すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

地方はどこを向かされたか

2017年05月15日 | 読書
 「地方に行くと、『人材はみんな、東京にとられている』とよく言われます。それは新幹線を引くからとられてしまう。引かなければよかったんです。馬鹿ですね(笑)。」
 
 論者のこの言葉をどう受け止めるか。



2017読了52
 『日本の将来はじつに明るい!』(日下公人・上念司  WAC BUNKO)

 保守系論客同士の対談。上のような「言いたい放題、しかもかなり痛いところを突いてくる」箇所がいくつもある。「アベノミクス」「イノベーション」「エネルギー問題」等と現在日本の状況と課題について、二人の価値観は非常に近いようだ。個人的に注目したのは第2章「本当に『地方』は再生できるか」である。


 その中の一節が冒頭に引用した上念氏の言葉である。正直、馬鹿にされているようでいい心持ちはしない。新幹線や高速道路はいったい誰が何のために…と考えれば、現在の状況が出来てからそんなことを口にされても、と思う。そして同時に、それが典型的な事象になっていることは認めざるを得ないのも悔しい。

 その発言に対して、日下氏がこう続ける。

 「(地方は)人材育成の点で言うと『東京で活躍できる人材』をつくっているのが余計です。」

 この指摘は重い。その言葉通りに意図せずとも、文部科学省がトップに立つ行政のしくみが、教員や保護者に浸食させている意識は大きいと思う。一教員として実践サークルをしていた頃、何がきっかけだったろうか、次の問いが浮かんで、自分の考えをまとめたことがあった。…「なぜ、地方に教育委員会は必要か


 遅ればせながら、自分はその時この国の構造的な問題に気づいたと言ってもいい。もちろん政治や行政の問題をある程度理解していたが、毎日の仕事を通して肌で感じ得たと言っていい。それからほどなくして、県学習状況調査が始まり、続いて全国学力テストが始まった。確実に「人材育成の方向」は仕上げられた。

足腰の強い人

2017年05月15日 | 読書
 名前は知っているが著書には触れていない三人の新書を手に取ってみた。
 考えは違えども、足腰の強靭さには見習うべきことが多い。
 世代のせいにはしたくはないが…とうてい敵わないなあ。
 
2017読了49
 『たしなみについて』(白洲正子  河出書房新書)

 女性の評論、随筆の草分けと言っていい存在であることぐらいは知っている。文章の長短はあるが、一つの箴言集のような趣がある。考えると書名の「たしなみ」とはずいぶん多義に用いられる。「芸事などへ親しむこと」「日頃の心がけ」「つつしみ」「身を飾ること」「嗜好品を口にすること」…全てを網羅している。

 範囲が広い中、言葉に関した記述に際立つものを感じた。外国語習得に関して、これほど辛辣な文章はそうない。曰く「習ったら出来る様になる言葉なんてものは、たまに便利である以外に何の用もなしはしません」。人を理解するためにはまず「違うものであると知る事」が先決という。コミュニケーションの肝を想う。



2017読了50
 『銀行に生き、地域に生きて』(町田 睿   さきがけ新書)

 地元紙に載った連載を読んだことがあった。第一部は半生記、第二部は新聞論壇に寄稿した文章、三部以降は諸原稿となっている。繰り返しになる記述も多いが、銀行マンとして情熱を傾けて働いたという誇りや気概に満ちているし、地元秋田を思う強い意志を感じる文章だ。一定の影響力も発揮している方だと思う。

 重ねて語られる一つに「1極集中の是正、地方重視」がある。それは、この国の未来に関わる最重要事項である。どうしてそれが進まないのか。著者に限らず、口にする方々の影響力を考えると不思議な感じがする。それゆえ根深い構造的な問題、牽引してきた世代の根本的価値観との相違があるように思えてきた。


2017読了51
 『老活のすすめ』(鈴木健二  PHP)

 人気アナウンサー時代の頃の印象は強烈だ。著者は、大勢を相手にする時と個人的なコミュニケーションをとる時の違いが大きいと書いているが、容易に想像できない。それほどに魅せたバイタリティ通りに人生を進めている著者が、「老」をどう考えどう暮らすかが具体的に記される。腰のひけない生き方の典型だ。

 放送人としては稀有な存在だった。それは「内容を自己を通して発信する」からだろう。報道番組だけでなく、バラエティ等においても「より伝わってくる」語りが巧い。本書の中で圧巻なのは1950年代の戦没者追悼式典だ。無言の慣例を破り、単語だけで戦争への「執念」を述べたくだりは、今想像しても凄みがある。

そういえば、愛鳥週間

2017年05月15日 | 雑記帳
(鳥は鳥でも昨日とは打って変わった話となった)
 人間以外の動物にあまり興味のない私でも、ここ数年春山に出かけると、鳥のさえずりにしばし聞き入ることがある。だんだんと寂れていく気がする山間部にあって、その声の響きが年々透明度を増しているように感じるのは、寄る齢の感傷なのか。そういえば10日が「愛鳥の日」で明日16日までが愛鳥週間である。



 新採用の学校が「愛鳥モデル校」だった。この時期になるとポスターや巣箱製作など定番の活動があった。しかし追い立てられている感じはなく、楽しく取り組んでいた。一度、教室で飼った小鳥を死なせてしまったことがあり、管理の悪さを校長に叱責された。己のずさんさが見事に露呈した忘れられない出来事だ。


 キジやヤマドリの放鳥などもあった。近隣の学校の話だが、子供たちと一緒に放した鳥が、数日後に職員室の窓をめがけて突入し亡くなったので、職員たちがそれを密かに美味しく「成仏」させたこともあったそうな…。巣箱も取り付けたが、それより木造校舎の軒の隅に巣作りをしている様子が自然で良かったなあ。


 たまたま手元に「トリーノ」という小冊子がある。これは「日本野鳥の会」が発刊しているフリーマガジンである。鳥のことだけでなく、様々な話題が載りビジュアルも優れている。なかに「オオジシギ保護調査プロジェクト」と題した「渡りルート」の記事があり、調査活動とその経過を思わず読み込んでしまった。


 なんと「7日間ノンストップで太平洋上を飛行」したという。人間の両手に収まる程度の個体だが、その生命力たるや想像を絶する。他の種には近づき得ない世界だ。動物の生態を知ることは、ある面で人間の限界を知ることにもつながる。身近な話題に挙がるクマやカラスであっても、それは同じではなかろうか。