[写真]テリーザ・メイ英首相、英首相官邸ウェブサイトから。
この記事は、2016年7月21日に投稿しましたが、さる、2016年7月13日(水)=英現地時刻=、テリーザ・メイ英庶民院議員が保守党党首となり、エリザベス女王から首相に任命されました。
昨年5月の総選挙で、デービッド・キャメロン首相(保守党党首)が、苦戦する中、EUとの関係で国民投票をするとし、総選挙は意外にも勝利したうえ単特過半数獲得し、連立解消で、第2次キャメロン保守党単独内閣となりました。しかし、国民投票で負けたことから、キャメロン首相は辞意。9月の党大会での選出の日程感を示しましたが、有力候補が相次いで撤退し、テリーザ・メイ内務大臣が保守党党首となり、首相となりました。
私は長年英国二大政党制を研究していますが、心無い人からの誹謗中傷を恐れて、あまりこのブログには書いていません。ですが、メイさんについては、過去2回、英国の女性議員の状況に言及する下りで言及していました。
2014年3月9日の記事中、「 一方、現在の内閣。テレサ・メイ総務大臣は、1956年10月生まれの57歳。1997年初当選なので、政権与党・保守党公認で出馬し当選したものの、直後に野党になり13年間耐え、政権交代で総務大臣になりました」
2015年12月3日の宣戦布告の議会承認に関する記事中、「キャメロン首相は右隣にハモンド外相、左隣にオズボーン財務相、テレサ・メイ内務相らを従えて、攻撃の正当性について、数字をつけて順に説明しました。ISILのフランス語発音である、ダーイシュを使うこともありました。」
私は意図的に、英語の綴りを書かないことにしていますが、Theresa May という日本では聞きなれないファーストネームの発音を間違えておりましたが、報道の通り、「テリーザ・メイ」さんです。また両記事で「総務大臣」と「内務相」の表記が混在しましたが、同じ役職でした。
こうしてみても、2014年の記事には「残念ですが全く共感できませんでした」という非常に心無いコメントが寄せられており、本当に腹が立ちます。IT化とグローバリゼーションの中、英語で情報がとれる私に嫉妬と焦りを感じているのでしょうが、その人物が30歳以上ならば、自分の努力不足であり、国益を毀損している、と強くなじりたい。
閑話休題。
[画像]The Times Guide to The House of Commons May 1997からキャプチャ。
上は、メイさんが初当選したときの、英庶民院議員名鑑です。まず、メイさんは初当選は40歳過ぎていたんですね。そして、この選挙では、保守党は18年ぶりに下野しました。メイさんは得票率49・8%で初当選。対抗馬の反対党(野党・労働党)の候補者は日本でいう惜敗率52・0%で大差で負けています。ただ、英総選挙では、その小選挙区の前回得票との差、「スイング」が重視され、メイさんは、前任保守党議員から、マイナス11・8%もスイングしてしまっていますから、与党・メージャー保守党の下野への逆風はそうとう強かったようです。ただし、他の選挙区でもほぼ同じ程度のスイングが起きています。
こうして野党議員としてスタートした、メイさんですが、連続して当選。政権交代後の2010年にはさっそく内務大臣として初入閣。
[写真]2010年の、第1次キャメロン・保守党・自由民主党連立内閣の閣僚の記念撮影=英紙タイムズの、2014年7月16日(水)付の8面の記事からキャプチャ=。
初当選から13年経ち、初めて与党議員になると同時に初入閣した、2010年の第1次キャメロン保守党・自由民主党連立内閣の記念写真。右の赤丸(筆者が加筆)のキャメロン首相の後列の端から2番目のという控えめな位置(左赤丸)のメイ内務大臣。
初入閣時点では、内務大臣(兼)女性参画担当大臣でしたが、兼務は2年後に解消されました。控えめに位置ですが、他の資料によると、閣議の席次は、キャメロン首相から見て、向かい側の人物の左2人目に座っていますので、主要閣僚です。
2015年の総選挙では、メイさんは、初当選時と同じ名前の選挙区(境界線がまったく同じかは不詳)で65・8%で当選。対抗馬の反対党・野党労働党の候補の惜敗率は18・0%という大圧勝。BBC開票特番スタートから1時間もしないうちから、スタジオで、デイビッド・ディンブルビー記者のインタビューを受けました。下馬評と違う「保守党単独過半数」という出口調査結果から始まった驚きの出だしから、さっそくテレビで政局のキャスティングボートを握ったのでしょう。明晰なメイ内務大臣が、すばやく首と腕を伸ばして、ディンブルビー記者に答える様が印象に残りました。この番組では、ディンブルビー記者が、中継で登場した名物政治家のボリス・ジョンソンさん(メイ内閣で外相に就任)に「風に吹かれましたか」とヒットソングとかけた一声で機先を制して、インタビューをしたのも話題になりました。
政界一寸先は闇。総選挙に勝つために国民投票を約束した第2次キャメロン首相は、単独過半数からわずか1年2か月後に、国民投票敗北で辞任。メイさんが在職19年、59歳で首相の座を射止めました。
英庶民院には首班指名がありませんから、キャメロン首相は2016年7月13日(水)の党首討論(PMQ)で、辞任を表明。与党・保守党議員が総立ち、野党・労働党は着席しながらも拍手で送り出しました。在職15年49歳で、首相からバックベンチ(与党政府外議員)になるキャメロンさんは英国の未来に言及しながら、声を潜め、「私も昔は未来の一人だったんですが(I was the future ones)」との絞め言葉で庶民院本会議場を去り、バッキンガム宮殿でエリザベス女王に報告。女王は速やかにメイさんを呼び出し、首相に任命しました。
David Cameron's last PMQs: 13 July 2016
組閣情報は、首相官邸公式ウェブサイト、Twitter等で逐次、発表されました。
翌20日水曜日の党首討論には、もちろんメイ首相が登場しました。
Theresa May's first PMQs: 20 July 2016
上述のジョンソン議員など、最近の(そんなに昔は知りませんが苦笑)庶民院は、女性議員を中心に、真っ赤なノースリーブなど、目立つ服装が多く、メイ首相もヒョウ柄のパンプスなどが話題になっています。
日本の衆議院先例集にあたる、規則集、アースキン・メイの「メイ」も同じ綴りですが、こちらは19世紀の事務総長ですから、メイ首相と無関係だと思います。 庶民院中継は、日本時間だと夜になるので、眠たくて、とても日本の国会中継後には聞けませんし、上の新聞類も、なかなか読みに行く時間がとりにくいのですが、引き続き英二大政党を見ていきたいと思います。
すべては、政権交代可能な二大政党政治を日本に根付かせるために。
(C)Nobuyuki Miyazaki 宮崎信行。