すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

三つぐらいは語れることを

2019年01月25日 | 読書
 「誰にも『それさえあれば』というもののひとつやふたつはあるような気がする

 作家は「あとがき」に海音寺潮五郎の時代小説『酒と女と槍と』を少年時代に読んだと記し、その記憶をコラム集の書名に結びつけた。話の主人公だけでなく誰しもが持てる三つの言葉、いやテーマ。自分にはあるか。…ここで明かして平凡さを披露しなくともよい。ただ、三つぐらいはいつも語れるようでありたい。


2019読了9
 『シネマと書店とスタジアム』(沢木耕太郎 新潮文庫)



 パッとわかる題名だ。90年代から00年代にかけて新聞に連載された映画評論書評そしてスポーツコラムがまとめられている。その筆力は十分に感じつつも、やはり観ていない映画評はキツイなあと思っていたら、スポーツに移ったとたんにぐいぐいと惹かれてしまった。最近あまり目にしていないからか刺激的だった。


 懐かしい長野冬季五輪。沢木はその一日目の開会式を鋭く突いた。選手の入場行進に対する拍手の少なさを「観客の抵抗だったのではないか」と批判する。TV映像のための演出に終始した担当者たちに対して示した拒否感が、無反応・無感動を生んだと断じた。自分も含めてTV視聴者はそれには気づかなかった。


 伝説とも言えるあの男子スキージャンプも、間近で捉えた競技の独特さに焦点をあてつつ、原田雅彦へのインタビューの洞察など読みどころがあった。ドラマを見返すように蘇ってくるようだった。沢木の次の見解は、最近の横綱引退と重ねても深く頷ける。「日本人は、原田のような、弱さを含んだ強さを好むのだ。


 2002サッカーWカップ。日韓共催だったよなあ、と感慨深い。そこで渦巻いた日韓双方の結果に対する温度差を思い返す時、それはサッカーに限らず「負けることによって失う経験」の落差が大きいのだと知る。スポーツならいいが、現実の外交問題ではどんなふうに駆け引きするかを、もっと冷静に判断しなければ。