【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

英国の事例 テリーザ・メイ首相が就任 保守党党首

2016年07月13日 23時59分59秒 | 英国の事例

[写真]テリーザ・メイ英首相、英首相官邸ウェブサイトから。

 この記事は、2016年7月21日に投稿しましたが、さる、2016年7月13日(水)=英現地時刻=、テリーザ・メイ英庶民院議員が保守党党首となり、エリザベス女王から首相に任命されました。

 昨年5月の総選挙で、デービッド・キャメロン首相(保守党党首)が、苦戦する中、EUとの関係で国民投票をするとし、総選挙は意外にも勝利したうえ単特過半数獲得し、連立解消で、第2次キャメロン保守党単独内閣となりました。しかし、国民投票で負けたことから、キャメロン首相は辞意。9月の党大会での選出の日程感を示しましたが、有力候補が相次いで撤退し、テリーザ・メイ内務大臣が保守党党首となり、首相となりました。

 私は長年英国二大政党制を研究していますが、心無い人からの誹謗中傷を恐れて、あまりこのブログには書いていません。ですが、メイさんについては、過去2回、英国の女性議員の状況に言及する下りで言及していました。

 2014年3月9日の記事中、「 一方、現在の内閣。テレサ・メイ総務大臣は、1956年10月生まれの57歳。1997年初当選なので、政権与党・保守党公認で出馬し当選したものの、直後に野党になり13年間耐え、政権交代で総務大臣になりました

 2015年12月3日の宣戦布告の議会承認に関する記事中、「キャメロン首相は右隣にハモンド外相、左隣にオズボーン財務相、テレサ・メイ内務相らを従えて、攻撃の正当性について、数字をつけて順に説明しました。ISILのフランス語発音である、ダーイシュを使うこともありました。」 

 私は意図的に、英語の綴りを書かないことにしていますが、Theresa May という日本では聞きなれないファーストネームの発音を間違えておりましたが、報道の通り、「テリーザ・メイ」さんです。また両記事で「総務大臣」と「内務相」の表記が混在しましたが、同じ役職でした。

 こうしてみても、2014年の記事には「残念ですが全く共感できませんでした」という非常に心無いコメントが寄せられており、本当に腹が立ちます。IT化とグローバリゼーションの中、英語で情報がとれる私に嫉妬と焦りを感じているのでしょうが、その人物が30歳以上ならば、自分の努力不足であり、国益を毀損している、と強くなじりたい。

 閑話休題。

 

[画像]The Times Guide to The House of Commons May 1997からキャプチャ。

 上は、メイさんが初当選したときの、英庶民院議員名鑑です。まず、メイさんは初当選は40歳過ぎていたんですね。そして、この選挙では、保守党は18年ぶりに下野しました。メイさんは得票率49・8%で初当選。対抗馬の反対党(野党・労働党)の候補者は日本でいう惜敗率52・0%で大差で負けています。ただ、英総選挙では、その小選挙区の前回得票との差、「スイング」が重視され、メイさんは、前任保守党議員から、マイナス11・8%もスイングしてしまっていますから、与党・メージャー保守党の下野への逆風はそうとう強かったようです。ただし、他の選挙区でもほぼ同じ程度のスイングが起きています。

 こうして野党議員としてスタートした、メイさんですが、連続して当選。政権交代後の2010年にはさっそく内務大臣として初入閣。 

[写真]2010年の、第1次キャメロン・保守党・自由民主党連立内閣の閣僚の記念撮影=英紙タイムズの、2014年7月16日(水)付の8面の記事からキャプチャ=。

 初当選から13年経ち、初めて与党議員になると同時に初入閣した、2010年の第1次キャメロン保守党・自由民主党連立内閣の記念写真。右の赤丸(筆者が加筆)のキャメロン首相の後列の端から2番目のという控えめな位置(左赤丸)のメイ内務大臣。

 初入閣時点では、内務大臣(兼)女性参画担当大臣でしたが、兼務は2年後に解消されました。控えめに位置ですが、他の資料によると、閣議の席次は、キャメロン首相から見て、向かい側の人物の左2人目に座っていますので、主要閣僚です。

 2015年の総選挙では、メイさんは、初当選時と同じ名前の選挙区(境界線がまったく同じかは不詳)で65・8%で当選。対抗馬の反対党・野党労働党の候補の惜敗率は18・0%という大圧勝。BBC開票特番スタートから1時間もしないうちから、スタジオで、デイビッド・ディンブルビー記者のインタビューを受けました。下馬評と違う「保守党単独過半数」という出口調査結果から始まった驚きの出だしから、さっそくテレビで政局のキャスティングボートを握ったのでしょう。明晰なメイ内務大臣が、すばやく首と腕を伸ばして、ディンブルビー記者に答える様が印象に残りました。この番組では、ディンブルビー記者が、中継で登場した名物政治家のボリス・ジョンソンさん(メイ内閣で外相に就任)に「風に吹かれましたか」とヒットソングとかけた一声で機先を制して、インタビューをしたのも話題になりました。

 政界一寸先は闇。総選挙に勝つために国民投票を約束した第2次キャメロン首相は、単独過半数からわずか1年2か月後に、国民投票敗北で辞任。メイさんが在職19年、59歳で首相の座を射止めました。

 英庶民院には首班指名がありませんから、キャメロン首相は2016年7月13日(水)の党首討論(PMQ)で、辞任を表明。与党・保守党議員が総立ち、野党・労働党は着席しながらも拍手で送り出しました。在職15年49歳で、首相からバックベンチ(与党政府外議員)になるキャメロンさんは英国の未来に言及しながら、声を潜め、「私も昔は未来の一人だったんですが(I was the future ones)」との絞め言葉で庶民院本会議場を去り、バッキンガム宮殿でエリザベス女王に報告。女王は速やかにメイさんを呼び出し、首相に任命しました。

 David Cameron's last PMQs: 13 July 2016

 組閣情報は、首相官邸公式ウェブサイト、Twitter等で逐次、発表されました。

 翌20日水曜日の党首討論には、もちろんメイ首相が登場しました。

Theresa May's first PMQs: 20 July 2016  

  上述のジョンソン議員など、最近の(そんなに昔は知りませんが苦笑)庶民院は、女性議員を中心に、真っ赤なノースリーブなど、目立つ服装が多く、メイ首相もヒョウ柄のパンプスなどが話題になっています。

 日本の衆議院先例集にあたる、規則集、アースキン・メイの「メイ」も同じ綴りですが、こちらは19世紀の事務総長ですから、メイ首相と無関係だと思います。 庶民院中継は、日本時間だと夜になるので、眠たくて、とても日本の国会中継後には聞けませんし、上の新聞類も、なかなか読みに行く時間がとりにくいのですが、引き続き英二大政党を見ていきたいと思います。

 すべては、政権交代可能な二大政党政治を日本に根付かせるために。

(C)Nobuyuki Miyazaki 宮崎信行。 


陛下、生前ご退位へ、摂政でなく天皇交代なら特別法案、皇太子(孫)は悠仁さまで万事よし、元号法で平成改元

2016年07月13日 19時57分31秒 | 第192回臨時国会(2016年9月から12月まで)条約・カジノ再延長国会

[写真]秋の両陛下、2015年、宮内庁。

 天皇陛下は、生前ご退位なさるご意向を周囲にお示しになられたようです。2016年7月13日のNHKニュース7が報じました。

 陛下は、昭和天皇の子供として生まれたため、生まれた瞬間から皇太子。人生で、皇太子殿下と天皇陛下の2つのご身分しかご経験なさったことがなく、私(第19代允恭天皇子孫)は、陛下は崩御あらせられるその日まで、ご公務をなさるのが「明仁さん」のためと考えでおりました。

 陛下は、国際法、国内法にはまったく問題が無いとはいえ、先の大戦の皇太子殿下としての業があります。灼熱地獄の中亡くなった多くの国民への哀悼の意を抱きしめてのご退位をとなりそうです。

 日本国憲法第5条は「摂政を置くときは、摂政は天皇の名でその国事に行為を行う」とし、第7条に限定的に列挙した国事行為を行うことになります。すなわち摂政でも天皇の名前で国事行為ができます。改正前の憲法では、大正時代には、裕仁さまが、摂政(兼)皇太子殿下として、関東大震災の被災地を自ら馬に乗ってかけまわわれ、その若き情熱は多くの臣民を元気づけました。

 陛下のお考えは、徳仁さまに摂政を兼ねてもらうのではなく、天皇陛下になってほしいのかもしれません。この場合は憲法・法律の規定はありませんから、新法が必要となります。

 皇室典範(昭和22年法律3号)第8条では、皇太子は、「皇嗣たる皇子」としながらも「皇太子のないときは、「皇嗣たる皇孫を皇太孫」というと定めています。

 このため、徳仁さまが、天皇陛下にご即位なさった場合は、秋篠宮悠仁さまが、皇太孫となり、ご皇位継承順位第1位者となると考えられます。

 万事良し。

 元号法第2条により、天皇陛下が変わると、改元され、何一ついいことがなかった平成が終わります。

 スムーズなご皇位継承には、現在の首相である安倍晋三自民党総裁のみならず、最大野党党首の岡田克也民進党代表との二人三脚が必要です。

 政権交代可能な二大政党政治が日本にできれば、国の財政の持続可能性が高まり、畢竟、万世一系の天皇制の持続可能性が高まります。明仁さまのご決断は、三千年、いや四千年先の日本人にも語り継がれるでしょう。

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自民党が27年ぶりに単独過半数 第23・24期参議院、「強すぎる参議院」終止符へ

2016年07月13日 17時48分47秒 | 第191回国会(2016年8月)院の構成

[写真]第24回参院選投票締め切り30分前の参議院、2016年7月10日(日)、筆者・宮崎信行撮影。

 報道によると、自民党が、平成28年2016年7月スタートの、第23期24期参議院(第47期衆議院)で単独過半数になることになりました。

 自民党の単独過半数は平成元年に宇野自民党が、消費税、リクルート、GATTの3点セットで、土井社民党に敗れた、山が動いた事件以来。

 27年ぶりの衆参単独過半数会派の登場で、強すぎる参議院に終止符を打ち、カーボンコピーへと戻ることになりそうです。

 首相の重要法案2本を人質にし、参議院最大会派会長が首相とサシで会談し、そのうち1本の成立のみ許す、与野党一体会期末日程闘争が復活する可能性もあります。

 追加公認される無所属議員は、再選戦術のために、旧民主党を離党したところ、参議院本会議場で、旧民主党員の誰からも一瞥すらされない、「旧民主党SWKによるいじめ」(SWK=育ちの悪い方々の略語)を受けており、居場所がなくなっていました。

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