【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【岡田克也】お誕生日おめでとうございます、野党再編に距離、「一つの塊」に嘆き節も「政治塾」は枝野、玉木両代表も講師に、外務委員会で6回質問、テレビ入りは1回も「予算委2年連続2日目1番機」

2020年07月13日 23時17分16秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]時計を見る岡田克也さん、きょねん2019年10月23年、衆議院第一議員会館、宮崎信行撮影。

 お誕生日おめでとうございます。岡田克也さんは、あと1時間弱、もうすぐ2020年7月14日となり、お誕生日。67歳となります。

 先週日曜日の都知事選は現職圧勝。岡田さんが都知事選のさいちゅうに最大野党党首のはしごを外されて4年の月日が経ったことになります。

 この1年間は、無役ながらも「政治塾」の事務局として、枝野幸男、玉木雄一郎両代表の講演を開催。野党1期生の橋渡しをしました。平均20名ほどの1期生議員が参加しました。


[写真]玉木雄一郎代表、2019年10月23日。

[写真]枝野幸男代表、2019年12月4日。

 そして、大きな変化として、腹心中の腹心だった本庄知史政策担当秘書が衆院選出馬のため昨年末に退職。代わりに参院選で惜敗した芳野正英・前三重県議が政策担当秘書(兼)三重民主連合事務局長になりました。引き続き、東京と四日市の組織・選挙を切り回す金指良樹事務所長と長年日本を代表する政治家の日程調整を任される安野啓子秘書の磐石な体制で代議士の見果てぬ夢を共有し続けています。

 岡田さん自身はこの1年間に衆議院外務委員会で6回質問。直接は聞いていませんが「現役」アピール。テレビ入り国会中継は1度だけでしたが、野党のエースともいえる「予算委員会の基本的質疑の2日目の午前9時」では2年連続登場となりました。

 令和元年から令和2年となり、新型コロナウイルス感染症で世界が混乱。岡田さんは自宅から1時間かけて国会まで散歩通勤。今まで縁が無かった参議院の第2議員宿舎がある「清水谷」の公園(ホテルニューオータニ至近)の美しさを知ったようです。

 開会中は週1回、閉会中は隔週1回の「記者懇談会」も開催し、新聞記者がおおよそ10社10名、フリーランス・独立系が2者2名くらい参加しました。1年分のノートを振り返りましたが、「野党は一つの塊になってほしい」と言い続けた1年間でした。無役ですので、それ以上のことにはかかわらずに、次期衆院選を迎えることになりそうです。

 「民進党離党」から1年半経ちましたが、永田町での影響力は維持し続けており、筆者としてもホッとしたところです。

 また、ご存知ない方が多いでしょうが、参院選で田村まみさんが初当選。比例代表の全体7位で、連合傘下では1位。組合員100万人のUAゼンセンでは初の1位。同産別では初めて女性参議院議員となります。田村さんはイオン社員で、イオン・リテール労連からは初めての参議院議員となりました。岡田さんは立憲民主党寄りですが、田村さんは国民民主党所属です。

 地元に戻れる時間は増えたわけですが、新型コロナウイルス感染症予防のため、四日市(川越町)の事務所から企業に電話をかけるような活動を重視。自動車産業の先行きは見通せないようです。

 67歳と言うと、初当選の年齢がほぼ同じ渡部恒三さんだと、大臣を3回、通商産業大臣、自治大臣、厚生大臣をやりました。一方同い年の二世議員、船田元さんは宮澤解散当日から27年経ってもいまだに再入閣できず。岡田さんは入閣2回ですが外務大臣、副総理ですし、与党の幹事長、野党の代表・幹事長の経験があるわけです。安倍総理は岡田さんより2歳若い65歳ですが、二階幹事長は81歳、麻生副総理は79歳となっています。

 正直、のんびりやっていますが、5年前の目の網膜剥離は完全治癒。野党の精神的支柱ではあり続けています。

 これからの1年間はとにもかくにも解散総選挙で、岡田さん自身の当選が最優先になります。それ以外は、まあなんかあるかもしれませんが、いまだ若き67歳、「風車、風が吹くまで、昼寝かな」といったところでしょうか。

このエントリーの本文記事は以上です。
国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読ください。 
このブログは以下のウェブサイトを活用しエントリー(記事)を作成しています。
インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki