【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

民主党代表の鳩山由紀夫さんを総理大臣に指名 衆院本会議

2009年09月16日 23時51分39秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
【国会傍聴記 2009-9-16 衆院本会議】

 実はきょうは傍聴席から100人以上があふれてしまい、私も国会見学者用のモニターに映るTV画面で見ました。午後1時~午後2時51分、傍聴者の入れ替えがなく、残念ながら一般傍聴席に入ることができませんでした。幹部衛視から謝罪がありました。

 4年前の首班指名を傍聴した人に聞きましても、「こんなに人があふれることはなかった」ということで歴史的瞬間を見たい、という人が多かったようです。午後2時50分、横路孝弘議長が「鳩山由紀夫さんを内閣総理大臣に指名する」と発表すると、モニター聴衆から拍手が出ました。民主党を支援している人が多かったようです。ちなみに、一般傍聴席で拍手をすることはできません。

 国会傍聴が多くなったことは、それ自体がデモクラシーの前進であり、このブログが少しでもその流れを支えたのなら、傍聴席から閉め出されたけど、私としては本望、といういうべきでしょうか。

 ◇

 第172特別国会が召集されました。

 新議長には横路孝弘さん、副議長には衛藤征士郎さんが選出されました。

 この後、麻生太郎内閣総辞職に伴う、首班指名選挙が行われました。衆院参事らの集計の結果を横路議長が報告。

 民主党代表で北海道9区選出の衆院議員、鳩山由紀夫さんが第93代(60人目)の内閣総理大臣(首相)に指名されました。

 参院でも直後に「鳩山総理」が指名されました。政権交代が正式に完成です。
 いよいよ第1次鳩山内閣が発足しました。

初当選を手伝った議員が初入閣! 北沢俊美防衛相

2009年09月16日 11時00分00秒 | 素晴らしき新生党保存会

 2009年9月16日。

 政権交代完成。
 第1次鳩山内閣発足。
 友人がどんどん国会議員初登院。

 そして、僕にとって、もう一つ、記念すべき日となりました。政治少年から政治青年と歩んだこの17年。ついに「初当選を手伝った議員が入閣」です。

 北沢俊美、参院長野全県区選出、当選3回、勤続17年。第45回衆院選では、長野県連代表としては、長野県全5区で全勝の上、自民党を全員完全落選させるパーフェクトを達成。「民主党王国・長野」の復活です。10年の歴史を超えた民主党でも、“王国の復活”というのはこれが初めてでしょうか。

 満を持して、当然の入閣です。

 
http://www.youtube.com/watch?v=16-_BlsKX5k


 鳩山総理の秘書官から「総理からのご指示でお電話しました。官邸にお出かけください」との電話を受け取る瞬間を見ました。モーニングを携えた公設秘書を従えながら、参院議員会館から官邸に向かう北沢さん、「よう宮崎君も来たか」と言うので、「1992年の初当選から17年、うれしいです。おめでとうございます」と言うと、いつも通りの笑顔で応じてくれました。

 これに先立ち、地元TV各社などの取材に対して、首班指名について、「これまで自分の書いた名前が首相に直結したことがなかった」として、与党になったことを実感したことを披露。

 その上で、民主党王国・長野のみなさんに

 「自分の場合は、自民党を離党してから足かけ17年になる。

初めて自分の書いた名前が首班指名で首相になった。
長野県民のみなさんには、二大政党制、政権交代可能な政治をやろうと、羽田先生と手を組んで訴えてきたことに、大きな力で支えてくださったことに感謝すると同時に、
全国のさきがけとして、先駆的にバックアップしてくださったことに感謝したい
」と述べました。

 私も東京生まれですが、長野の百姓の血と長野の米と野菜で体ができています。私自身も、この17年間、一日の揺るぎもなく政権交代・二大政党制をめざしてきた者にとっては万感の思いがあり、帰りの地下鉄で感極まるものがありました。


[写真]「鳩山首班」に投票する羽田孜さん(左から2人目)、右端は小沢一郎幹事長、羽田さんの左隣は中井洽さん、議長席は横路孝弘・衆議院議長=衆議院TVからキャプチャー

 外交と防衛は密接不可分。政権交代後のブログの方向性に思いあぐねているのですが、岡田外相と北沢防衛相がコンビを組むということで、一つの選択肢が出てきました。やっぱり俺ツイてる!!!

 ◇

 北沢俊美(北澤俊美)さんは、1992年の第16回参院選で長野全県区からは初当選し、連続当選3回。1994年の羽田内閣で農水政務次官、第2次民主党の初代執行部で参院国対委員長、「民主党・新緑風会」幹事長を務めました。ねじれ国会では参院外交防衛委員長として、守屋・秋山喚問、インド洋給油特措法の一時失効を実現しました。当時の自民党政府からどれだけ罵られても、ぶれないで、しっかり「つるす」。小沢一郎代表(当時)と直接連絡をとりながらやるのですが、この採決しない、「つるす」というのは、大変な精神力・ねばりだと感じました。このとき委員だった参院一年生が16日、「何でもやります」と名刺を秘書さんに渡していました。早くも副大臣・政務官のアピールのようです。

 ◇

 1992年夏、第16回参院選。政治学科の初めての学期を終えた私はまだ新幹線開通する前の「旧・長野駅」に降り立ちました。

 一週間、選挙の実地勉強をしようということで、初当選をめざす前長野県議の北沢俊美候補の選挙事務所で、労務員としていろいろな勉強をしました。

 まずはお茶くみ。それから、応援弁士に渡す上野行のキップを買いに長野駅へおつかい。新聞各紙の買い出しにも行きました。さらに一人で選挙ハガキの枚数をたぶん数千枚(?)数えました。

 少し慣れたら、街宣車に乗って、ウグイス・ボーイ(カラス)をやらせてもらいました。このときに同乗したのは、若林正俊前衆院議員(当時の肩書き、以下同)、小坂憲次、田中秀征、井出正一各衆院議員、そして羽田孜蔵相。みんな一つの党だったんですよ。とくに井出議員と、長野県南部の川上村のレタス畑を遊説した時の爽快さは一生忘れ得ぬ光景。

 さらに北沢候補者付として、今も政策秘書を務める松原さんと3人で高速道路を走って、松本市内へ。演説会場の手前で、応援弁士の村井仁衆院議員と合流し、4人でカツ丼をいただきました。北沢候補が僕を紹介してくれると、東大卒・建設官僚出身の村井議員から「早稲田からもドンドンお役人になってくださいね」と温かいお言葉(^^;)をいただきましたが、現時点で国会議員である人が「お役人になってください」とおっしゃったのは違和感があります。

 さて、経世会→改革フォーラム21(羽田派)→新生党とめまぐるしく政治は動き、羽田内閣では農林水産政務次官になりました。

 私と石川知裕君(北海道11区)も、全国学生交流会(自民党学生部)→新生党学生塾(学生部)結成→新進党学生部合流とめまぐるしく、政治改革・政権交代・二大政党の志に向かって歩みました。

 しかし、「羽田孜vs小沢一郎」という私にとっては、体を引き裂かれるような党首選の後、羽田孜さん、北沢俊美さんは「太陽党」を結成。新聞記者になった私は新進党を自然に離党。小沢先生の書生・秘書になった石川君はまあ自由党だったんでしょうが、公募新人として政治活動をスタートしたのは、「民主党北海道11総支部長」です、念のため。

 太陽党は国民の声(細川護煕・岡田克也・鹿野道彦)と合併したうえで、1998年4月、第2次民主党に合流しました。そして、みんな同じ党に戻りました。

【北沢新防衛相の人となり】

 さて、防衛省の副大臣、大臣政務官、官僚、幕僚のみなさまにアドバイス。気さくなアイディアマン、北沢俊美の発言の8割は思い付きだと言われています。いろいろしゃべってブレーンストーミングするタイプの人です。だから、省議や打ち合わせでの大臣の発言や指示は、再確認してから、政策立案過程に移すことをオススメします。

 5月の党常任幹事会で、机の上にある資料を見た北沢副代表はさっそくアイディアがひらめき、発言しました。代表選に関して、「衆院側で現職115人にしか投票を認めないということになると、全国民の(小選挙区換算で)300分の115の意見しか反映することができない。元職・新人の総支部長も投票できるようにしたらいい」と発言。ところが、この思い付きに、すでに老獪に策を仕込んでいた小沢代表(当時)は「北沢俊美先生のご発言とは思えない」と怒って、議論は流されてしまいました。私は良いアイディアだと思うのですが、代表のご機嫌が悪かったようです。

 衆院側の30歳代の女性秘書から「宮崎さん、あんな怖いセンセイとよく話せますね」と言われるのですが、それはベテランの党副代表という肩書きがそうさせているのでしょう。ちなみに北沢さんの公設秘書3人の布陣は10年間変わっていませんから、けっして怖いということはありません。思い付きと重要発言の選別に慣れれば、大丈夫でしょう。

 ところで、北沢さんの肩書きの中に「学校法人理事長」というのがあります。これは「四徳学園」といって、長野市の今井といって、オリンピック選挙村跡地のニュータウンに、創業した理学療法士の養成学校の理事長をやっています。その流れで、養成学校を卒業した理学療法士の進路という意味合いもあり、近隣に福祉施設も経営しています。かなり大きな借金をかかえているようですが、実は参院議員よりもこっちの方が楽しいようで、今まではけっこう理事長室にも行っていたそうです。自民党の大臣規範は兼職が厳しかったのですが、民主党政権ではどうなるのでしょうか? 農業が趣味で、長野の自宅で苗の手入れをするだけでなく、きれいな花をカメラで撮影するという強面らしからぬ優しさ、感性も持ち合わせています。

 前田道路社員から、父急逝のため長野県議を世襲しましたが、政党は父親時代の社会党→民社党から自民党に移籍しました。そして、1992年、参院議員。羽田内閣・農水政務次官、民政党参院議員会長、第2次民主党初代参院国対委員長、民主党・新緑風会幹事長、民主党副代表、参院外交防衛委員長を経て、現在は民主党副代表・長野県連代表。

 さて、母親と同い年の政治家に言うのもなんですが、この人、記者会見・国会答弁で失言する可能性があります。おそらく総理、官房長官からも釘を刺されていると思います。できれば言葉尻をとらえるような質問や追及をしないよう、記者や野党のみなさんにお願いしたいと思います。

 小沢一郎幹事長は、第22回参院選長野選挙区(定数2)に民主党公認を初めて2人立てる考えがあるのかも知れません。仮にそうなっても、来夏の参院選のテーマは「鳩山政権の実績の審判」に移っていることは間違いないでしょう。

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