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ビジネスマン谷川に脱帽

2017年05月09日 | 読書
 谷川とは詩人の谷川俊太郎のこと。別に皮肉っているわけではない。

 「見えないものを見る、これは実はもともとは詩人のビジネスなのです。」

 と谷川自身が書いている。

 編集されたこの一冊にも取り上げられている。

2017読了48
 『谷川俊太郎の 問う言葉 答える言葉』(イースト・プレス)
 
 日本で一番有名な詩人と言っても過言ではない。
 それは、一面でビジネスとして成功しているということも含むだろう。
 しかし、それだからといって普通詩人を「ビジネスマン」とは形容しない。

 「ビジネス」という言葉が単に「仕事・職業」を表すだけでなく、「金もうけの手段としてだけする仕事・事業」(日本国語大辞典)という側面があるために、イメージが固定化しているきらいがある。

 考えれば、仕事、職業としての詩人は当然ある。
 大昔だったら祭司的な役割でもあったのかなあという想像もできる。

 またビジネスマンという呼称は、音楽家、写真家、小説家など芸術に関わる人や宗教家、哲学者などに当てはめてもいいだろう。
 決めつけられれば嫌に思うかもしれないが、現実にそれで利益を得ていれば、実は反論できないのかもしれない。



 さて、ではそのような様々な芸術や諸分野と、詩では何が違うのか。

 そのことに関して、谷川は次のような一節を書いている。

 映像に感動したければ、我々は絵か写真を見ればいい。
 リズムだけに感動したければ、我々は音楽を聞けばいい。
 意味に感動したければ、我々は哲学書を読めばいい。
 だが、それらのすべての綜合されたあるものに感動出来るのが、詩なのである。



 なるほどであり、ごく普通でもあると思える文章だ。
 これは、詩人が「ビジネス」として詩をつくるときには、「映像」「リズム」「意味」を綜合させなければならない、と言っていることでもあろう。

 ビジネスマン谷川の、詩作の結論がよく出ていると思った。

 と言いつつ、「結論」ということについてこんな一節もある。

 年とって分かったことのひとつは、考えには結論のようなものは無いにひとしいということである。結論と思ったものは、自分を安心させるためのごまかしだったのだ。

 
 いやあ、共感できるなあ…そんなふうに思わせつつ、文章は続く。

 だがそのごまかしは多分無益なものではない。
 ごまかしからごまかしへと生きていく間に、真実が見え隠れするからだ。



 本当に、救いのある言葉だと思い、感動さえできる。


 まったくこのビジネスマンには、脱帽する。