物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ライプニッツ

2023-02-03 10:25:44 | 数学

これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(3)である。

 

(3) ライプニッツ (Leibniz 1646-1716)

 数学は自然科学の中に入れないという人もあるが、私はやはり数学も自然科学の一つであるという立場をとりたい。それに17世紀のライプニッツの時代には今ほど数学と自然科学とは分離していなかった。いやそれどころか後世に科学として確立する分野の天文学(Astronomie)と化学(Chemie)は占星術(Astrologie)や錬金術(Alchemie)とはそんなに明確には分離していなかった。

 ところで、微分積分学の創始者としてはライプニッツよりもニュートンの方がよく知られているが、ライプニッツも疑いもなく微積分学の創始者の一人である。

 高校で学ぶ微分積分学ではもっぱらライプニッツの考案した微分記号や積分記号 が用いられており、ニュートンの用いたといわれるドットと呼ばれる のような記号は大学程度にならないと教わらない。それだけとっても、実際の微積分学への影響としてはライプニッツの方がニュートンよりも大きい。ただし、微積分法そのものの発見はニュートンの方が10年ほど早かったといわれている。

 私的なことで恐縮であるが、私はこのウナギのような形の という積分記号 ∫ が大好きである。先入観としてそうなのであるから不思議である。微分と積分とはどちらが難しいかといえば、だれでもすぐ積分と答えるし、そうにはちがいないのだけれども、この ∫ を書くたびにひとりでにその形の優美さにほれぼれしてしまう。記号の偉大さとはこんなことをいうのだろうか。

 とんだ方向に話がそれてしまったが、ライプニッツの科学への貢献には計算機の改良、記号論理学の創始等もある。哲学者、数学者、政治家で百科全書的天才である。ライプチッヒ生まれのライプニッツとはなんだか語呂あわせのようだ。(1988.11.4)

 

(2023.2.3付記)

この文章を書いた後で大田浩一(東京大学名誉教授)さんの書いた本を読んだら、彼はドイツ人からライプニッツと発音するのではなく、ライブニッツと発音すべきだと教わったと書いてあった。ただ日本ではライプニッツと発音する人が多いと書かれた独和辞書もある。友人のドイツ人R氏にこの点を糺してみたが、両方の発音があるとのことだったので、決着はついていない。


ゲーデル

2023-02-02 13:19:35 | 数学

これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(15)である。

 

(15) ゲーデル (K. Goedel 1906-1978)

今月はゲーデルをとりあげよう。ゲーデルについて私の知っていることはほとんどない。私の思いつく手がかりとしてはホフシュタッターの本『ゲーデル、エッシャー、バッハ』くらいなのだが、これが訳本でも765ページの大著ではじめから読む気力を失わせるような本でとても参考資料にはなりそうにない。

もっともホフシュタッターの父親はノーベル賞を受賞した物理学者で、私はその昔、学部学生のときの卒業研究のテーマで「原子核の荷電分布」というのを与えられ、ホフシュタッターの論文を読んで、その実験結果を簡単な仮定から再現することを試みるというような行きがかりはあったのだけれど、これはまったく本題からはずれる。

ゲーデルはウィーン大学で数学と物理を学んだ後、プリンストンの高級研究所 Institute for Advanced Studyで研究をし、そこで亡くなった。彼は現在のチェコスロバキアのBruno(当時のオーストリア・ハンガリー帝国のBruenn)の生まれというから、正真正銘のドイツ語圏世界の科学者である。彼ほどの数学者がプリンストンで正教授になったのが、46か47歳のときだというから、決して早い方ではない。ゲーデルは天才的な数学者であるノイマンに数学基礎論の研究を断念させるほどすごい学者であったらしい。

ゲーデルの業績は「どんな矛盾のない公理系も不完全である。すなわち真か偽か決定できない命題をもつことを証明した」ことにあるという。このことは思想的観点からみてもきわめて重要であるといえよう。公理系がその自己完結性をもたず、つぎからつぎへとつながって行くところが、ホフシュタッターの本『ゲーデル、エッシャー、バッハ』のモチーフでもある。

しかし、一つの理論体系が自己完結的になりえないという考えはゲーデルとの関連においてではなく既に私たちは知っている。それは坂田昌一の自然の「無限の階層性」の哲学である。いかに見事な物理法則の体系が完成してもその中にはかならず偶然に支配される現象的な要素があり、それについての考察がつぎの新たな論理を生むというのが坂田の終生変わらぬ信念であった。たとえば、現在の素粒子の標準理論といわれる電弱理論においても対称性の破れといった問題があり、それについてはヒッグス・セクターの問題といった形で現象論的段階のまま残されている。

数学基礎論についてのヒルベルトの公理主義の立場ははじめ成功したかに見えたが、結局ゲーデルでの不完全性定理によってその夢は打ち砕かれてしまった。しかし、「形式的公理系は不完全だが、その背後には絶対的な数学的実在がある」とゲーデルは考えていたらしい。この考えは今は亡き遠山啓らの数学協議会に集う人々のとっている立場に非常に近い。

ところでゲーデルの不完全性定理に対するゲーデルのこの考えは量子論にはじめて確率概念を持ち込んだアインシュタインがこの確率概念を最後まで本物だと思わなかったことと極めて類似していて興味深い。

数学者の倉田令二朗によれば、「ノイマンがプリンストンの悪魔」なら、さしずめ「ゲーデルは魔王」であり、彼は年中、リュウマチ、熱、消化不良、風邪に悩まされ、極度の対面恐怖症のため部屋にカーテンを常に引き、黒眼鏡をかけて部屋の隅にうずくまっていたという。

天才たることもまたつらいことだ。我々は凡人であることを喜ぶべきかもしれない。

(1989.10.20)


マリア・ゲッペルト=マイヤー

2023-02-01 13:48:49 | 物理学

これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(17)である。

 

(17) マリア・ゲッペルト=マイヤー (Maria Goeppert=Mayer 1906-1972)

 今月はマリア・ゲッペルト=マイヤーをとりあげよう。大学で物理学を学んだ人なら、Mayer and Mayerという名で呼ばれている統計力学の古いテクストがあるのを知っているにちがいない(Maria et Mariaというタイトルのフランス映画が昔あったが、それに語呂がよく似ている)。

 実は今月紹介するマイヤーはその本の著者の一人マリア・ゲッペルト=マイヤーである。Mayer and Mayerのもう一人のマイヤーはマリアの夫で化学者のジョー・マイヤーで彼は統計力学の大家である。現在ではこの本の第2版が出版されていて、その序文にはジョーが「妻マリアの死後、自分がこの本の改訂にあたったが、この改訂はたぶんマリアが生きていたら、行ったであろう改訂になっているはずである」と述べている。

 マリアの父はゲッティンゲン大学医学部小児科教授で、代々続いた大学教授の6代目であったという。マリアはゲッティンゲンではじめ数学を学んだ後、ボルンの影響で物理学を専攻するようになった。彼女が入学したのは1924年だそうだから、ちょうど量子力学の誕生と発展を目の当たりにすることができた年代である。

 その当時のゲッティンゲンはまさにその黄金時代で物理学ではフランクとボルン、数学ではクラインとヒルベルトといった教授たちに加えて、パウリ、ハイゼンベルク、フェルミ、ヨルダン、オッペンハイマー等の世界の多くの優秀な学生たちがここに学んでいた。マリアの夫となるジョーもそのような学生の一人で、カリフォルニア大学バークレイ校を卒業してゲッティンゲンにやってきて、マリアの家に下宿するようになり、彼女と知り合い、1930年に結婚する。

 マリアは1930年以来、夫と共にアメリカに住んだが、同じ大学で夫と妻の両方を雇用してはならないというアメリカの多くの大学が持つ規則のために有給の職についたのはかなり後年になってからであった。また物理学教授となったのは1960年彼女が54歳のときで、その3年後の1963年に「原子核の殻模型の研究」で彼女はドイツのHeidelberg大学のイェンゼンとノーベル物理学賞を共同受賞した。

 私たちが高校の化学で学ぶように原子がK, L, M, N殻といったような殻構造を形成していることはよく知られているが、これと同様な殻構造が原子核にも見られることを実証したのがマリアの「原子核の殻理論」であった。それによると、原子核中の陽子または中性子の数の和がマジック・ナンバーといわれる2, 8, 20, 28, 50, 82, 126のときに特に原子核が安定であることを理論的に示すことができる。

 この殻理論のアイディアをマリアがフェルミに話したとき、彼は即座に「LS結合の証拠(evidence)はありませんか」と尋ねたという。そして、その点が殻理論にとってキー・ポイントとなった。彼女はこのことを率直にノーベル受賞講演で語っているという。

 競争相手のイェンゼン博士との共同研究とかノーベル賞受賞に対する冷静な態度を彼女の伝記で私たちが読むとき、古き良き時代の科学者の典型をここに見る思いがする。『ノーベル賞を獲った男』のカルロ・ルビアとか、『二重らせん』のワトソンのような科学上の発見に対するプライオリティへの執着とは別の世界がここにはある。

(1990.2.6)

(2023.2.1付記)1989年とか1990年とかは今から見ても激動の時代であったと思う。最近アメリカの原子科学者が世界の終わりまで90秒だという終末時計の現在の時刻を示した。これはいままでで最短の世界の終末の残り時間を表わしており、良識ある原子科学者の焦燥をも現わしている。

ゴルバチョフとレーガンの政治的な合意によってアメリカの原子科学者の判断では、世界の終末までの時間は一度17分前まで巻き戻されたが、昨年と一昨年の100秒に続いて世界の終末までの時間が現在最短の90秒となっている。

多くの世界の良識のある人々はロシアのウクライナ侵攻まで含めた現在の事態に心を痛めているのだが、世の中の一部の政治家にはこの危機感が分っていないかの如くである。この一部の政治家には日本の現在の政権にある政治家も含めるのは当然であろう。