すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分の「命の器」を想う

2019年01月20日 | 読書
 「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。

 宮本輝という作家に馴染みはないが、名前は映画『優駿』の原作者、芥川賞作家ということで頭に入っていた。かなり前に何か一冊読んだような気がする。昨年、書評誌にライフワーク的な小説が完結したことが書いてあり、ちょっと興味を持った。読み易そうな短編集とエッセイ集の文庫を一冊ずつ手に取ってみた。


2019読了6
 『胸の香り』(宮本 輝  文春文庫)

 私小説というのだろうか。そんな雰囲気のある作品が並んでいる。少し伊集院静に似ている気もしたが、男女関係の機微の描き方はちょっと違う。内面がサクリと掘り起こされていくような印象がある。解説の池内紀がうまく評していた。「汗くさい人間模様を扱いながら、あとに残る印象は七編の詩のようだ」その描写の仕方が「控えめで十分」という点を指しているのだろう。作家というより、まさに小説家という肩書がぴったりすると感じた。


2019読了7
 『新装版・命の器』(宮本 輝  講談社文庫)


 「かぐや姫の『神田川』」というわずか500字ほどのエッセイが収められている。ここにはプレーヤーを持っていなかった時期にレコードを買い、その盤を眺め続けたことが書かれてあった。それを著者は「自虐性を帯びた感傷」と記す。小説家の小説家たる所以を感じる。自己を掘り続け表現につなげる天分を全うするしかないと心に決めた者の生き様ではないか。水上勉は、宮本の覚悟をこう記していた。「浅瀬のところで鉛筆やペンをなめていたんじゃ超えられないものはたくさんある。


 本との出会いも、人との出会いに近い。
 「命の器」とは、容量だけでなく形状も含めて語られるべきだろう。

 自分の器が、宮本輝を読み入れられるかは、ちょっと心配である。