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狂言を観れば

2016年10月28日 | 雑記帳
 昨夜は由利本荘市のカダーレへ。「狂言の夕べ」という催しがあり、かの野村万作、萬斎親子を一目見たいと思い出かけた。もちろん能や狂言についての素養はないが、できるだけたくさんの「本物」を…が今年のテーマである。初めての「生」狂言鑑賞は、冒頭に萬斎による解説もあり、結構楽しめた。観客も多かった。



 狂言は「昔のコント」なのだなと感じた。そもそも「物まね」「冗談」「ざれ言」を表したことから発しているはずなので、そんなに的外れではないだろう。いつの時代も庶民は常に笑いを求め、虚構の中に真実を見い出して、自分の置かれた環境を納得させている。演じられた「隠狸」「仁王」もかなり象徴的だった。


 「隠狸」はよく演じられる主人と太郎冠者の騙し合いだ。これは現代社会の諸事に当てはまる気がした。嘘と知りつつ相手を泳がせて、弱みを握る手法など、ありそうではないか。「仁王」は欲深い者の顛末。これもまた不変の真理である。観ているときに即感じるわけではないが、シンプルなだけにストンと落ちる。


 かのコーヒーCM「違いのわかる男」の野村万作は齢85。現役であることに驚く。萬斎は様々な場での活躍が著しいので、前から注目していた。本業をしっかり観られて良かった。ふと思い出したこと…狂言は2回目だった。保育所のときお寺の本堂で観た。あれは「附子」だった。五十数年前のことを覚えている。