すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

無駄な行為で社会貢献

2017年01月22日 | 読書
volume36

「一見、単純でむだと思われる行為を増やすこと。それは日本経済の活性化にはつながらないかもしれないけど、安全・安心な社会を生むという社会的資本になります。」

 山極寿一京都大学総長は、こう語って「生身のコミュニケーション」の大事さを繰り返して強調していた。
 みんなで集まって食べながら話す、井戸端会議のようなことを続けていく工夫の重要性を指摘している。



 「社会的資本」とは、この場合には社会を支える大切なものという喩えととらえられるだろう。
 しかし「資本」のもともとの意味である「生産の要素、手段」として考えてみたら、どうだろう。

 「生産」とは、そもそも何のためなのかを、この国の現状と照らし合わせ考えた場合、衣食住の上に成り立つコミュニケーションこそ目的ではないかという気もしてくる。

 IT化によって脳化社会がますます進み、生身のことがどんどん薄まっていく。もちろん自分も含めて、という自覚もある。

 もっと身体(手足や口耳)を使って、無駄と見えるようなことをしながら、安心・安全な社会づくりに貢献しなければ(笑)。