり飲まないこともある(注)。

それでもグラスの半分くらいなら、おつきあいに一緒に飲んではくれる。にぎやかのことは妻は嫌いでないからである。

(注)これはドイツのAachen近郊の宿屋での一幕で、土地のうまいワインを飲んだら、口当たりがよくて、グラス一杯のワインを一息に飲んで酔ってしまったのであった。

「数学・物理通信」10巻7号の編集

2020-09-09 13:46:48 | 数学
「数学・物理通信」10巻7号の編集を昨日行った。

とはいっても、原稿自体が確定したわけでもない。一つの原稿がほぼ出来上がって入るのだが、著者からの修正が続いている。それにしても、これもほぼおわりである。

ということで、共同編集者のSさんに編集後記を書いてもらうように編集予備原稿を昨日送った。

もっとも完全に編集ができあがってからも数日は手元におくことにしている。これは私がもともと粗忽者であるということに起因している。

9月の数学・物理通信の編集と発行は6号と7号とで終わりである。7号の発行は14日以降であろう。



共円、共線、共面

2020-09-08 17:45:36 | 数学
共円、共線、共面とかいう用語の問題である。

あまり一般的に使われない用語なので、数学・物理通信に投稿された論文を読まれた方からちょっと言及があったので、調べてみたが、あまり私のもっている本にはどれも詳しく書いてない。

特に共円、共線が投稿論文に使われていたのだが、この説明があるのは武藤先生の本しかない。

それによって編集後記に追記をしておいたが、もっとちゃんと調べて数学・物理通信に掲載しておいたほうがよさそうである。

共円は4つ以上の点が一つの同一円上にあることを意味するが、同一直線状にない3つの点を通る円は一つに決まるとか。

また、直線は2点が決まれば、一つ決まるから、2点が一つの直線上にあるということは当然であるので、3つ以上の点が同一直線上にあるときに共線ということが意味をもつ。

同様に考えると3つの点があれば、平面が決まるから共面とは4つ以上の点が同一平面上にあることを意味するとか。

いままであまり考えたことがなかったが、こういった事情がある。

数学・物理通信10巻6号の発行

2020-09-08 17:33:52 | 数学
先刻、ようやく数学・物理通信10巻6号を発行した。

つぎは数日中の7号の発行をすることである。一応の編集をしたが、編集後記もまだもらってないし、投稿された原稿もまだ出来上がった段階ではないが、それでも編集にとりかかった。

これはどうしても9月中にやり上げたい仕事があるからだが、ほんとうにできあがるかどうかはわからない。


体調の不調の原因は

2020-09-07 08:13:20 | 本と雑誌
体調の不調の原因はいままで全く見当がつかなかった。

今朝になってようやくこの体調の不調の原因に思い当たった。それは冷水をがぶがぶ飲んだことであった。

昨年までなかったことに水のタンクを借りたということがある。だいたいは温水が出るのだが、それとあわせて冷水も出るようになっている。

今年の夏の暑さで8月の半ばくらいから温水を飲むことを止めてもっぱら冷水だけを飲んできた。

これでは胃腸を壊さない方がどうかしている。そのことに全く頭が及ばなかった。それくらい今年の夏は暑かった。

ところが台風が来て、松山はそれほど被害がなかったようだが、少し雨が降っていくぶん8月の暑さが9月になって和らいできた。とはいってもまだまだである。

それで私もその冷水のがぶ飲みに頭が行くようになったわけである。

私はなんて馬鹿なんだろう。

微熱と食欲不振

2020-09-06 20:20:07 | 本と雑誌
この数日微熱が続いて体が熱く、食欲不振であった。昨日は朝何か食べた覚えがあるが、昼は食べる気が起きず、妻がこれを食べて見たら、あれを食べてみたらとか勧めてくれるのだが、どれも食べたくない。普通なら夕食に出るデザートのぶどうを数粒つまんで食べた。

だいたい私は健康な方であまり食欲不振に陥った記憶がない。でも食欲が起きないのだからしかたがない。テレビを所在なく見ることで過ごした。

そうすると真夜中の11時近くになって空腹を感じるようになってきた。それで妻に急に空腹を感じたと言ったら、妻が自分が夕食に食べたものの一部で私の食欲のわきそうなものを用意してくれたので、それを食べて就寝した。

夜は普通は1度か2度は目が覚めるのが普通だが、昨夜はまったく目が覚めず今朝8時近くまで眠ることができた。

そのおかげで土曜日の朝に食べたバゲットの焼いた残りを3つほどコーヒーにつけて食べることができた。やわらかいものなら喉を通ることがわかった。

お昼も大体それにそった昼食だった。ようやく夕食になって普通に食べることができるようになった。

すこし、足に力が入るようになったが、まだ十分ではない。

体調の不調

2020-09-05 12:48:53 | 本と雑誌
体調が不調である。

まず肉類を食べる食欲がわかない。食べられるのは果物ばかりである。桃とかブドウとかはなんとか食べられるが、他の食物はあまり食欲がわかない。

今週はいつも日曜に働かないのを共同住宅の監査のために休まなかったのが、ここに来て疲労の蓄積になったのか。

妻はモーリーの定理をまとめるための過労がここにきての体の不調につながっているのではないかという。冗談めかしてはいるが、それはある程度あたっている。

そうかもしれない。だが、これを8月にまとめるという以外に選択肢はなかった。

売る人、つくる人

2020-09-04 12:50:05 | 本と雑誌
昔の江戸時代に職業では士農工商といって商売をする人々が一番下の階層に属していた。

しかし、現実は武士も商売をする人からお金を借りたりしていたから、商人が必ずしも実質的な階層が一番下にあるわけではなかった。

そのせいでもあるまいが、妻は日ごろものを作る人よりも売る人の方がえらいといっている。

どういうことかというと、何かちょっとした工作物をつくってもつくる人はごまんといるが、それを売って金に換えられる人は限られるというのである。

別に大きなものを売っているわけではない。ちょっとした買物の籠をつくってそれを使っていると、それに感心した人から、同じものつくってほしいというような注文が入るのである。

そうやって友人がつくったポーチだとか籠だとかをある時はちょっとした売店の店先でうってもらったり、自分で注文を受けたりしているという次第である。

これはだから利潤を得るというような仕事ではないが、友人たちをそういう風に作業に引き込んで、作ってくれた作品のいくらかの売却益をその人たちに還元している。

今朝も朝食後の話しの中で出てきたのだが、彼女は自分がつくったものがいくらか売れた場合にはそれを医療生協の支部活動の特別会計に組み入れている。だからそのことでは彼女は一つも私的な利益を得ていない。

もちろん、年度末の支部の旅行の費用の一部とか会議でちょっと豪華な昼食の代金の一部になっている。でもそれはもちろんあまりの贅沢ではない。

医療生協の支部活動も妻が支部長をしている支部は他人から財政が比較的豊かだとか噂されるのはそういう日々のちょっとした努力の積み重ねである。

支部活動は楽しいことばかりではない。月々の支部会報の配布とかも支部連絡委員という7,8人くらいの人の集まりが引き受けての手配りである。

いわば、郵送料を節約してそれを年度末の自分たちの会合の昼食代等にしているのである。

こういうふうに考えると本を書く人よりもその印刷された本を売る人(出版社)のほうが苦労をしているので、偉いということになるであろう。いやあ、私なども出版社さまさまである。



子規の俳句(9月)

2020-09-03 12:56:40 | 本と雑誌
8月の子規の俳句を載せられなかった。

9月の子規の俳句を載せておこう。

 駄菓子売る茶店の門の柿青し (子規)
 green persimmons 
    by the gate of a teahouse
    selling sweets      (Shiki 1895)

persimmonとは辞書を引くと柿の実とある。しかし、81歳のいままでこの英語は知らなかった。

ちなみに、柿はドイツ語で der Khakiだったかである。日本語でカキといっても通じると思う。このKhakiはスペインから来たというドイツ人もいる。

(注)もっとも私のもっている独和辞典ではder Khaki, das Khakiには果物の柿の意味が載っていない。しかし、Khakiは多分そのままでドイツ人に通じるであろう。

 

「数学・物理通信」10巻6号の校正

2020-09-03 10:28:44 | 本と雑誌
「数学・物理通信」10巻6号の校正に入っている。これがなかなか手間がかかる。

共同編集者のSさんから素原稿を読んで、ご意見をいただいたので、その意見を生かすべく原稿の順序を置き換えた。

それだけではなく、原稿を読み直しているのだが、なかなかミスがなくならない。一応の編集というのは本当に一応の編集であって、むしろこれからの方が手間がかかると思う。

それでもその努力をしたくないのなら、「数学・物理通信」の発行などしなければよいのだといわれればその通りである。

私自身のやりたいことの20%くらいしか、いままでにやれていないという感じをもっている。だから自分自身のエゴだけを考えるのならば、「数学・物理通信」の発行など止めて、自分の考えていることだけに集中すべきなのであろう。

しかし、そう考えたとしても「数学・物理通信」の発行を止めるべきではあるまいとの平凡な結論におちつく。

いままで「数学・物理通信」の発行を止めるなどと考えたことがなかったのは自分でも不思議である。


岩波新書 解説総目録 1938ー2019

2020-09-02 14:14:38 | 本と雑誌
岩波新書(青版)が発行されていたのは私の学生時代であり、次兄が大学の在学中に岩波新書を100冊読むのだとがんばっていたことから、いくぶん刺激されたかと思うが、私にはやはり100冊を越えて、大学在学中に読むことはははるかに遠かったと思う(注)。

それでもきちんとはじめからおわりまで読んだ岩波新書は松田道雄さんのものとか島崎敏樹さんのものとかが多かった。

数学の遠山 啓さんのものも好きだったが、数学はきちんと最初から最後まで読んだかどうかはわからない。『数学入門』上と下とをきちんと最後まで読んだと言えるのはずっと後になってである。

武谷三男の研究者の一人となっている、いまでも『原水爆実験』を最初から最後まで読んだかどうかはあやしい。重要な章はもちろん読んではいるが、全部最初から最後まで通して読んだかどうかは疑問である。『物理学入門』上は、はじめの2章ぐらいしか読んでいない。

大体、乱読であり、あまり人に勧められるような読み方ではない。

新赤版になってからは岩波新書から遠ざかって久しい。黄版のころの岩波新書はそれほど買って読んだわけではないが、長兄が交通事故で亡くなって何年かして、その蔵書を少なくとも岩波新書は全部私がもらっている。

(注)この次兄も今年の2月に亡くなった。

昨日は疲れた

2020-09-01 10:31:10 | 本と雑誌
昨日は疲れた。

午前中は共同住宅の一年分の会計の検査であった。これは妻が手伝ってくれたので大いに助かった。

その後、妻が午後昼寝をしている傍で10巻6号の編集をした。大慌てで編集したので共同編集者のSさんからそのやっつけ作業の欠陥を指摘された。

まあ、これからが本当の編集作業の開始である。自分のやった仕事はなかなか客観視しにくいものである。外から見て指摘してもらって、ようやく自分のやった欠陥に気づくものである。

それを指摘してくれる人がいることは幸せである。