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八事日赤・トラットリア・ファヴォリータ

八事日赤の駅近くで夕方会合があり、そこででたのが幕の内弁当。ありがたくちょうだいして。9時近くになってこれでは我慢できず、ビールを飲みに行こうと、同僚とともに「シンシア山手」に行く。寂れた感じだが、なんとかみつけたのが「トラットリア・ファヴォリータ」。腹は一杯だったので、チーズ盛り合わせと生ハムとトマトのアンチョビクリームソースというのとをって、ビールとワイン。それが決して悪くなかった。場所的にそれほどくるとは思えないが、メモしておこう。

2005-09-20 23:09:08 | 夕食・パーティなど | コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


『マクロ経営学から見た太平洋戦争』

森本忠夫、2005、『マクロ経営学から見た太平洋戦争』、PHP新書

この本を読んでいると吐き気がしてくる。なんと言う無能無策が、日本のみならず他国の多数の命を奪うことになったか。無謀きわまりない戦争企図、さらに、そのことに対する無反省無批判。われわれは、どういうプロセスが生起したかその事実を知るべきである。
遅れてきた近代国家日本が明治維新後わずか70年で破綻したそのプロセスは、貧困な自己イメージと他者に対する正確な情報収集とその分析の欠如、そうした欠陥を糊塗する精神主義への根拠なき飛躍と三点にまとめることにできよう。太平洋戦争の敗因分析にとどまらないところがこの国の構造的な欠陥と思えてくることがさらに悲しい。
覚醒剤常習者の国会議員を擁した政党や選挙区、後援会の責任だけではなく、こうした人物がそもそも国会議員になるというそのこと自体が、この国の欠陥であるとおもえるが、それはそれとして。
昨日のブログで書いたように、昨日JR線に乗って日帰りの小旅行をしたのだが、四日市駅での長い乗り継ぎ時間に本書を読みながら、目の前に停車する貨車を見ていたら、JRや郵便事業の民営化プロセスが本書とも関連することに気がついた。
まず、旧国鉄は、軍事ロジスティクスそのものである。東海道線が沿岸を走るのでそのバックアップとして中央線が建設されたり、港湾や大規模工場にはすべて引き込み線がある。明治以降、鉄道建設が急ピッチで行われたのは、何も人民の交通事情を改善しようと言うものではなく、明確に軍事目的であったはずである。よくも悪くも、ひとつの方向性を持った国家目標に基づき建設が行われたはずである。しかし、政治家たちがやったことは我田引水。選挙区に鉄道を敷設し、さもなければ新駅を建設する。政治家が明確な意志を持って、軍事的ロジスティクスよりも人民の福祉を優先させよと声高に叫んだ形跡もなく、ようするに公費を持って自己利益を追求したということである。
旧国鉄はたち行かなくなり、民営化され分割化された。その結果として何が起こったのかというと、経営指標の低い赤字路線は廃止、人件費削減のための無人化、経営効率の追求。その結果様々な事故が起きているのではなかったか。
私は、民営化自体に反対という訳ではない。経営効率化も大切であろう。国費が投じられることについて、偏りがあってはならないとも思う。しかし、問題は、その経緯である。少数者の切り捨て、弱者の切り捨てになっては、社会的キャピタルは結果的にはマイナスになるのではないか。
本書の中でしばしば「トレード・オフ」という言葉がでてくる。例えば、鉄鉱石を購入して様々な製品を製造しインフラ建設にあてようとする。ところが、その製品を国防のために使用しようとするととたんに、インフラ建設が進まなくなる。徴用と称して船舶を軍需輸送に使用すると人民の生活資源の輸送が立ち行かなくなる。徴兵を強化すれば、軍需工場での労働者の質的低下が起こる。以上の結果、生産規模が拡大する訳ではなく、結局のところ、元も子もなくなるはめになってしまうのである。仮想敵たる米国はそうではない、軍需産業への国家経済の投資は国民経済の向上に直結するのである。根本的な豊かさが異なっていると言える。
民営化の論理の奇妙なところは、この辺りのトレード・オフがどのようにバランスが取られているのか、全く見えない点である。郵政民営化についても、定額貯金制度が太平洋戦争中の戦費調達のためのシステムであって、それが、未だに巨額なキャッシュフローを生んでいることが、ほとんど冗談にも思えるが、それは置くとしても、民営化プロセスがどのような結果を生むのかしっかりとした検討がなされているのであろうか。
自己認識と客観分析の甘さ、それを小泉スローガンという以前とは内容はことなるとしても、精神主義のかけ声に動かされてしまう、我が国は、やはり宿痾の病からいやされていないように思える。

本書は、1985年に出版された『魔性の歴史』の復刻版であり、太平洋戦後60年の今年数多く出版された関連企画のひとつであろう。しかし、それを超えて、もっと長く読まれるべき書籍であろう。高校生には難しいかもしれないが、しかし、これはしっかりと読みこなすべき内容を持っている。本書の内容が理解できるような高校生が数多く生まれるならば、この国の未来も少しは光が射すと思うのだが。

マクロ経営学から見た太平洋戦争

PHP研究所

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2005-09-20 09:34:04 | 読書 | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )