渡辺恒雄あとつぎ宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【オピニオン・リーダー】茨城県医師会の原中先生、医療界専門誌に「私が民主党を支持する理由」を発信

2009年07月27日 11時54分55秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

[写真]参考人として参議院で意見を述べる茨城県医師会長の原中勝征先生

 「民主党が怖い」という人がいます。これは「変化が怖い」ということのようです。例えば今安定した環境で子育てをしていらっしゃる人などが「変化が怖い」と感じるのは当然だと思います。

 民主党は11年間野党一筋の未熟な政党です。その“変化に対する怖さ”を和らげてくれるのは、稲盛さんであり、榊原さんであり、そして地域に必ずいる“ご隠居”をはじめとするオピニオン・リーダーです。

 茨城県医師会長原中勝征先生がその一人であることは言うまでもありません。6月26日の記者会見で岡田克也幹事長、衆院厚生労働委員会の経験が長く、奥さんも医者ですが、原中先生について「非常に立派な方で学者としても実績があり、医師としても実績のある方です」と言うので、国会図書館の文献データベース(NDL-OPAC)を調べてみました。

 著作物の文献データベースでは、

 原中先生は「TNF : 腫瘍壊死因子」という本を1984年に日本医事新報社出版局 という所から、「TNF(腫瘍壊死因子)の基礎研究および臨床応用への研究」という報告書を国から研究費補助を受けた成果の報告書として作り、国会図書館に収められているようです。

 まあなんだか分かりませんが(^^;)、“偉い人”です。

 雑誌文献のデータベースを見たら、驚きました。

 医薬経済社発行の「医薬経済2008年10月15日号」には「民主党を支持する理由--茨城県医師連盟委員長・原中勝征」という記事が4ページにわたって掲載されています。

 また、「日本医療企画」社の「フェイズ・スリー2008年12月号」には「TOP対談・経営談義・第4回」として、ネクスト厚労相だった山田正彦さんと、「現行の医療政策に“NO!”政治主導で“あるべき医療”をめざす」と4ページ。

 今年になってから、医学通信社発行の「月刊保険診療2009年2月号」には6ページにわたり、「あくまで我々は患者サイドに立つ」と寄稿されています。

 こうやって学者であると同時に医療再生の先頭に立つ原中先生は仲間たちの専門誌にも政権交代と民主党をすすめてくれていたのです。まさに川上で流れを作ってくれていたのが原中先生ということになります。

 当ブログの方にも5月に茨城県民の方から次のようなコメントをいただきました。

(当ブログ内コメント欄から引用はじめ)

 茨城県民です。よくぞ書いて下さいました。小生茨城県の政治状況に絶望を抱いており、県医師会が昨年日本医師会に叛いて、県内全選挙区で民主党候補の推薦を決めたときには、気持ちの中で喝采を叫んでおりました。超がつくような自民党支配の風土の中で、原中医師会長の英断は、勇気をもらったような気分にもさせてもらいました。(後略)

(引用おわり)


 それぞれの地域、業界、社会のオピニオン・リーダーは、足もとの仲間にメッセージを発信して、「政権交代へ一歩踏み出す勇気」を後押ししてくださるようお願いしたいと思います。

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参考資料)浅尾慶一郎さんの記者会見原稿全文

2009年07月27日 10時12分09秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 浅尾慶一郎さんが7月27日付でメルマガ「あさお慶一郎国政レポート  2009年7月27日-夢を持てる社会を創ろう-」を発行しましたので、参考までに転載します。
http://www.asao.net/
(過去のメールマガジンも読めます)とのことです。

 一つ申し添えれば、浅尾さんは仮に当選したら首相指名選挙で「鳩山由紀夫」さんに投票することを明言しています。神奈川4区で浅尾さんが無所属で当選し、民主党公認の長島一由候補が南関東ブロックで比例復活当選すると、定数1で「鳩山」で2つとれるという離れ業になります。神奈川4区(横浜市栄区、鎌倉市、逗子市、三浦郡葉山町)の主権者は難しい選択を迫られますが、イイクニ作ろう、800年前には政権があった地の誇りある住民の選択が注目されます。これを考えると現行の選挙制度にはデモクラシーを歪めかねない部分があるのは事実。しかし“試合開始5分前”である今、ルールを変えたら、それこそデモクラシーが歪みます。

 まあ難しいですね。民主党への関心が高まるのはうれしいです。マスコミやネットに関係なく、まずは自分が一票を持つ選挙区に関心を寄せるのが第一です。

(全文引用はじめ)

24日に行いました衆議院選挙出馬の会見の際の原稿です。

13年前に衆議院選挙に初挑戦した時から、私が政治家を志した最大の目標は、
「誰にでも何度でもチャンスのある社会を創る」ことにありました。この思いを
当選後もずっと形にしようと努力して参りました。その実現の為に様々な政策立
案に取り組んできました。

現状は残念ながら、格差社会の進行や社会保障に対する不安から夢を持つことを
諦め、チャンスに挑むことを敬遠する風潮が社会に拡がっています。夢を持って
いないという若い人に何故と聞くと努力しても結果として報われないからという
答えが返ってきます。努力すること、挑戦することを諦める風潮が拡がっている
様に感じておりました。

私に対しては神奈川4区(横浜市栄区、鎌倉市、逗子市、葉山町)の有権者から
長年地元を代表する衆議院議員になって欲しいという要請があり、私もそうした
声に応えようと努力してきた経緯もあります。しかし、民主党に対して大変な追
い風が吹いている中で敢えて、民主党から一旦出て衆議院選挙に挑戦することに
は私自身も躊躇致しました。しかしながら、有権者の皆様と共に築いてきた夢の
実現を今諦めては、若い人に夢を持とうと呼びかける資格を自分が失うのではと
思うに至りました。たとえ困難な道のりであっても、挑戦し続ける姿を見せるこ
とで、「誰にでも何度でもチャンスのある社会を創る」との目標を掲げることが
出来ると思っております。自分の姿勢を通して夢の実現が出来る社会のあり様を
示したいと思うに至りました。

同時に私が政治活動を始めて14年、常に私の活動を支えて頂いた横浜市栄区、
鎌倉市、逗子市、葉山町というこの地域に対する強い愛着があり、この地域を代
表する政治家となり、この地域の為に働きたいという強い想いを今度こそ実現し
たいと思いました。

もちろん、政治家として政権交代の先の社会の提示も責務です。政権交代はあく
までも手段であることを考えれば、政権交代後に国民が安心出来る社会の実現を
量る為には、他党にいる良識のある方々にも呼びかけて新たな政治集団を形成し、
現実的な形での政局の安定を図ることが必須です。その為に重要なことは、経済
の成長戦略をはっきりと示すこと、そして安全保障政策の現実化です。戦後最悪
の経済状況が続く中で、あと十年すると71歳の方が日本の中で最も人口の多い年
齢となります。今後増加する社会保障費用負担を考えても、今最も必要な政策は
経済の成長戦略です。成長戦略を語る上で最も重要なことは夢の実現に向かって
リスクを取る姿勢を社会の中で許容することです。同時にすべてが否定されてい
る様に見える構造改革路線についても、必要な改革は政権交代後も更に推進させ
る体制を作る必要があります。

近来、私が従事して参りました安全・保障政策は政権獲得を目前にしてより現実
的な方向に民主党の政策も変えて参りましたが、これを更に加速させる必要があ
ります。今、まさに追い風の民主党から敢えて飛び出す勇気を示すことで、他党
からも民主党政権と協調しようと良識のある方々が飛び出てくればと思いますし、
そのことで安全保障を始め現実的な政策に新政権を導く勢力を構築出来れば、私
の行動に全国民的な意義も与えることが出来るのではと考えております。

参議院議員
浅尾慶一郎

(全文引用おわり)
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