宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

兵庫11区も医師会が民主党支援、松本剛明前政調会長、対抗馬は親子で厚生族

2009年07月30日 23時53分23秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 このニュースはかなり驚きました。

 共同通信の報道によると、兵庫県医師会の政治団体「兵庫県医師連盟」が兵庫11区(姫路市の中心など大部分)で、民主党の松本剛明(松本たけあき)前政調会長の推薦を決めたそうです。

 なぜ驚いたかというと、松本さんは前回2,435票差で次点に泣きましたが、かわりに議席をとった自民党の戸井田徹氏は父親の代からの厚生族ギインで、厚生労働大臣政務官をやりました。父の戸井田三郎さんは20年前の第1次海部内閣で、厚生大臣を務めました。大臣の前後も含めて、ずーっと自民党の厚生族として活動した人だったからです。

 地元の事情はよく分かりませんが、医師会が民主党に流れる動きが広がっています。そうはいっても、全国組織の日本医師会は自民党支持を変えておらず、麻生自民党総裁も文京区にある日本医師会の本部を訪ね、会長に支援の要請をしています。

 松本剛明さんは世襲議員ですが、父・松本十郎元防衛庁長官は自民党でしたから、できれば非世襲と考えて頂きたい人材です。祖先は伊藤博文・初代首相です。当選3回の中堅ながら、党内で一目置かれ、尊敬される存在です。

 前回衆院選直後から政調会長を務め、2007年参院選では、「最低保障年金など民主党の年金制度の報酬比例部分」に関する議論で、自民党の中川昭一政調会長(当時)が、民主党案を誤解するミスをおかしました。中川政調会長はある一定の所得になると、年金がまったくもらえなくなる案だというトンでもない誤解をし、選挙戦後半のTV討論ではまずはこの件に関する謝罪から始まるというしまりのないことになりました。松本さんはそつなく議論をこなし、逆転の夏を理論面で支えました。

 政調会長時代から兼ねていた行政調査会長をいまも続けていて、政権交代後の霞が関・公務員制度の改革のキーパーソンとされ、霞が関からの注目も高い議員です。とても安定感があります。
 
医師連盟、6選挙区で推薦見送り 兵庫も自民離れ - 47NEWS(よんななニュース)

 兵庫県医師会の政治団体「兵庫県医師連盟」は30日までに、衆院選で県内12小選挙区のうち、自民、公明両党候補への推薦は5人にとどめる一方、民主党候補1人を推薦、残る6選挙区は自主投票とすることを決定した。

 前回衆院選ではほとんどの与党候補に推薦を出しており、自民離れを象徴した格好。同連盟は「長期間の医療費削減への反発が背景にある。これだけ見送るのは初めて」としている。

 県医師連盟によると、推薦するのは公明党候補2人と自民党候補3人。11区では民主党候補を推す。地元組織の意向を受けて連盟が推薦を決めるが、自主投票とした6選挙区は自民、民主両党のどちらを推薦するかで一本化できなかった。

 また同連盟が今年初めに医師を対象に実施したアンケートの結果も判明。約2400人から得た回答で、支持する政党は自民党が31・4%、民主党は25・7%だったが、衆院選で誰に投票するかを決めた人の中では、候補者の所属政党は自民党22・5%だったのに対し、民主党は58・3%だった。

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日刊ゲンダイ)半年間で状況一変43選挙区リスト

2009年07月30日 20時44分12秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 きょうの日刊ゲンダイ3面に「半年間で状況一変」という43選挙区のリストが載りました。これは解散先延ばしの半年~1年弱の間に、自公議員が当選確実の「◎」「○」の予想だった選挙区が、一点「▲」という“落選危機”予想へ変わった43選挙区のリストです。民主党、国民新党、社民党の新人・元職・現職の当選可能性が出てきています。

 これはここ半年の状況の変化ですから、昨秋の時点で既に民主党新人が好位置につけている選挙区は他にもあります。ご注意ください。


 

 民主党本部としては、あくまでも「151小選挙区必勝」を目指して資源を集中して投入するでしょうし、それは当然です。とはいえ、「自分の選挙区でも政権交代」したいというのが本音の方が多いと思います。元気の出るリストです。
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準優勝

2009年07月30日 15時05分15秒 | その他
 高校野球の西東京大会決勝戦。私の母校、日大二高は気持ちでは負けていなかったと思いますが、スコアは「2対19」ということで、甲子園進出はならず、西東京大会準優勝となりました。

 前回甲子園に出場したときも、決勝戦は同じカードだったそうですが、27年経った今回は日大三高が雪辱を果たしたことになります。

 やはり勝負とは難しいものだと感じました。NHKの中継画面で初めて母校の姿を見られたわけですが、解説者は「9回に取った2点が来年以降の後輩たちにつながる」と言っていて、その通りだと思いました。

 実況者によると、神宮球場は摂氏32度くらいになっていたそうで、私が高校生だった二十年前は7月の東京の日中気温が30度になることはあまりなかったと思います。緑が多く東京で最も涼しいとされる皇居周辺でもこうなのですから、地球温暖化やヒートアイランド現象への政府の無策は残念です。

 毎夏に高校時代を振り返るきっかけをくれる、主催の朝日新聞社に感謝します。

 きょうは7月30日ですから、8月30日に向けてサッパリ切り替えられそうです。
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