すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

たましいの場所を知る人

2016年07月24日 | 読書
 『たましいの場所』(早川義夫 晶文社)

 著者の公式サイトに、この本についてのコメントがある。
 
 「誰かに悩みを相談するくらいなら、この本を繰り返し読んだ方がいいとさえ思っています。これは本当にいい本」 (宮藤官九郎)

 「この本に、何回助けられたかわかんないよ」 (峯田和伸)


 出版社のホームページにアップされた文章や、雑誌、新聞等の連載コラムなどがまとめられているようだ。

 この本は、言うなれば著者の身辺雑記+書評等という形なのだが、書かれてある独白はまさしく「たましいの場所」である気がする。
  そこにまっすぐ向かって吐露していることばが、読者に物事の本質を考えさせるだけの迫力があるのだ。
 または、気づきを促す触媒の働きになったりするのではないか。

 宮藤や峯田に刺激を与えた文章はどこだろうか。
 例えば、こんな一節ではないか。

★思想も芸術も猥褻も、それらは、すべて、本の中にあるのではなく、人の心や生活の中にあるだけだ。

 共に音楽にも携わっているとすれば、こうした文章も心強く感じたに違いない。

★音楽と雑音の違いは、いったい何だろう。
 息をしているかどうかだ。その音が、心から発している音かどうかだ。感情がある。血が通っている。そしたら、うるさくない。一緒の空間にいられる。



 個人的には、著者自身が読み、引用している他の作家等の言葉にも惹かれる。
 書店を営むほどの読書好き?が選ぶ本にも興味がある。少し似ている本を選んでいることにシンパシ―を感じたりもした。
 しかし、著者の読みの姿勢は徹底している。

★僕は、僕を知るために本を読む

 それは「歌」についても、同じだろう。
 けしてBGMにならない音楽の典型として、早川義夫の歌がある。

 https://www.youtube.com/watch?v=k08cR49u0Tc