すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

映画や時計やスープは

2017年05月22日 | 読書
 なんと「居心地のいい」小説だろう。姉妹作である『つむじ風食堂の夜』も、番外篇の『つむじ風食堂と僕』も確かによかったけれど、これはまた格別だった。いいミステリだと先が知りたくなり、読み進めたい気持ちが強くなるが、この話はそこに留まり浸っていたい、進まないで…そんな珍しい心持ちが湧いた。

2017読了54
 『それからは、スープのことばかり考えて暮らした』(吉田篤弘 中公文庫)

 昔の日本映画を繰り返し見続ける主人公の「僕」。それには、ある一人の目立たない女優を見たいためという明確な訳があった。こういう設定だけでも、どこか沁みるものがある。それは、映像や俳優を商品として消費し続けている現在の私たちに、一つの問いを突き付ける。何が「豊かな時間」なのか、ということ。


 「僕」は職を辞めてから、昔の日本映画を観る機会が増え、自分の身のまわりの時間感覚の違いを感じつつ、こんなふうに語る。

 昔の時間は今よりのんびり太っていて、それを「時間の節約」の名のもとに、ずいぶん細らせてしまったのが、今の時間のように思える。さまざまな利器が文字どおり時間を削り、いちおう何かを短縮したことになっているものの、あらためて考えてみると、削られたものは、のんびりした「時間」そのものに違いない。


 「僕」の姉も登場する。彼女は「迷子の天才」と称される人だが、その言葉はふるっていて、それもまさしく「時間」の意味について考えさせられる。

 「迷子になったぶん、余計にいろんなものが見れたし」



 「僕」は、サンドウィッチ屋に勤めはじめ、店主や息子と交流し始める。また映画館ではある老女と出逢い、物語の鍵となる「スープつくり」にのめり込んでいく。その中で流れる時間感覚も独特である。後半部には、「時計」の存在がキーワードのように登場してくる。それも「手巻き時計」であることが象徴的だ。


 登場人物の誰もが魅力的だ。子どもであっても落ち着いたトーンで描かれる。そして「名なしのスープのつくり方」と題された2ページが締め括りにある。その冒頭の項目に納得だ。「〇期待をしないこと」。ちなみに最後は「〇とにかく、おいしい!」。スープとは、かくも人生と重なり合うことを教えてくれるようだ。