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2000年代が静かに進む

2017年05月07日 | 読書
 2000年1月1日、朝8時過ぎに当時勤務していた山間部の学校へ向かった。元旦のため除雪状態は良くなかったが30分ほどで着いたと思う。当時、教頭職にあった方々は同じ経験があることだろう。地教委より「午前9時段階の異常の有無報告」を指示されていた。いわゆる2000年問題だ。その日は静かに始まった。



2017読了47
 『やさしさをまとった殲滅の時代』(堀井憲一郎  講談社現代新書)

 コンピュータの誤作動による大事はなく、緩やかに滑りだしたように見える00年代について、その変転の本質を探ろうとした一冊だ。当然ながら80~90年代の動きが分析され、特にサブカルチャーや事件に関した考察は一読に値する。実は3年前の読了を忘れてしまい再読したのだが、当時と違った感想も湧いてくる。

 ※書名を読めなかった人はコチラをどうぞ→「書名がにやりと笑った」


 それは、もはや20年代が迫っている、つまり私たちが今を過ごす10年代を括る時期に差し掛かったからだろう。著者が指摘した00年代の管理と分断が確実に進んでいて、それは政治の進み方、法整備といった形でも具体化している。書名は、当時の若者の「願望」として名づけられたが、相変わらず蔓延している。


 さらに、それは内部の気分だけでなく、国家同士の利害が絡んで現実的な可能性が芽生え始めた状況だ。怖しいことは、殲滅を願う気分が、誰かの誘導によって実際の殲滅に結びつくことだ。それはけして「やさしさ」などまとっていない。その未来に立ち向かえるか。悲観的にはなっていないが、楽観視もしていない。


 20年の区切りに向けて、残り2年半の歩みはかなり重要だと思う。一部諸外国の「おいおい待てよ」と言いたくなる状況が、私たちに近づいてこないように目を凝らす必要がある。拡がる不安・不満・不信は、自らの「身のまわりの始末」と、陽気さのみを求めず「元気の伝染」を心掛けることで小さくするしかない。