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この玄笑に耐えられるか

2019年01月29日 | 読書
 「〇笑」という熟語は「微笑」「爆笑」「苦笑」等よく使う。それ以外にも「嘲笑」「失笑」「談笑」あたりは時々か。「憫笑」「朗笑」「哄笑」など意味は想像できるがあまり見かけない。そしてこの本の題名「玄笑」となると…実は辞書にもないので、作家の造語と思われる。でも意味はわかるなあ。「くろい」ってことだ。


2019読了10
 『玄笑地帯』(筒井康隆 新潮社)


 作家の全集発行に合わせた「月報」として書かれたエッセイを集約した一冊。80年代出版である。しかし検索すると結構多くの人が取り上げている。十代の頃の少ない読書遍歴で、かなり大きな位置を占めるこの作家に、自分が影響を受けてきた理由がなんとなく分った。つまり支離滅裂のようだがシニカルであり…。


 このエッセイ集は「分量一定、改行なし」の全24編。帯に推薦文を寄せた山下洋輔は「ぶっちぎりの即興演奏」と表現するようにJAZZのイメージがある。メロディラインは複雑でリズムが激しく刻まれる…それでいて、時々はっとする美しさも垣間見える。また、引用中心だが「尾川君からの手紙」の2編は秀逸だ。


 「今、部屋の中へ白衣を着た男たちが入」でずばっと終わる章に、JAZZの醍醐味(笑)を感じた。途中からそれぞれの章の書き出しに接続詞(的な文も含む)が使われていて、これもまたパフォーマンスが効いている。「とはいうものの」「さりながら」「あるいはまた」「なにはともあれ」…もちろん同じ書き出しは一つもない。


 中身より筒井康隆の語り口を読む一冊。従って今読めば80年代の熟成された味がする。さし絵の山藤章二は、時代の時めく条件の一つとして「衆愚に対する強烈な差別意識と毒性」を挙げ、筒井を評価している。表面上の「悪や毒や闇」を排除してきたこの国で「健康的」になった人間たちは、この玄笑に耐えられるか。