【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

ハシゴを外された両大臣 思い付き政策での巻き返しは自重を

2009年09月21日 05時45分32秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足

 ドリフのコントのようにハシゴを外された菅副総理・国家戦略局担当相と仙谷行政刷新会議担当相。次々に指示・命令を発する長妻厚労相、前原国交相、岡田外相、原口総務相、川端文科相らとくらべて、2人がいかに大臣になるための準備を怠ってきたかが、ありありと分かります。

 菅さんは20日の日曜討論で目が泳いでいました。かなりつらい状況に追い込まれてしまっているようです。民主党の名誉のために、菅大臣、仙谷大臣には巻き返してほしいのです。が、菅さんは「複数年度予算を導入する」という明らかに思い付きの発言をしてしまいました。藤井財務相は番組終了直前には、明らかに笑いをかみ殺そうとしていました。さらに藤井さんは「マニフェストは断固守るのが私の考え。マニフェストの通りにやる」と言いました。まさにその通りです。マニフェストをしっかり守っているからこそ、前原国交相の八ッ場ダム・川辺川ダム中止がスムーズに世論に受け容れられ、内閣の金庫番である藤井財務相もお墨付きももらっているのです。

 鳩山総理が5月16日の民主党代表選出直後の記者会見で、突然、「国家戦略局」という言葉を初めて使い、ナニゴトかと思いました。「行政刷新会議」は2005年7月27日に岡田代表が発表した財政再建プランで登場したことばです。

 しかし、なんだか、「国家戦略局」も「行政刷新会議」も、小沢幹事長が両大臣にしかけた罠のように感じてしまうほど、両大臣は5日間で失速しました。16日の組閣からわずか5日間でこの有り様。これは「政治は一寸先は闇」という言葉よりもむしろ、明治維新のときのように歴史の転換局面におけるすさまじいまでのスピード感を感じます。少年期にマンガで読んだ「江戸から明治へこんなに時代が大きく変わったのは初めてじゃ」と語った明治元年の大晦日の庶民と同じ世界に自分がいるだと思います。

 この出遅れは、両大臣、2010年7月の第22回参院選まで取り戻せないと覚悟した方がいい。巻き返しのために思い付きを言わない方がいい。思い付きで「複数年度予算を導入する」なんて、爆笑のヒトコトですよ。こんなこと言ったら、政治生命失いますよ!菅さん。憲法違反だし、一般会計が単式簿記であるという予算書のイロハのイを理解していない。勤続30年間、何をやっていたんでしょうか。菅さんは都連代表として都議会民主党に口出ししますが、東京都庁が複式簿記・発生主義会計であるということを勉強したことがあるのでしょうか。この人は公会計も地方自治もまったく理解していない人だと今さらながら認識せざるを得ません。

 ここまで読んで、菅ファン、仙谷ファン、とくに両大臣と同世代(団塊)の人は怒り心頭に発したと思います。すいません、期待の裏返しということで勘弁してください。菅、仙谷両大臣はことし5月の代表選では、日本のため、民主党のためにすぐれた判断をしました。両大臣に善後策を提案したいと思います。

 まず仙谷大臣。仙谷さんは弁護士ですから同時に税理士でもあると思います。税理士ならば、次のことは理解できるはずです。

 就任会見以降、仙谷大臣から「業務棚卸し」「事業仕分け」という単語を少なくとも私は一度も耳にしていません。私は行政刷新会議とは、「予算書の各項目を棚卸しし、仕分ける部署」と理解していたのですが、違うのでしょうか? 

 それと特別会計の積立金のうち年金基金などを除いた“埋蔵金”(68兆円=細野試算)、独立行政法人の余剰金(16兆円=同)、独立行政法人の関連会社と公益法人の余剰金(11兆円=同)を徹底的に調べ、電話したり訪問したりして回収していく作業をする“RCC”(整理回収機構)のようなチームだと思っていました。

 菅、仙谷両大臣は職員定数の増減は政令改正が必要だ、ということを知らなかったようです。仙谷大臣は19日のNHK番組で、「多くても7人」とずいぶんちんけなことを言うところまで追い込まれてしまいました。だったら、政府に入れなかった与党議員を使えば、100人チームも可能なのではないでしょうか? これはある当選5回生のアイディアですが、私も賛成です。1年生議員でも、銀行員、弁護士、官僚、首長出身者ならばできる人がいると思います。“埋蔵金発掘ランキング”を発表してもいいかも。これはできる議員はドンドンできますが、できない議員はまったく何もできないと思います。仙谷さんは「若手の面倒見が良い」(渡部・党最高顧問)ことで有名ですから、そういった新人教育も政府でやれば、与党議員として励みになるのではないでしょうか。

 国家戦略局については、総選挙中に、「政策調査会事務局職員全員が官邸入りする」という一部報道が流れました。だれが何の意図で流したかは、だいたい察しがつくし、同情する面もありますが、やはり、この人たちは“切りたい人”です。人選のアイディアはあまりありませんが、まずは8月末の概算要求書を廃棄させなければいけなかったんだと思います。菅さん「概算要求の廃止」ととれる演説をしていて、何度か聞いております。だったら就任直後に概算要求書の廃棄を命令する、という手もあったのでは? 来年度の概算要求書が財務省の建物に山積みになっている状態で、今は9月中旬です。本予算原案の決定まで3ヶ月程度しか時間がないというスケジュール感がない。菅副総理の一連の発言、「外交も担当する」、「年内に第2次補正予算を編成する」、「複数年度予算を導入する」。これらの発言はほとんど爆弾同然、政府は大混乱するだけです。勉強不足です。まずは「思い付き発言」は絶対に我慢してください。とりあえずは古川内閣府副大臣(国家戦略局事務局長)に助けを求めるべきです。それから、政府税調と党税調を一元化するという話はどうなっているんでしょうか? 今のうちに古川さんを税調会長に指名してしまい、国家戦略局に政府税調を置いちゃうという手もあります。私は別に財務省にケンカを売っているのはなく、とりあえず私が菅直人ならそうする、ということを書いています。

 それと、次の記事を初めて読みましたが、参考になる点があると思いますので、読んでみてください。

 それにしても、9月16日以降、目が回るように情報があふれ出てきます。歴史の流れが変わりだしたのが実感できます。

共同通信配信記事、2005年7月27日=郵政解散(8月8日)の約2週間前

刷新会議新設し10兆円削減 民主・岡田氏が財政再建案
2005.07.27 共同通信 (全567字)  

 民主党の岡田克也代表は二十六日、政権交代実現後の八年間で取り組む財政再建案をまとめた。首相が議長を務める「行政刷新会議」を新設し、三年間で十兆円規模の歳出を削減するプランを打ち出す。併せて首相主導の予算編成を実現するため、予算編成権を持つ「国家経済会議」も設ける。岡田氏は、同案を今国会中にもまとめる政権構想「内政ビジョン」の柱に据える意向だ。
 再建案によると、行政刷新会議には企業再生に実績を上げた経営者らを起用。国家経済会議は首相が主宰して毎年度予算の大枠と中期目標を決定する。財務省の予算・財政企画部門は内閣府に移管し、経済財政諮問会議は廃止する。
 八年間で基礎的財政収支(プライマリーバランス)の均衡を目指し、最初の三年間を一期目、次の五年間を二期目と位置付ける。
 一期目は/(1)/国直轄の公共事業費を半減/(2)/補助金を二割削減して地方に一括交付/(3)/国家公務員総人件費の二割削減-などで十兆円規模の歳出削減を実現する。政府系金融機関の株式売却など八兆円規模の国有資産売却も進める。
 この間、財政再建を目的とする大型増税は行わないが、同党が公約している年金目的消費税の創設は、その分だけ年金保険料が引き下げられるため増税には当たらないとしている。
 二期目は特別会計の歳出改革に取り組み、所得税諸控除の整理や消費税率引き上げなども検討する。

菅直人副総理 仙谷由人(せんごくよしと)行政刷新相 長妻昭厚生労働大臣 前原誠司国交大臣 
岡田克也外相 原口一博総務大臣 川端達夫文部科学大臣 藤井裕久財務大臣

鳩山由紀夫首相(民主党代表) 民主党幹事長の小沢一郎さん

細野豪志衆院議員 民主党の渡部恒三最高顧問 古川元久・国家戦略室長


大人の事情 小沢幹事長が閉会中の英国議会視察で出国

2009年09月20日 20時02分54秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
 民主党の小沢一郎幹事長がきょう(20日)午前、成田空港から出国しました。これに先立ち民主党は「小沢一郎幹事長を団長とし、(小沢秘書出身の)樋高剛衆院議員、専門家による調査団が20日~25日、英国で実務調査をする」と発表しました。

 達者な方は、次の英国議会の日程を見ると分かると思いますが、

 http://services.parliament.uk/calendar/default.aspx

 英国議会は今月は夏休み中で何一つ本会議・委員会の日程が入っていないようです。英国議会は11月召集の通年国会制に変わったそうですが、9月は何もなく、次の開催日は10月12日のようです。同日は庶民院(下院)で健康保険法案の審議再開や文部科学・ロンドン五輪相への一般質疑(Oral Question)などの議題が設定されており、論戦が再開するようです。そこから会期末まで一気に連日論戦が続き、最終盤国会の攻防に突入するのでしょう。ですから、今イギリスに行っても、議会は夏休み中のようであって休会中、日本風に言えば、“閉会中”のようです。

 そこで、民主党ニュースを改めて読むと、訪問団の目的は、「英国労働党、保守党の事務局幹部、下院事務局幹部、司法省など関係省庁の幹部学者などと面談し、調査を行うことになる」と書いてあり、国会議員に会ったり、本会議や委員会を傍聴するとはヒトコトも書いてありません。

 小沢さんは昨年5月のゴールデンウィークは、韓国へ行ったと思います。このようなときは、主にホテルで読書をしているそうです。そして、小沢さんはいっさい電話の取り次ぎに応じないので、随行者は対応に困ることもあるそう。総理の電話だってでないかもしれません。小沢さんは気分屋というか、ダブルスタンダードですから、思い付きで総理に電話し、その後、副総理から電話がかかってきても出ない、ということもあるかもしれませんが、基本的には休養であって、動くのは25日(金)の帰国後、来週からということになるでしょう。

 休養であって、検査を受けるわけではないだろうと推測します。また、MI6、CIAに会うなどという憶測は、昔なら『007』ジェームズ・ボンドの見過ぎ、ちょっと前なら『ゴルゴ13』の読み過ぎ、最近では2ちゃんねるのやりすぎだから、ちょっと秋の風で頭を冷やした方がいいでしょう。

 ところで、昨年の小沢さんの訪韓中は、山岡賢次さんが日本で「小沢さんは時々三振するので穴埋めが大変(笑)」と講演し、リラックスした姿を見せました。

 紳士の国・英国。大人の事情を察しましょう。鬼の居ぬ間にしっかり休もう、マイ・フェア・レディ。

民主党:小沢幹事長、20日から訪英予定 英国国会、議会、政党、選挙制度等の実務調査行う

 民主党は18日、小沢一郎幹事長を団長に、樋高剛衆議院議員、専門家らによる民主党調査団が20日出発、25日帰国予定で訪英し、実務調査を行うとの日程を明らかにした。

 調査項目は、(1)国会審議の方法と議会運営の在り方、(2)選挙運動の規制と自由化、(3)企業団体献金の禁止と個人献金の在り方、(4)公務員制度改革に向けた環境整備など。

 英国労働党、保守党の事務局幹部、下院事務局幹部、司法省など関係省庁の幹部、学者などと面談し、調査を行うことになる。

密約に「苦渋の判断あったかもしれない」とし有識者会議設置へ 岡田外相

2009年09月20日 11時01分31秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足

 岡田外相は9月16日深夜(9月17日未明)の外務省初登庁直後に日米間の過去の密約4つについて、11月末までに調査結果をまとめるよう、藪中外務事務次官に対して「大臣命令」を発布しました。これは「指示」ではなく、「命令」で、国家行政組織法などに基づき、従わなければ事務次官らがクビになる、という大変重いものです。もちろん、藪中次官らは快く命令に従い、15人以上の職員によるチームを設置し、3200冊以上のファイルを読み込み、精査することを決めました。

 岡田外相は「外交というのは国民の理解と信頼に裏付けられたものでなければならない」と語りました。デモクラシーの出発点である公文書管理・情報公開によって、外交への国民の信頼の基盤を整え、民主党政権による“日本の夜明け”を演出するねらいだと思います。

 なお、マニフェスト・政策インデックスには、この案件はありません。大臣命令発布は、“何事も初めが肝心”という闘いの鉄則に基づくものでしょうが、「(自民党の)大臣が『密約はない』と国会で答弁しているのに官僚が『ある』と答弁することはできない」として、外務官僚の“若気の過ち”の免責を約束すると同時に、来日した旧知のカート・キャンベル国務次官補から「米国ではすでに公開された周知の事実も多い」「日米関係に悪影響はない」との認識を述べてもらい、右手で官僚、左で米国と握手しながら“綱渡り”をすることになりました。ここ3日間、ずっと岡田さんの狙いを考えていましたが、中間的なとりまとめとしては、こういうことだと考えています。

 “綱渡り”というのは、外交の継続性がある以上、自民党政権とはいえ、日本外交の機密が明らかになったときに、どのような影響があるか? 岡田外相は20日朝のテレ朝「サンデープロジェクト」で、「(密約の背景に)苦渋の選択があったかもしれない」とし、調査報告書ができてから1ヶ月程度で外部の有識者会議を設け、密約の背景について、話し合ってもらうことを明らかにしました。

 4つの密約のうち、3つめ、佐藤首相が非核3原則「核を持ち込ませない」を発表した後の、1969年1月の日米首脳会談で、「核持ち込み」の秘密文書に、ニクソン大統領とサインしたとされる決定的証拠が出てきた場合にも、それが必要な密約(外交機密)だったかどうかを、調べる方針を示しました。

 米国公文書館(アーカイブ)のホームページには「(デモクラシーは公文書から始まる)Democracy Starts Here.」と大きく書いてあります。11月末の「密約報告書」は、まさに民主党デモクラシーの出発点になります。

 なんだかワクワクしてきました。欧米と比較して遅いか早いか--はいいです。私たちの国のデモクラシーをしっかり歩いていけばいいのです。

 関連エントリーです。

公文書管理法案の審議に影響か?核兵器持ち込み密約を外務事務次官が情報を独占していた 共同報道

 以下のエントリーに書いたように、岡田外相は党副代表だった3月14日に、密約の公開を予告しています。

【岡田発言】「記者は国家公務員法111条違反で逮捕」「会社は倒産」を惹起させるねらいか?


岡田外相(岡田克也)、藪中三十二・外務省事務次官、佐藤栄作首相

民主党に対して首相官邸内での記者会見の開放を求めます

2009年09月17日 23時47分51秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
 内閣記者会と民主党、ネットメディア、フリージャーナリストの間で、首相官邸内で開かれる記者会見について、内閣記者会所属・オブザーバー以外にも開放すべきだという折衝が続いているようです。

 私はぜひ、民主党政権において、首相官邸内で開く記者会見は、ネットメディア、フリージャーナリストにも記者証を発行し、記者会見への参加を認めるべきだと思います。

 これまで、民主党本部内で開かれる記者会見には、野党記者クラブ員以外も参加できました。受付で名前を書いたり、名刺を渡せば、入室でき、司会者の指名を受ければ、党職員がマイクを持ってきてくれました。

 私は民主党本部の幹事長や政調会長の記者会見によく参加していました。なお、政調会長の記者会見に関しては、党本部HPでのネット配信がありませんでしたから、直接行く必要がありました。

 フリーランスだからこそ聞ける質問があります。番記者という立場だと聞きにくい質問、余裕があるから事前に時間をかけて調べた質問、会見場の空気を読んで「漏れている」と感じた質問をしました。既存メディアが記事にしてくれたこともありました。また、私はパソコンを持ち込まず、昔風に、ノートと鉛筆だけで、会見者の目を見ながら質問するので、表情の変化なども含めて取材させていただきました。

 記者会見への参加について昨日、国会内でお会いした政府幹部の衆院議員とも話しましたが、民主党と内閣記者会との話し合いは難航しているそうです。廊下での立ち話ですので、正式な申し入れではありませんが、政府幹部には善処をお願いしました。

 神保哲生さん、上杉隆さんらが頑張ってくださっています。

 私は(株)日本経済新聞社に入社と同時に内閣記者会所属となりました。内閣記者会という温室でしごかれ、まもれ、純粋培養されたという恩義があります。

 とはいえ、ニューメディアが台頭する中、新聞、TV、通信社は旧体質から脱却しなければ、今後成り立たなくなるであろうことは、卒業生からみれば一目瞭然です。

 内閣記者会会員の経験があるジャーナリストとしては、私が初めてになるかと思いますが、

 民主党に対して、首相官邸内での記者会見の開放を求めます。

岐阜4区・今井雅人さん「YAMACHAN頑張ります!」

2009年09月17日 18時54分25秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
 これはびっくりファンサービス。
 おかげさまで政権交代し、9月16日、初登院&第1次鳩山内閣発足。応援団の私にも、ファンサービスをする心の余裕がわいてまいりました。

 というわけで、このエントリーは、当ブログの読者であり、コメ・TB・リンクとお世話になってきた「YAMACHAN」たった一人へのファンサービス・エントリーなのです。

 9月16日、初登院(午前8時から)の直前、岐阜4区の今井雅人さんをお見受けしたので、さっそく声をかけ、当ブログ愛読者のYAMACHANへのメッセージをもらいました。午前7時50分頃、国会正門前です。

岐阜4区・今井雅人さん「YAMACHAN頑張ります!」

 今井雅人議員もご協力ありがとうございました。

政権交代チルドレン初登院写真集

2009年09月17日 01時36分27秒 | 森山浩行 大阪16区
(暫定のアップロードです)


[写真]午前7時50分、国会正門の開門を待つ阿知波吉信さん(岐阜5区)。民主党不毛の地だった地域で、2度目の挑戦で、当選をもぎ取りました。表情が晴れ晴れとしています。1997年後半に、阿知波さんの郵政官僚時代に、研修という格好で、橋本総理番を一緒にやったことがあります。あのときの総理番仲間の3分の1近くが政治部にいる、と話したらとても喜んでいました。議員会館は第1の512号室だそうです。総理番仲間の人もそうでない人も、阿知波さんに会いに行きましょう。


[写真]岐阜4区の今井雅人さん、うしろの横顔は岐阜2区の橋本勉さん。3回生の園田康博さん(岐阜3区)ら岐阜県連はそろって早朝から集まっておられましたが、「県連で複数議員が連れ立って初登院する」のは初めてなんですね!


[写真]国会正門前で、初登院にあたり取材に答える大阪16区の森山浩行さん。


[写真]国会正門をくぐり、初登院。さすがに緊張?


[写真]でも大丈夫。一人ではありません。森山浩行さん家族揃っての初登院です。(長男は小学生ですから、大阪で通学していたようです)。このファミリーで初登院する姿。マニフェストとかそういうことでなくて、民主党が日本に新しい風を吹かせる予感。政権交代。


[写真]登院ランプを押す森山浩行さん。480人が初登院するのですから、この写真を撮るのは大変なんですが、衛視さんも協力的でした。やはり1回生の初登院は、一生に一度ですからね。


[写真]当選証書と名刺を渡して、議員バッジをもらって手続き完了。お互いの記念撮影の出来映えで盛り上がる吉田治さん(大阪4区)=手前の後ろ向き、青木愛さん(東京12区)=右側の前髪に手を当て振り向く女性ら。なお、写真とは別に神奈川12区の中塚一宏さんの奥さん=元達増拓也・衆院議員(現岩手県知事)の秘書=に久しぶりにお会いしたので、「(浪人中の)4年間大変でしたね」とお声掛けすると、感極まっていらっしゃいました。312人みんな4年後も再選しましょうね。


[写真]民主党代議士会室で最前列に座った小山展弘さん(静岡3区)=右側。隣の坂口岳洋さん(山梨2区)=中央らとあいさつ。代議士会スタートの20分前ですが、早めにきて大正解。この部屋が衆院議員でいっぱい、記者、秘書は廊下にあふれていました。


[写真]左側の第14控え室で代議士会開催中ですが、入り切れない記者、秘書が廊下にあふれました。与党になると何もかも変わります。

民主党代表の鳩山由紀夫さんを総理大臣に指名 衆院本会議

2009年09月16日 23時51分39秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
【国会傍聴記 2009-9-16 衆院本会議】

 実はきょうは傍聴席から100人以上があふれてしまい、私も国会見学者用のモニターに映るTV画面で見ました。午後1時~午後2時51分、傍聴者の入れ替えがなく、残念ながら一般傍聴席に入ることができませんでした。幹部衛視から謝罪がありました。

 4年前の首班指名を傍聴した人に聞きましても、「こんなに人があふれることはなかった」ということで歴史的瞬間を見たい、という人が多かったようです。午後2時50分、横路孝弘議長が「鳩山由紀夫さんを内閣総理大臣に指名する」と発表すると、モニター聴衆から拍手が出ました。民主党を支援している人が多かったようです。ちなみに、一般傍聴席で拍手をすることはできません。

 国会傍聴が多くなったことは、それ自体がデモクラシーの前進であり、このブログが少しでもその流れを支えたのなら、傍聴席から閉め出されたけど、私としては本望、といういうべきでしょうか。

 ◇

 第172特別国会が召集されました。

 新議長には横路孝弘さん、副議長には衛藤征士郎さんが選出されました。

 この後、麻生太郎内閣総辞職に伴う、首班指名選挙が行われました。衆院参事らの集計の結果を横路議長が報告。

 民主党代表で北海道9区選出の衆院議員、鳩山由紀夫さんが第93代(60人目)の内閣総理大臣(首相)に指名されました。

 参院でも直後に「鳩山総理」が指名されました。政権交代が正式に完成です。
 いよいよ第1次鳩山内閣が発足しました。

初当選を手伝った議員が初入閣! 北沢俊美防衛相

2009年09月16日 11時00分00秒 | 素晴らしき新生党保存会

 2009年9月16日。

 政権交代完成。
 第1次鳩山内閣発足。
 友人がどんどん国会議員初登院。

 そして、僕にとって、もう一つ、記念すべき日となりました。政治少年から政治青年と歩んだこの17年。ついに「初当選を手伝った議員が入閣」です。

 北沢俊美、参院長野全県区選出、当選3回、勤続17年。第45回衆院選では、長野県連代表としては、長野県全5区で全勝の上、自民党を全員完全落選させるパーフェクトを達成。「民主党王国・長野」の復活です。10年の歴史を超えた民主党でも、“王国の復活”というのはこれが初めてでしょうか。

 満を持して、当然の入閣です。

 
http://www.youtube.com/watch?v=16-_BlsKX5k


 鳩山総理の秘書官から「総理からのご指示でお電話しました。官邸にお出かけください」との電話を受け取る瞬間を見ました。モーニングを携えた公設秘書を従えながら、参院議員会館から官邸に向かう北沢さん、「よう宮崎君も来たか」と言うので、「1992年の初当選から17年、うれしいです。おめでとうございます」と言うと、いつも通りの笑顔で応じてくれました。

 これに先立ち、地元TV各社などの取材に対して、首班指名について、「これまで自分の書いた名前が首相に直結したことがなかった」として、与党になったことを実感したことを披露。

 その上で、民主党王国・長野のみなさんに

 「自分の場合は、自民党を離党してから足かけ17年になる。

初めて自分の書いた名前が首班指名で首相になった。
長野県民のみなさんには、二大政党制、政権交代可能な政治をやろうと、羽田先生と手を組んで訴えてきたことに、大きな力で支えてくださったことに感謝すると同時に、
全国のさきがけとして、先駆的にバックアップしてくださったことに感謝したい
」と述べました。

 私も東京生まれですが、長野の百姓の血と長野の米と野菜で体ができています。私自身も、この17年間、一日の揺るぎもなく政権交代・二大政党制をめざしてきた者にとっては万感の思いがあり、帰りの地下鉄で感極まるものがありました。


[写真]「鳩山首班」に投票する羽田孜さん(左から2人目)、右端は小沢一郎幹事長、羽田さんの左隣は中井洽さん、議長席は横路孝弘・衆議院議長=衆議院TVからキャプチャー

 外交と防衛は密接不可分。政権交代後のブログの方向性に思いあぐねているのですが、岡田外相と北沢防衛相がコンビを組むということで、一つの選択肢が出てきました。やっぱり俺ツイてる!!!

 ◇

 北沢俊美(北澤俊美)さんは、1992年の第16回参院選で長野全県区からは初当選し、連続当選3回。1994年の羽田内閣で農水政務次官、第2次民主党の初代執行部で参院国対委員長、「民主党・新緑風会」幹事長を務めました。ねじれ国会では参院外交防衛委員長として、守屋・秋山喚問、インド洋給油特措法の一時失効を実現しました。当時の自民党政府からどれだけ罵られても、ぶれないで、しっかり「つるす」。小沢一郎代表(当時)と直接連絡をとりながらやるのですが、この採決しない、「つるす」というのは、大変な精神力・ねばりだと感じました。このとき委員だった参院一年生が16日、「何でもやります」と名刺を秘書さんに渡していました。早くも副大臣・政務官のアピールのようです。

 ◇

 1992年夏、第16回参院選。政治学科の初めての学期を終えた私はまだ新幹線開通する前の「旧・長野駅」に降り立ちました。

 一週間、選挙の実地勉強をしようということで、初当選をめざす前長野県議の北沢俊美候補の選挙事務所で、労務員としていろいろな勉強をしました。

 まずはお茶くみ。それから、応援弁士に渡す上野行のキップを買いに長野駅へおつかい。新聞各紙の買い出しにも行きました。さらに一人で選挙ハガキの枚数をたぶん数千枚(?)数えました。

 少し慣れたら、街宣車に乗って、ウグイス・ボーイ(カラス)をやらせてもらいました。このときに同乗したのは、若林正俊前衆院議員(当時の肩書き、以下同)、小坂憲次、田中秀征、井出正一各衆院議員、そして羽田孜蔵相。みんな一つの党だったんですよ。とくに井出議員と、長野県南部の川上村のレタス畑を遊説した時の爽快さは一生忘れ得ぬ光景。

 さらに北沢候補者付として、今も政策秘書を務める松原さんと3人で高速道路を走って、松本市内へ。演説会場の手前で、応援弁士の村井仁衆院議員と合流し、4人でカツ丼をいただきました。北沢候補が僕を紹介してくれると、東大卒・建設官僚出身の村井議員から「早稲田からもドンドンお役人になってくださいね」と温かいお言葉(^^;)をいただきましたが、現時点で国会議員である人が「お役人になってください」とおっしゃったのは違和感があります。

 さて、経世会→改革フォーラム21(羽田派)→新生党とめまぐるしく政治は動き、羽田内閣では農林水産政務次官になりました。

 私と石川知裕君(北海道11区)も、全国学生交流会(自民党学生部)→新生党学生塾(学生部)結成→新進党学生部合流とめまぐるしく、政治改革・政権交代・二大政党の志に向かって歩みました。

 しかし、「羽田孜vs小沢一郎」という私にとっては、体を引き裂かれるような党首選の後、羽田孜さん、北沢俊美さんは「太陽党」を結成。新聞記者になった私は新進党を自然に離党。小沢先生の書生・秘書になった石川君はまあ自由党だったんでしょうが、公募新人として政治活動をスタートしたのは、「民主党北海道11総支部長」です、念のため。

 太陽党は国民の声(細川護煕・岡田克也・鹿野道彦)と合併したうえで、1998年4月、第2次民主党に合流しました。そして、みんな同じ党に戻りました。

【北沢新防衛相の人となり】

 さて、防衛省の副大臣、大臣政務官、官僚、幕僚のみなさまにアドバイス。気さくなアイディアマン、北沢俊美の発言の8割は思い付きだと言われています。いろいろしゃべってブレーンストーミングするタイプの人です。だから、省議や打ち合わせでの大臣の発言や指示は、再確認してから、政策立案過程に移すことをオススメします。

 5月の党常任幹事会で、机の上にある資料を見た北沢副代表はさっそくアイディアがひらめき、発言しました。代表選に関して、「衆院側で現職115人にしか投票を認めないということになると、全国民の(小選挙区換算で)300分の115の意見しか反映することができない。元職・新人の総支部長も投票できるようにしたらいい」と発言。ところが、この思い付きに、すでに老獪に策を仕込んでいた小沢代表(当時)は「北沢俊美先生のご発言とは思えない」と怒って、議論は流されてしまいました。私は良いアイディアだと思うのですが、代表のご機嫌が悪かったようです。

 衆院側の30歳代の女性秘書から「宮崎さん、あんな怖いセンセイとよく話せますね」と言われるのですが、それはベテランの党副代表という肩書きがそうさせているのでしょう。ちなみに北沢さんの公設秘書3人の布陣は10年間変わっていませんから、けっして怖いということはありません。思い付きと重要発言の選別に慣れれば、大丈夫でしょう。

 ところで、北沢さんの肩書きの中に「学校法人理事長」というのがあります。これは「四徳学園」といって、長野市の今井といって、オリンピック選挙村跡地のニュータウンに、創業した理学療法士の養成学校の理事長をやっています。その流れで、養成学校を卒業した理学療法士の進路という意味合いもあり、近隣に福祉施設も経営しています。かなり大きな借金をかかえているようですが、実は参院議員よりもこっちの方が楽しいようで、今まではけっこう理事長室にも行っていたそうです。自民党の大臣規範は兼職が厳しかったのですが、民主党政権ではどうなるのでしょうか? 農業が趣味で、長野の自宅で苗の手入れをするだけでなく、きれいな花をカメラで撮影するという強面らしからぬ優しさ、感性も持ち合わせています。

 前田道路社員から、父急逝のため長野県議を世襲しましたが、政党は父親時代の社会党→民社党から自民党に移籍しました。そして、1992年、参院議員。羽田内閣・農水政務次官、民政党参院議員会長、第2次民主党初代参院国対委員長、民主党・新緑風会幹事長、民主党副代表、参院外交防衛委員長を経て、現在は民主党副代表・長野県連代表。

 さて、母親と同い年の政治家に言うのもなんですが、この人、記者会見・国会答弁で失言する可能性があります。おそらく総理、官房長官からも釘を刺されていると思います。できれば言葉尻をとらえるような質問や追及をしないよう、記者や野党のみなさんにお願いしたいと思います。

 小沢一郎幹事長は、第22回参院選長野選挙区(定数2)に民主党公認を初めて2人立てる考えがあるのかも知れません。仮にそうなっても、来夏の参院選のテーマは「鳩山政権の実績の審判」に移っていることは間違いないでしょう。

【関連エントリ】

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書き残しておきたいこと 地方議員さんはもっと「投票の働きかけ」をすべし

2009年09月15日 22時13分57秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

 TV、ネットでは新閣僚内定者など人事情報がドンドン出てきますが、民主党は与党ですから、ぜひ既存メディアでご覧ください。

 私は第172特別国会召集日の前に、このブログに帰ってきて、どうしても書いておきたいことがあります。

 1つは、大島理森さん(青森3区)、福田康夫さん(群馬4区)、森喜朗さん(石川2区)の自民党ベテラン3人が小選挙区で当選したことについて。

 この3人の選挙区は、投票直前の情勢では「民主党リード」と出ていたと思います。そして、私の知る限り、群馬4区と石川2区では、投票当日の午前中の出口調査でも、「民主党リード」と出た調査があったはずです。

 その後、その情報が後援会員に流れ、後援会員が自発的に電話をかけて、逆転したようです。今から振り返ると、期日前投票のリードも大きかったのでしょうが、開票作業では、期日前投票箱は当日投票箱と混ぜてしまいますので、真相は分かりません。いずれにしろ3人は投票日午後になってから、自発的に電話で呼び掛けてくださる後援会を持っていた。ぜひ、民主党新人議員には、こういった後援会を作り上げていって欲しいのです。いつかは逆風の選挙が来るのですから。

 もう1つは、候補者の演説の後に、地方議員さんがもっと具体的に「投票に行ってください!」と聴衆に働きかけるべきではなかったか、ということです。

 次の選挙最終盤の映像では、幹事長だった岡田克也さんが自ら、お願いしています。

 

 「家族を、周りの人を、5人、10人、20人声をかけてください」と働きかけています。私が撮ったこの映像には「涙が出ました」とのコメントもいただきました。

 ただ、岡田さんは全国を回って、地方議員さんがすべき基本動作である投票の働きかけができていない、と感じたから、幹事長自ら言ったのだと、私は察します。というのは、私も演説会を回って、候補者の演説の後、「あれ、このまま終わっちゃうの・・・」と感じたことがあったからです。

 民主党の地方議員さんもだいぶ増えてきましたが、まだキャリアの短い人が多いです。

 地方議員さんは候補者の演説の後に、

 「ぜひ、きょうでも、あすでも期日前投票に行ってください。期日前投票に行ったら、ご近所さんに『期日前投票に行ってきたよ。私は民主党の○○○○さんに投票したよ。下の名前は難しいから平仮名で書いてきたよ。思ったよりカンタンだから、ヤマちゃんも行きなよ』というようにドンドン話題にしてください。1人でも2人でもお声掛けください!よろしくお願いします!」

 という、具体的な投票の依頼をもっとすべきだと思います。「わざわざ演説会場に来てくださった方に向かって『投票に行け』、などというのは図々しいし、いやらしい」と言うのなら、何のための選挙戦なんだい?と思います。

 候補者の演説の後には、必ず地方議員さんが①投票してください②できれば期日前投票してください③家族、友人、知人にも声をかけてください--と頭を下げるべきです。

 私がかつて見た自民党の選挙では、参院選なら衆院議員が、衆院選なら地方議員がそういう風にやっていました。自分の選挙の時は、仲間がやり返してくれるでしょう。

 これは第45回衆院選で回っていて感じたことですので、しっかり記録しておきたいと思い、書きました。

 明日は第172特別国会召集日で、朝が早いので、もう寝ます。


民主党会派に4人入会 「川口ヒロシ議員」は2人に

2009年09月15日 00時56分54秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足
 民主党は衆院選で、308議席を獲得しましたが、第172特別会で「民主党・無所属クラブ」に新党大地代表の鈴木宗男さん(比例北海道)、新党日本代表の田中康夫さん、無所属の川口博さん(秋田2区)、川村秀三郎さん(宮崎1区)が加わり、312議席となり見込みとなりました。横路孝弘さん(北海道1区)が議長選出後、慣例によると、会派を離脱する見通しのため、「311議席」になります。

 衆院の3分の2数は「320」ですから、「311」には特段の意味はありません。

 また、これで「川口ヒロシ」議員が2人となりました。上記の秋田2区の川口博さんは県最北の小坂町長から4月、知事選に出馬し、「佐竹のお殿様」に惜敗。秋田2区には社民党候補がいましたが、地元の民主党員の強い要請で、出馬。当選しました。小選挙区当選者が幅を利かすのは当然で、民主党県連に入党、近く党本部も入党を認めるのではないでしょうか。

 もう一人は比例北関東の川口浩さん。元茨城県議で、比例北関東は単独候補者の1・2位が茨城県取手市を地盤とする政治家が占めたため「小沢名簿」として不満が出ていましたので、実力で悪評を跳ね返してください。

 さて、当選5回生の川内博史(かわうち・ひろし)さんと語感も似ていますから、「秋田の川口博さん」、「茨城の川口浩さん」、「隊長の川内博史さん」とで、電話の取り次ぎを間違えないように注意が必要です。

 東京20区の加藤公一さんと同姓同名の自民党幹事長も相変わらずしっかり小選挙区で勝ち上がっていますから、注意が必要です。

時事ドットコム:衆院勢力、312人に=3氏が民主会派入りへ

先月の衆院選で当選した新党日本代表の田中康夫(兵庫8区)、いずれも無所属の川口博(秋田2区)、川村秀三郎(宮崎1区)の3氏の民主党会派入りが14日、決まった。
 衆院選で民主党は308議席を獲得。先に新党大地の鈴木宗男代表(比例代表北海道ブロック)も民主党会派入りを決めており、実質的な勢力は312人となる。ただ、民主党が議長に推す横路孝弘氏は特別国会が召集される16日に選出されると、慣例により会派を離脱するため、民主党会派は311人となる先月の衆院選で当選した新党日本代表の田中康夫(兵庫8区)、いずれも無所属の川口博(秋田2区)、川村秀三郎(宮崎1区)の3氏の民主党会派入りが14日、決まった。

ブログ更新 再開します

2009年09月14日 14時47分38秒 | その他
 国会傍聴記by下町の太陽の更新を再開することにしました。

 第45回衆院選の後、gooブログ内に別のブログ、下町の太陽、つなぎのブログを開設して、連日500~600人(IP)の安定した読者の方に読んでもらいました。

 国会傍聴記by下町の太陽は、 第45回総選挙(8月30日)の後も、検索を中心に2000人以上の人(IP)に見てもらっています。2週間更新していないのに、アクセスランキングで、gooブログ全体で10位以内~100位以内に入っています。

 「2007年夏~2009年夏」の政権交代の軌跡を残していくためには、更新を続けた方が、Google検索などでも上に出ます。古い民家でも、こまめに手入れをすると長持ちするのと同じです。

 というわけで、出戻りということで、国会傍聴記by下町の太陽を続けようと思います。与党・民主党ということで、タイトルは変えたいのですが、Google検索の引っかかり具合が落ちてしまうので、同じタイトルのまま、続けようと思います。

 僕にとってブログを書くという行為はライフスタイルに組み込まれてしまっていますが、更新回数は1日1回以下に減らす、ということはつなぎのブログで身に付きました。

 少し気恥ずかしいのですが、どうぞよろしくお願いします。