すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

軽快さの訳を見る

2017年01月23日 | 読書
 重いことに価値があると考えてしまうのはもう古い!と言い訳しつつ、軽い読書で頭をほぐしているこの頃…


2017読了6
『人生の言い訳』(高田純次  廣済堂出版)

 テキトーという言葉を背負う男、高田純次。以前読んだ『適当論』も面白かった。今回は「言い訳」という言葉が多用されるが、ニュアンスとしては、「申し開き・弁解」というより「理由づけの活用法」ではないかと思った。どこをとっても「はぐらかし」文体で落とすが、結局それはいかに俯瞰的かを物語っている。


 授賞シーンなどのコメントについて書いている箇所が面白かった。日本でも肉親や周囲に対して感謝を述べることが一般的になってきたのは、アメリカのように「他人を攻撃する文化」に染まってきたからと指摘する。言わずともわかる「村社会」には潔さの価値が高かった。だから「言い訳」は好まれなかったのだ。



2017読了7
『死なない練習』(長友啓典  講談社)

 論理として成り立たない題名。従って正確には「ちょっとやそっとでは、死なない練習」、具体的には「ガンになって入院しても、死なない練習」ということ。入院時の詳細、前後の心がけなど独特な視点が面白い。美食家、健啖家として有名な著者が食道がんを経験し、様々な制限を受けるなかで辿り着いた境地である。


 読み終わり、ふと「練習」について考える。この著は「練習の本質」を見事にとらえている内容だ。つまり、練習とは「習慣化を図ること」である。そして、そのある意味単調な繰り返しを支える「姿勢、心がけ」が必要である。最終章「三つの呪文」に見られる大阪人らしい明朗さと、鋭い「自分観察」が底にある。