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桜と絵本と豆乳と

作家は著すために見る

2017年01月25日 | 読書
2017読了8
『リアスの子』(熊谷達也 光文社文庫)

 記録を見ると、熊谷達也作品を読み込んだのは2008年。直木賞作品を中心とした、いわゆるマタギモノがあまりに素晴らしい出来で、それ以降はちょっと冴えない印象を持っている。ただこの作品はちょっと違う意味付けかなと感じた。それは教師経験のある作家が、気仙沼を舞台に、あの震災以降に著したということだ。


 「唯一、わたしにできること」と題されたあとがきに、著者は震災を体験したあとの正直な思いを記している。

 少し考えれば想像が及びそうな事態を前に、馬鹿みたいに言葉を失っていた。その情けないまでの想像力のなさに、わたし自身が呆れ果てた。小説を書く者には許されない想像力の欠如である。


 「書けない」と悩んだ著者は、作家としての意味を見つけるために「仙河海市の物語」を、教師体験をもとに書き始めた。それは、モデルである気仙沼に、実際にそこで生まれ育った教え子たちが現在もいて、一緒に何かを作っていきたいからと願ったからであった。それは、表現者としての自分の復興でもあるようだ。



 話の筋は、取り立てて劇的とはいえない。『新参教師』にもあったが、学校という特殊な職場状況や現場でしか見えない詳細は、確かによく書き込まれている。経験者の一人としてはよくわかるゆえ、説明が饒舌な印象もあるし、話の流れをぎくしゃくさせている要素も感じた。しかしそれも含めて正直な筆致だと思う。


 要約すれば、平凡な男性教師が事情のある一人の女子転校生との関わりを通して心を通わせていく、ということ。エピローグ的な設定として、駅伝が取り上げられていた。陸上競技部顧問としてのチーム編成の考え方がそこで綴られるが、震災後の復興を支える大きなテーマと結びつくような…深読みになるだろうか。