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しかしそれは、毎年確かめる

2017年05月13日 | 教育ノート
 「いつ頃だっけ?」と、通知表の所見ワープロ記載について思い出してみた。

 校長として2校目のM小に赴任したときに、既にその学校では行われていて、それをチャラにして考え直すなどという大胆さも持てずに、こんな文章を校内報に載せたことがあった。

 しかしそれは、毎年確かめるべきことのように思う。




・・・・・・『声日記』№9(2009.6.24)より


 通信簿「あゆみ」は昨年度の形式を踏襲することを決定しましたが、「所見欄がパソコン、ワープロ印字でも構わない」点は正直少し驚きでした。
 聞くところによると人数規模に関わらず、そうした学校も増えているとのこと。こうした多忙の中ではやむを得ないのかもしれません。
 本校の場合、夏休みにすぐ面談があることで通信簿の位置づけも考える必要がありそうです。

 さて「構わない」とすることは、現状では多くが手書きによる直筆にはならないでしょう。
 それを踏まえて、老婆心ながらいくつか思っていることを書いてみました。

 ワープロ印字の文章は不利だと自覚する

 これは40代以上?の先生ならば少なからず体験したかもしれませんが、学級通信が直筆からワープロに変わったときの親の反応。
 私の場合は「よかった、読みやすい、いい」という評価は一つもありませんでした。
 「なして、ワープロだな」「先生の字の方が良かったなさあ」などと言われました。
 いくら悪筆であっても、字がその人そのものを表し、温かさや厳しさを伝えることに有効なのは確かなようです。

 通信簿は公的な文章に違いないのですが、読む方は私信的な印象で読んでいると判断してもいいのではないでしょうか。
 そうすれば、先生方が所見・連絡で協力や指導をお願いすることを効果的に伝えるためには、ワープロ印字の方がより工夫がいるということになります。


 印字されたものは個性を持たないために、内容面で個性を持たせる

 もちろん、その子をよく見て成果や課題を書くわけですが、画一的に読まれるという不利さを感じさせないために、職員会議でも言われた「個人名」は大きな一つのポイントだと思います。
 もう少し列挙していくと、「その子が際立つエピソードを入れる」「まとめ的な用語や概念を使わないで、できるだけ具体的な活動名や評価ことばを使う」「文章構成のパターンをできるだけ多く準備して使い分ける」…

 子どもも読む、見せ合うということを前提とすれば、こうした点により意識的になることが大切でしょう。


 ワープロの文章がスムーズゆえの落とし穴

 正直もうワープロなしでは文章も思い浮かばないほど依存性が高い私ですが、この便利さ(簡単に修正が効くが中心)ゆえ、考える前に打ち込む、適切かどうかの判断が薄くなるという傾向が高まっている気がします。
 特に、書き進めていると「主語」が何か、文のねじれがないか…このような点が推敲ポイントとなるはずです。

 ぜひそのあたりを慎重に、保護者の心に届く「温かい内容」にしてもらえたらと願っています。

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