覚王山やっこ
年末の忘年会以来の「やっこ」。今夜は、「ぼうず」になりそうなところに行ったらしい。この店の場所が奥まったところにあるから、なじみの人しか行きにくいし、近くにあった会社の寮がいくつもなくなってマーケットエリアがせまくなったから、よけいにお客の数が減っているようである。かくいうわたしも、家が離れたので足が遠のいてしまったわけである。
わたしが名古屋に着任したのは1988年で、まだ数年間はバブルの余韻があって、「やっこ」にもお客があふれていた。お客同士の企画で、忘年会、新年会、花見などがあって、店の外でも盛り上がっていた。おかあさんと昔話に盛り上がった。
<以下は、ネットワークが混み合って、行方不明になっていたもの。2005年3月2日にこちらに移す>
前にも書いたが、この店は、名古屋に着任以来のなじみの店。いつもかわらぬ「おっかあ」が迎えてくれる。山門近くなので、駅から遠く立地に恵まれていないので客は少ない。また、なじみ客が主体で、客あしらいも必ずしも良くないかもしれないがなじみになると親身な「おっかあ」が待っていてくれるので、安心できる店。今晩も、8時少し前に店に入って、飲み食いして、帰宅したら11時になっていた。その間、相客はなし。最近は坊主になることもあるという。覚王山の門前だけに、坊主にはなじみ亜あるというのは悪い冗談。しかし、「おっかあ」はめげていない。たまに訪ねる我々を、迎えてくれる。
わたしが着任した当時、80年代のおわりでバブルの盛り、こちらも若かったこともあるが、この店をベースに、覚王山周辺の各店にへとでかけ、夜中の2-3 時まで飲み歩いた。また、店のお客の誰かが幹事になって、客の中からメンバーを募り新年会忘年会はもちろん、春は花見、新酒の頃は常滑の「ねのひ」にも出かけた。夏にはキャンプ場でバーベキューもした。
わたし自身も、家が少し離れたので、足が遠のいたがここに来るとはほっとした気分になってくる。今晩もひとしきり、話し込んだ。
わたしが名古屋に着任したのは1988年で、まだ数年間はバブルの余韻があって、「やっこ」にもお客があふれていた。お客同士の企画で、忘年会、新年会、花見などがあって、店の外でも盛り上がっていた。おかあさんと昔話に盛り上がった。
<以下は、ネットワークが混み合って、行方不明になっていたもの。2005年3月2日にこちらに移す>
前にも書いたが、この店は、名古屋に着任以来のなじみの店。いつもかわらぬ「おっかあ」が迎えてくれる。山門近くなので、駅から遠く立地に恵まれていないので客は少ない。また、なじみ客が主体で、客あしらいも必ずしも良くないかもしれないがなじみになると親身な「おっかあ」が待っていてくれるので、安心できる店。今晩も、8時少し前に店に入って、飲み食いして、帰宅したら11時になっていた。その間、相客はなし。最近は坊主になることもあるという。覚王山の門前だけに、坊主にはなじみ亜あるというのは悪い冗談。しかし、「おっかあ」はめげていない。たまに訪ねる我々を、迎えてくれる。
わたしが着任した当時、80年代のおわりでバブルの盛り、こちらも若かったこともあるが、この店をベースに、覚王山周辺の各店にへとでかけ、夜中の2-3 時まで飲み歩いた。また、店のお客の誰かが幹事になって、客の中からメンバーを募り新年会忘年会はもちろん、春は花見、新酒の頃は常滑の「ねのひ」にも出かけた。夏にはキャンプ場でバーベキューもした。
わたし自身も、家が少し離れたので、足が遠のいたがここに来るとはほっとした気分になってくる。今晩もひとしきり、話し込んだ。