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ウルガシテおいたこと

2016年10月22日 | 教育ノート
 『ごちそうさん』の再放送をみていたら、米をとぐシーンがでてきた。ふと「ウルカス」という言葉が浮かんだ。最近あまり使われなくなったように思う。スピード化の世の中、その行為が不要になったのか。確かこの言葉には寄り道したはずだな、と調べてみた。念のため辞典を当たると、大きい辞書には載っている。




・・・・・「ウルカス」2004.11.20より

 5年生の家庭科の研究授業を参観した。
 「おいしいごはんの作り方」というテーマで子どもたちが調べてきた結果を報告しあう時間だった。

 一人の子が「米をウルカス」と言ったら、担任がなにげなく
 「水に浸しておくことだね。ウルカスは方言だよね。」
と軽い一言。
 授業はその後もよどみなく進んだが、私の心の中は「えっ、ウルカスって方言なの」とちょっとざわめいていた。

 授業が終わって、さっそく電子辞書で調べる。
 広辞苑にはない!(注:現在の版はあります)
 それではと、ネット検索。
 「道語辞典」と称した北海道弁のページに発見した。
 やはり方言か、と一人で納得して傍にいた同僚に何気なく伝える。
 「えっ、ほんと」ということで、別の辞典でも調べたが、当然のことのようにない。

 「ウルカス」は「潤う」+「かす」であることが判明。
 「かす」…「淅す」という言葉を初めて知る。
 それ自体に「米を水で洗う、とぐ、浸す」という意味がある。


 さて「ウルカス」(私の周辺では「ウルガス」だが)。
 「水につけて米をふくらませておく」
 「使った皿などの汚れをとりやすいように水につけておく」
 の他に、「物事を決めずに保留しておく」という場合も使われる。

 これは「棚上げ」と同義だろうが
 語源から考えると、少し違ったニュアンスにもうけとれる。
 つまり、「問題がふくらんでいて(いい状態)になっている」
 「問題の汚れがとれてすっきりしている」
 そうだとすれば、処理がしやすいということなのだ。
 しかし、現実の場面はどうか。

 「コレ マズ ウルガシテ オグガ」と言った時、時間の経過がよい方を示すとは限らないような気がする。
 中には、そう言ってしまってなぜか安心し、すっかり忘れていることもあるのではないか。
 仕事のことだったら、周りの誰かが気づいたり、催促されたりするが自分自身の問題は気づかないものだ。

 ウルガシテいたことがないのか
 ウルガシテそのことは今どういう状態なのか
 少し、心が落ち着かなくなっている。

・・・・・・・

 今は、ウルガシテおくことがあってもいいよなあという気分になっている。