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次なる発信者の心得

2019年01月18日 | 読書
 「報道」という熟語のでき方は、どの型なのだろうか。

 意味は「知らせる」が中心であることはわかるが、では「」は何か。
 首を傾げる人が多いのではないか。
 あるいは「道を報せる」ではないかと予想する人もいるかもしれない。

 辞書で「道」(ドウ)を調べると、おしまいの方に「言う。語る」が出てきて、その例語として「報道」が出てくる。
 つまり、類義語を重ねた型(河川や巡回など)ということができる。
 人に広く知らせることだけの意味なのだ。

 この「道」を「正しい教え」「専門」などを表していると勘違いしてはいけない。


Volume.139
 「大方の私たちは報道の受け手だ。が、受け手は受け身ではない。受信した報道を自分の暮しに、どう根づかせ何をするかで、受け手は次なる発信者になり得る。」

 落合恵子が雑誌対談で語っていること。

 思想的信条がどうあれ、今もっとも大事にしなければならないと肝に銘じたい。


 いかにネットやSNSが盛んになり、テレビ・新聞等マスコミの影響力が下がってきている世の中とはいえ、まだまだ日常にぐっと入り込んでいるのは、それらだ。

 世界情勢、国家間対立などから、周囲に起こる事故、事件等、さらには身近な一見微笑ましかったり、温かったりする話題であっても、「報道」をそのまま何でも鵜呑みにしないよう気をつけなければならない。

 ネットによる書き込みも、単なる世間話も、それは発信に違いない。

 報道を拡大、拡散させるために、自分がいるわけではない。