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美しさは簡素ななかにある

2016年07月29日 | 読書
 『禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本』(枡野俊明  幻冬舎)


 こうした類の本を、時々精神のデトックスといった感じで読むことがある。特に禅に関するものには禅語等が出てくるので、言語や歴史への関わりという意味でも興味深い。そもそも題にある「所作」が仏語でもある。国語大辞典には「身・口・意の三業が発動して造作する具体的な行為、能作に対していう」とある。


 当然、所作は心から発動する。それを踏まえながら、著者は「もっとも重要なところ」として、こんなふうに書く。「『心』に比べると、『所作』は整えたり、磨いたりすることが比較的やさしいということ」。この本はいわば行動論と言ってもいいのである。そんなふうに読めば、それに伴って変化する心も見えてくる。



 美しさは簡素ななかにあることが、この本を貫く一つのテーマだ。沢山のエピソードがあるが、沢庵禅師と柳生宗矩の逸話が実に印象的だ。雨のなか外に出て濡れない極意を問われ、宗矩は雨を剣で滅多切りする。それに対して沢庵はじっと雨の中に佇みずぶ濡れになる。曰く「雨とひとつになる」うーん、禅らしい。

 
 「逢茶喫茶 逢飯喫飯(おうさきっさ おうはんきっばん)」という禅の教えが書かれている。「お茶を飲むときはお茶を飲むことになりきればいい、ご飯のときは、ただ食べることになりきればいい」という意らしい。美しさとは人目や見栄えを気にすることでなく、対象とひとつになること。所作の神髄が感じられる。


 「見立て」という言葉がある。「見定める」の他に「なぞらえる」という意味があることは知っていた。芸術表現、心理学用語としても使われる。ここでは「茶の湯」の考え方として、「壊れても減っても別の何かとして使っていく」精神をそう呼ぶとあった。物の扱いの基本として心に留めたい。もしかしたら、人も同じか。