すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

異様と感じる目

2016年07月27日 | 読書
 Volume11

 「平和な朝のいつもの新聞のすみずみに、異様を異様と感じなくなった時代の異様が覗いている。」 


 作家高村薫の言葉。高村は、海技士の免許を持つ民間船員の有事活用の記事に目を留めて、そんなふうに連載コラムを締めくくっていた。

 人が何を「異様」と見るかは、様々であろう。
 ただ、昨今の「ポケモンGo」騒動や、昨日の障害者施設殺傷事件については、誰しもが文句なく「異様」とは感じる。
 しかし同時にいったんそうした報道がなされ、どこもかしこもといった状況になると、人の感じる異様さは薄まっていくことも確かだ。



 社会的なセンセーショナルな事件、事故であってもかくのごとくであり、人が報道というものに麻痺し、単なる消費的感覚に陥るのは、自然なのかもしれない。

 こんな状況のなかで、異様に気づき、その異様を伝えていくためには、大きく二つのことが必要だと改めて自分に言い聞かせる。

 一つは、言うまでもなく知識だ。そして、想像力。