物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本には民主主義がない?

2020-09-19 11:25:42 | 本と雑誌
日本には民主主義がない?などというとそんなバカなという反応がありそうだ。

なにかというと新しい首相が誕生した直後の世論調査では65%の支持だというのを聞いて私のつぶやいた言葉である。

本当の民主主義が日本に根づいているのならば、時の政府が50%以上の世論の支持を得ることはないのでないかと聞いたことがある。それの受け売りなのだが、果たしてどうか。

個人的には首相になるような人とか、なった人とかとは会ったこともないのが普通であるが、実は何十年も昔に菅さんに一度だけ何人かの人々と短い時間会ったことがある。

もちろん、彼が今のように首相になることなど想像もできないころである。

彼が私のことを覚えているはずはない。だから、悪口を言っているのではない。そういういきさつがあったから、私は菅さんが苦労人であることを前から知っていたが、とうとう首相にまで登りつめてしまった。

彼の場合には自分の努力が十分に報われたのだが、他の人にとってはいかに努力してもそれが報われないことが起こりうることを理解できる人であってほしいと願っている。

開け、ゴマ

2020-09-18 12:56:32 | 本と雑誌
「開け、ゴマ」とはフランス語ではSesame, ouvre-toiだと知った。このブログではアクサンは書けないので省略されている。

これはNHKの第2放送の「まいにちフランス語」の応用編での講座で聞いたのである。

もう通算でいえば、50年近くも聞いているのだが、はじめごろはやはり応用編は難しかった。いまでもあまり上達していないために難しいことは変わりがないのだが、いくらか耐性ができた感じがする。





日記など書いたことがないが、

2020-09-18 12:43:46 | 本と雑誌
日記など書いたことがないが、このブログはほぼ毎日日曜日を除いて書いている。こんなに書くことがあるとは自分でも不思議である。

私の存じ上げている人に何十年も日記を書いている人を知っている。しかしこの人以外にそういう人は知らない。

いつも日記帳を携帯していて、ちょっとしたことをメモっておられる。これはまったく真似ができない。

その人と知り合ったのももう何十年も前である。この日記では後から見て修正をしたりはしないのだろうが、私のブログでは他人からのアクセスがあれば、読み直して自分の文章の修正をしたりしている。

だから、二度三度同じブログにアクセスする人は、もしかしたらちがった印象を同じブログから受けているかもしれない。

文章の修正ということでいつも思い出すのは中国の政治家・毛沢東のことである。彼は自分が書いた重要な文書でも読み直すごとに文言の修正をしていたことで知られている。

私のブログは別に彼のような歴史に残る文書ではないので、どうでもいいのだが、やはり修正を止められない。



双対空間

2020-09-17 11:29:33 | 科学・技術
双対空間という概念をどう数学の本で説明しているのか関心をもっている。

いやほんとはそんなことに関心を持つ時間は9月中はないのだが、それだからこそなんだか、急に双対空間をどう多くの数学の本が説明しているのかに関心が出ている。

結晶学で逆格子空間が直接格子空間の双対空間となっているはずである。逆格子はなかなか理解しがたい概念であるが、それと双対空間とが重なっている。

こんなことに関心が飛んでしまうのは、もちろん現在書こうとしている徳島科学史雑誌への投稿したい論文「他人から見た武谷三男6」を書くことがうまくいっていないためである。

それで気分転換にそういうことに関心をもったのである。今年は武谷技術論を論じた人の論説を取り扱うつもりである。ところが詳細な分析でいろいろ武谷技術論の難点を指摘されたのを読むと、それらに対して、どう論を立てたらいいのか苦心をしている。

嶋啓さんの『技術史論争』(ミネルヴァ書房)のこれらの論点を打破する論点は私にはほとんど見いだせない。ただ、いくつかの論点の不整合とか、あいまいさはあっても武谷の技術論はいわゆる労働手段の体系説よりは私にピタリとくる。これは私が社会科学者ではないためであろう。

だから、武谷の技術の定義の「客観的法則性の意識的適用説」は労働手段の体系説よりもより真実に近いと思っている。だから細かな論理の不整合性とかは指摘されても方向としてはいいのではないかと思っている。

新しい概念を提案することは、それが整合的であることよりも重要であると思う。新しい概念はなかなか提唱できるものではないから。

本物やら偽物やら

2020-09-16 17:24:25 | 本と雑誌
本物やら偽物やら判断がつかないことが多い。

ということは私たちはきわめて用心してかからねばならないということだ。だからたいていはメールできた指示は無視することにしている。

そうでないとぜんぜん知らないところで私の情報を使って現金を引き出すという
ことが行われかねない現在だからである。

それでも自分で自分を防護ができないのかもしれないが。

不思議なもので

2020-09-16 11:15:48 | 本と雑誌
あるブログを書いている人が私のサイトを訪れたときにいろいろコメントではなく、評価をくだしておられた。

それでその人はどんな人なのかとその人のブログを訪れてみると、この人は陸上競技のコーチをされている方でご自分がではなく、指導されている若い人たちが走っている写真がたくさんでている。

それにまったく感心をしてしまった。それで短いコメントを書いたら、それを見たわけでもないのだろうが、私以外にもコメントがたくさん入っていた。

いつも短いコメントを寄せていた人まで少し長いコメントを寄せているらしい。

いや、一生懸命に陸上のコーチをされている人なんて私の知っている人にはいない。もっとも私は知人や友人が少ないほうなので、私を基準に何でも話を進めるのはまちがいだが。

時代を先んじる人は見通している

2020-09-15 15:35:49 | 本と雑誌
先日、羽仁五郎のことをある本で読んでいたときに、羽仁五郎がこんなことを言っていたことに気がついた。

それは「独占資本主義はインフレでしか利潤を上げることができない」とあった。これはなんのことはない。現在の言葉で言えば、インフレターゲットの政策のことではないか。

以前に同じことを読んでいたはずだが、まったく理解できなかった。

別のことであるが、今読んでいる中井正一の文庫の解説に長田弘が中井の見通しについて書いている。

「技術の進展とともに、図書館は文庫としての図書館から情報の中心としての図書館に、やがてありようを変えてゆくと言ったのは、戦後、中井正一が最初だ。」

「われわれにとってもっとも必要な情報というのは、図書館がしまってきた人類の記憶だ、と中井正一は書き残す。なぜなら、われわれの歴史が誤りをおかしているとすれば、誤りの傷を癒すただ一つの手がかりというのは、つねに人類の記憶としての本のうちにあるからだ」

こういう力強い言葉は凡人の私たちにはなかなか言えない。

カオス

2020-09-15 10:16:30 | 本と雑誌
カオス!これは数学的な意味で言っているのではない。

昨日、『中井正一評論集』(岩波文庫)の「委員会の論理」という冒頭のエッセイを読んでの感想である。

どうも哲学の歴史を全く知らないのが、理解を妨げているらしいことはわかった。

それでもはじめのところを過ぎると同じようにわからないのだが、すこしまともになってきたような気がした。

いや、私がではない。中井さんの書くことがである。この岩波文庫の解説を書いているのが、詩人の長田弘さんだが、どういう関係がある人なんだろうと思った。

もう長田さんも亡くなっていると思うが、いつだったかこの人をNHKで見かけたことがある。

「委員会の論理」

2020-09-14 15:40:00 | 本と雑誌
中井正一の「委員会の論理」というエッセイを読み始めている。

これは岩波文庫の『中井正一評論集』の冒頭のエッセイである。まったくわからない。しかし、初読がなければ再読もないので、わからなくても読んでいる。

これは項目が18まであるのだが、ようやく8まで来たところである。これで半分まで来たのかどうかはわからない。

特にはじめのほうはまったくわからなかったが、だんだん具体的になってきたので少しは判読できそうになってきている。

これは武谷の技術論の先駆をなしているものに中井正一の「委員会の論理」と三木清の技術の哲学があるのではないかという論考を読んでいるため、その参考に必要になっている。

三木清の方はどこに掲載されているのかもわかっていない。

トニオ・クレーガー

2020-09-14 10:19:14 | 本と雑誌
『トニオ・クレーガー』はトーマス・マンの処女作であろうか。

ドイツ文学の泰東の小塩節先生がこの小説が大好きだと昔テレビで言われていたので、岩波文庫のその訳を買ってもってはいたが、読む気にはならなかった。

昨日、レーニンの『哲学ノート』の岩波文庫を探していたときに、見つけて読んでみた。

短編と言っていいのだろうか。90数頁で一日で読むことができた。ドイツのOstsee(バルト海)に面した港町リューベックがトーマス・マンの生まれた町である。残念ながら私はそこへ行ったことがない。

あまりそのリューベックらしい描写はないように思ったが、翻訳は名翻訳かもしれないが、やはり少し面倒でも原文にあたってみたいという気が起きた。いや、私にそれが読めるかどうかは自信がない。

小説の最後のほうで自分の生まれた町を訪ね、詐欺師にもう少しで間違われるという話とかもあり、自分はこの町のある名家の出身であるともいわず、ようやく小説の校正刷りを見てもらって警官の尋問から解放されるという話もある。

生家はすでに民衆図書館とか他人が住むようになっているので、わずかにその図書館を訪ねることによって元の自分の部屋や朝食をとった部屋とかを見ることができたとかいう話がでてくる。

トーマス・マンの他の小説も読んでみたい。


「他人から見た武谷三男6」を書き始めた

2020-09-12 16:59:57 | 本と雑誌
「他人から見た武谷三男6」を書き始めた。

8月22日だったかの高松での徳島科学史研究会での講演をzoom参加ですませたのだが、その講演に対応した論文をようやく書き始めたが、ほんの数行である。

もっともどういうふうに議論を進めるのかがむしろ問題なのである。それがないと結局とのところ形の上では論文投稿しても形の上だけのこととなる。

そこいらがやはり難しいところである。一応の結論は講演をしたときにはでていなかった。いまは一応の結論を得ているのだが、それが実のあるものかどうかはわからない。

近藤康太郎さん (3)

2020-09-12 10:51:59 | 本と雑誌
もう何回目かの朝日新聞の「多事奏論」の近藤さんの記事を読んだ。今日は土曜日なので読書欄にも外山滋比古さんの『思考の整理学』(ちくま学芸文庫)の売れている本での紹介があった。

「近藤康太郎さん」とタイトルに出しながら脱線もはなはだしいが、『思考の整理学』のほうに脱線させてもらう。

私もちくま学芸文庫の版をもっているが、定価570円とあったが、その販売部数がなんと257万部とあった。

どうもお金の方に目がくらんで申し訳ないが、印税が定価の10%として50円/冊としてもざっと計算しても1200万円くらいの印税が入ったことになろうか。

それ相応に所得税を払われたとしても5、6百万は所得に入ったことであろうか。なかな貧相な私などの想像をはるかに超えている。

外山さんは英文学者であったが、今年になって最近亡くなったと新聞で読んだ。96歳か95歳かであった。

(2020.9.16付記)近藤康太郎さんの9月12日の書評には外山さんの独自性が書かれてある。それは知的活動を3種類に分ける。
(1)既知のことを再認
(2)未知のことを理解
(3)まったく新しい世界に挑戦
(1), (2)ばかりで(3)に挑戦する人が少ないと外山さんが嘆くとある。

かくいう私も(1)、(2)くらいで(3)には挑戦できていない。

まさに(3)に挑戦しようとする人として、近藤さんのことを前のブログで紹介したつもりである。それに彼の先生である、武藤徹さんのこともそう紹介した。



数学・物理通信10巻7号の発行

2020-09-11 17:43:14 | 数学
数学・物理通信10巻7号を発行した。

これは結局我慢ができなくなって今日の発行としたのである。早くても明日の発行のつもりであったのだが。

これは月末に徳島科学史会の論文の締め切りが迫っているのに、まだ1行も論文を書いてないからであった。

締め切りまでに残すところ2週間と数日となっているので、仕方がなかった。

ひょっとして慌てて発行したために不具合が残ってしまった可能性がなくもない。


三角関数の学びはじめの内容

2020-09-11 16:02:22 | 数学
三角関数の学習のはじまりの内容である。

これは単に今私の考えている案というにすぎない。

まずはcos 関数とsin 関数を定義する。これは普通よくある単位円上の点の座標ではなくて、はじまりは任意の半径 r の円上の点の座標として定義する。

しかし、すぐに単位円上の点に行けるようにしたい。その半径 r の円から半径 1 の円に移って行くときには相似比とか考えなければいけないが、これは付録とか補遺にまわしてできるだけ本文は簡単にしたい。r=1とおくというのが一番普通の考えだろうが、それですませたくない気持ちがある。

その前に一般角の定義というか話がくる。そのときに三角比のことを触れたいがこれは補章にする。話の筋としては三角比は取り上げない。あくまでも歴史的な話とかとしてである。

できるだけ予備知識がいらないようにしたい。だが、歴史的な話がないのはまったくない困るから補章とかで補うようにする。

まだはじまりの箇所しかアイディアがないが、こういう構想をいだいている。これはまだ構想というほどにもとても及ばない。小さな単なる思いつきである。

その上で望んでいるがまだまったく予想がついていないのは、この三角関数の部分と現実世界との接点をこの三角関数の部分に入れたいという希望である。ところがところがその点が全く思いついていない。

高校数学的な本を書くのならば、こういう箇所が絶対必要であると思っている。これは高校生が読む読み物ではなく、一般の人に読んでもらいたい高校数学程度の本を書きたいと思っているからである。

それは、もちろん三角関数に話題を限った本ではない。三角関数と指数関数・対数関数にテーマを限ってはすでに『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)が出ている。これはかなり広範なテーマをあつかっており、いい本だと思うが、これにも私の希望というか、望んでいるものとは程遠いように感じている。


明日、「数学・物理通信」10巻7号を発行するか

2020-09-11 13:33:10 | 数学
明日、「数学・物理通信」10巻7号を発行するか。それとも週明けの14日に発行するかという意味である。

これは私の仕事の都合上からは明日発行したいという意味である。しかし、通常数日はできあがってから、わざと手元においておくことにしているのが通常の手続きであるから。どうするかということで悩んでいる

たぶん、明日発行するのでも不都合はあまりないのだが、いつもの決まりを破るかどうかである。

なぜ、こういう手元においておくという手続きをとるのか。これは私が粗忽者だということに起因している。粗忽者だということで失敗を繰り返してきた。

それが教訓として慌てるべきではないという教えを身につけさせた。だが、私の今月の仕事の都合上からは明日発行する方がいいという事情がある。