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感じ方の更新が迫られている

2017年01月18日 | 雑記帳
 あなたが感じる美しさ、豊かさは今も変わっていませんか。

 今回の季刊誌『考える人』から、もう一つ引用して考えたい。

 写真家の都築響一が「足し算の美学」という文章を書いている。
 こう記されている。

 デジタルは「足し算の美学」だと、最近つくづく思う。




 都築は編集者としての顔も持ち、雑誌編集や写真掲載など印刷媒体の仕事をアナログと呼んで、それは「引き算の美学」であることを説明している。

 確かに俳句や歌詞づくりを持ち出すまでもなく、この国の文化は「選んで」「削って」「絞り込んで」といった類の価値を優先してきたことは間違いないし、限定された空間の中で理想を追求することが常だった。

 しかし、デジタルそしてネット空間の登場によって、ある意味では限定から解放され、文章であっても「まとめるとかよりも、見たもの聞いたことをなるべくたくさん伝えたい」という状況が生まれている。

 それはある視点から言えば「ゴミ情報」とされる場合もあるが、伝えることに関して明らかにスタイルが変わってきたことを、認めざるを得ないのではないか。

 もちろん、そのことが新しい美しさ、豊かさだと決めつけるわけではない。
 時間の有限性という壁の前には、足し算の無限性は考えられないし、質か量かという絶対的な二者択一は何時の場合も不毛だ。

 ただ、デジタルと付き合っていかざるを得ない明日を踏まえ、私たちが目を背けてはいけない事実、そしてそれは感じ方の更新さえも迫っていることを自覚していこうと思う。


 都築は、次のように文章を締めくくっていた。

 研ぎ澄まされた「引き算の美学」だけではなく、言葉やイメージを無限に重ねることで空間や時間を埋めていく「足し算の美学」が生み出す豊饒さ


 いずれを選択するにしても、またバランスのとり方に重きを置くにしても、「伝える」者は、自らのスタイルに意識的になり、美学を確固たるものにしたい。