『サバがトロより高くなる日:危機に立つ世界の漁業資源』
井田徹治、2005、『サバがトロより高くなる日:危機に立つ世界の漁業資源』、講談社現代新書
先日、オーストラリアでさばいたRed Snapper、最初の思いこみでは、鯛だったのだが、それは、鯛は日本にしかないから、その代わりになるものということだった。そこでの誤りのひとつは、翻訳の問題と思ったことだ。恥ずかしながら、誤りもいいところで、和名はあくまでも日本の環境に生息する魚種(だけではなく、あらゆる生物種は、同じなのだが)を表しているのであって、名前を当てるというのは、明らかに誤解なのだ。
だから、和名や英語名はあてにならない。だから、生物種名に頼るしかないということである。ところが、我々は通常、名前に頼っていて、漢字やひらがなで書かれたものと、なじみのないカタカナで書かれたものとは違うことは、理解できるらしい。だからといって、たとえば、銀ムツがムツの仲間(あるいは同一種、あるいは、同一属)であるかどうかは判別することは困難である。
ここに、コマーシャリズムの介入を許すことになる。紛らわしい名前にたいして、知っている名前が含まれていると、判断停止になる。それだけではなく、何かの形容詞がつけられていることはむしろ良心的で(わからなければ、消費者が判断できなかった)あって、エビにしても、マグロにしても、タコにしても、イカにしても我々が口にしているのは、日本近海でとられたものではなく、世界各地から、それに類したものが、日本の魚名を冠して市場に並ぶ。魚介類に関する日本市場は巨大で(日本は世界一の魚食民であるが)、世界中の魚介類は日本の市場に向けて出荷されるのである。
さて、本書が指摘するのは、魚食民たる日本人の魚食生活がはたしてこれでいいのかという一大問題を指摘するのである。それだけではなく、漁業が農業と違い、人類の伝統的生業形態である狩猟採集にもっとも近く、もちろん、最近では、養殖の位置づけが拡大しているが、陸上における狩猟採集とは格段に違って、自然のあるいは生態系の様態に依存しているのが漁業なのである。実は、それが大問題なのだ。
地球上の海洋面積は陸上よりもはるかに大きく、農牧業適地は限られているにもかかわらず海洋資源は、相対的にはるかに豊かである。地球人口がますます増加する中で地球上の食糧資源よりも海洋の食糧資源への依存率を上げる事は、かなり、食糧問題としても、焦眉の急であるとおもわれる。しかし、そう簡単ではないのである。海洋資源にかんする生態系理解は未だに乏しく、同時に漁獲統計も貧困である。容易に単一資源を枯渇させてしまうのである。しかも、単一資源の枯渇は、同時に生態系全体への影響を及ぼす可能性を全く否定できない。
人類は地球上の資源を枯渇させる(とくには、根元的な水資源を枯渇させるという意味で)のは時間の問題で、そうなるとは食糧供給が危ぶまれ、当然の事ながら海洋資源への依存度が上がることは必至である。
魚食民たる我々は、今のところ、無意識のうちに世界の海洋資源をむさぼっているのだが(現実には、様々な問題を引き起こしていることを知るべきである)、無知のままでいいのだろうか。回転寿司が安いからといってマグロだトロだと言っているが、それでいいのだろうか。我々は、日々何を食べているのかをもっと知るべきなのである。ダイエットのためにではなく、我々のすぐ近未来の世界の食生活のために。
本書は、その意味で、重大な警鐘を投げかけていると思う。是非、一読を。
先日、オーストラリアでさばいたRed Snapper、最初の思いこみでは、鯛だったのだが、それは、鯛は日本にしかないから、その代わりになるものということだった。そこでの誤りのひとつは、翻訳の問題と思ったことだ。恥ずかしながら、誤りもいいところで、和名はあくまでも日本の環境に生息する魚種(だけではなく、あらゆる生物種は、同じなのだが)を表しているのであって、名前を当てるというのは、明らかに誤解なのだ。
だから、和名や英語名はあてにならない。だから、生物種名に頼るしかないということである。ところが、我々は通常、名前に頼っていて、漢字やひらがなで書かれたものと、なじみのないカタカナで書かれたものとは違うことは、理解できるらしい。だからといって、たとえば、銀ムツがムツの仲間(あるいは同一種、あるいは、同一属)であるかどうかは判別することは困難である。
ここに、コマーシャリズムの介入を許すことになる。紛らわしい名前にたいして、知っている名前が含まれていると、判断停止になる。それだけではなく、何かの形容詞がつけられていることはむしろ良心的で(わからなければ、消費者が判断できなかった)あって、エビにしても、マグロにしても、タコにしても、イカにしても我々が口にしているのは、日本近海でとられたものではなく、世界各地から、それに類したものが、日本の魚名を冠して市場に並ぶ。魚介類に関する日本市場は巨大で(日本は世界一の魚食民であるが)、世界中の魚介類は日本の市場に向けて出荷されるのである。
さて、本書が指摘するのは、魚食民たる日本人の魚食生活がはたしてこれでいいのかという一大問題を指摘するのである。それだけではなく、漁業が農業と違い、人類の伝統的生業形態である狩猟採集にもっとも近く、もちろん、最近では、養殖の位置づけが拡大しているが、陸上における狩猟採集とは格段に違って、自然のあるいは生態系の様態に依存しているのが漁業なのである。実は、それが大問題なのだ。
地球上の海洋面積は陸上よりもはるかに大きく、農牧業適地は限られているにもかかわらず海洋資源は、相対的にはるかに豊かである。地球人口がますます増加する中で地球上の食糧資源よりも海洋の食糧資源への依存率を上げる事は、かなり、食糧問題としても、焦眉の急であるとおもわれる。しかし、そう簡単ではないのである。海洋資源にかんする生態系理解は未だに乏しく、同時に漁獲統計も貧困である。容易に単一資源を枯渇させてしまうのである。しかも、単一資源の枯渇は、同時に生態系全体への影響を及ぼす可能性を全く否定できない。
人類は地球上の資源を枯渇させる(とくには、根元的な水資源を枯渇させるという意味で)のは時間の問題で、そうなるとは食糧供給が危ぶまれ、当然の事ながら海洋資源への依存度が上がることは必至である。
魚食民たる我々は、今のところ、無意識のうちに世界の海洋資源をむさぼっているのだが(現実には、様々な問題を引き起こしていることを知るべきである)、無知のままでいいのだろうか。回転寿司が安いからといってマグロだトロだと言っているが、それでいいのだろうか。我々は、日々何を食べているのかをもっと知るべきなのである。ダイエットのためにではなく、我々のすぐ近未来の世界の食生活のために。
本書は、その意味で、重大な警鐘を投げかけていると思う。是非、一読を。
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