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時を遡って見えてくる

2017年01月06日 | 読書
2017読了2
『ご先祖様はどちら様』(髙橋秀実 新潮社)

 あの戦国時代には自分につながる人間が100万人いたと想像してみるだけで、なんだか楽しい。ほとんど農民に違いないだろうが、間違って武士や尊いお方の身内など一人や二人はいるんではないかしら…そんな妄想までしてしまう。この本の祖先探求の旅に連れ添って読めば、必ず時間を遡ってみたくなるだろう。



 数年前の新潮社季刊誌『考える人』連載の単行本化。時々読んでいたので、見覚えのある文章もあった。NHKの「ファミリー・ヒストリー」という番組が結構人気のようだ。著者自身が自ら辿る形ではあるが、この本もなんとなく似ている。ただもっと泥臭く、証明できないことが多く、それゆえ妄想的でもある。


 「俺たち縄文人」という知り合いの某有名作家からかけられた声をきっかけに、祖先探しの旅を始めた著者が、その過程で出会った「戦国時代の身分」「家系図」「遺跡」「家紋」はては「生まれ変わり」や「天皇家」まで、非常に拡散的な方向で展開していく。けれど、読者のアンテナはどこかの部分できっと受信できる。


 誰しも祖先とのつながりを一度は想うのではないか。単純に父方、母方があり、それが倍々で膨らんでいく。人数だけたどっても20代遡ると、自分一人に対する祖先の数は100万人だという。単純4~500年前だとすれば安土桃山あたりだろうか。「苗字」にも関係づけられそうだが、正直あまりあてにならないのが現実だ。


 苗字は、明治維新時の「強制」を機に広まった。最初は許可令を出したのに、平民には必要感がなかったために広まらず5年後に義務化としている。それが徴兵制のためだったことを考えると、いつの時代も似ている気がする。何かを上から押し付けられるとき、それには理由があり、失われる生活があるということだ。