すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その心境に届かない

2017年05月24日 | 雑記帳
 「旅行に行く時、荷物の少ない人っているよね」と連れ合いと話した。二人とも同職したことのあるO先生はそうだった。泊を伴う職員旅行に出かけるときでも、セカンドバッグのようなもの一つだった気がする。「そういう人って憧れるよなあ」と、実は半分呆れている調子で口を合わせた。何度か同じ話をしている。

 「ほぼ日」の「今日のダーリン」(5/21)で、糸井重里がこんなことを書いている。

 旅をするときに、とても荷物の少ない人がいます。
 極端な人だと、ショッピングバッグみたいなものを、
 ぶらっと下げて、飛行機で外国に行ったりしてます。
 まねをしたいとも思うのですが、どうしてもできない。
 つまり、ぼくはその逆の荷物の多い人なんですね。
 じぶんにとって快適な環境を、
 どこに行っていてもキープしようとしてるからなのか、
 あれもこれもいちおう持っていこうと思うと、
 荷物はどんどん大きく重くなっていきます。



 なるほど。「じぶんにとって快適な環境を、どこに行ってもキープしようとしているから」…確かにそうだ。大げさに言うと、環境に自分を合わせることが苦手なので、とりあえずモノによって環境改善(というか、環境保障)に努める手段に頼ってしまう。「非日常の旅」を楽しむ時には不利な性格だなとつくづく思う。



 そもそも日常から脱するために旅があるわけだが、実は、志向する非なる部分が狭いということだ。「非」が自己想定内にしかないのだ。連れ合いとの話の続きは「今なら、手ぶらでも行ける。ただし金さえ持っていればね。そして、コンビニがある町ならね」みたいな結論になってしまう。な、なんと毒されているか。


 荷物のやり繰りに腐心するのも含めて「旅」と思えばいい、と居直る。思い浮かぶのは徳川家康の言葉「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し」。最初から人は重荷を背負っているのだから、苦は当たり前…都合のいい解釈だ。本当は「不自由を常とおもへば不足なし」の心境に届かない者の言い訳と知っている。