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こんなはずじゃなかったと思う貴方へ

2019年01月24日 | 雑記帳
 「こんなはずじゃなかった」の「はず」って何だろう。

 また、どうでもいい事を思い浮かべてしまった。
 最近、録画していた『海よりもまだ深く』を観たので、そのなかで情けない男を演じた阿部寛の台詞だったのだろうか。

 「はず」は、相撲で言えば「はず押し」というように、手を開いて胸や脇などを押すときに使われるが、他にはあったかなあと電子辞書を見る。


 最初に出てくるのは「弓の両端にあって弦をかける部分(弓筈)」。
 次に矢の方で「矢の末端で弓の弦につがえる部分(矢筈)」だ。遠い昔、弓道部員だったがそう言えば使っていたような…。

 そして「弓の弦と矢筈が合うのは当然であることから」、ふだん私たちが口にする用法になったという。電子辞書には詳しい順に「精選日本国語大辞典」「広辞苑」「明鏡国語辞典」が入っているのだが、今回は明鏡が一番詳しかった。


 「~~はずだ」「~~のはずだ」の形で、と示されて次の分類がある。

(ア)ある道理や事情などから必然的に結論が導きだされる意を表す。また、その結論がそれらに基づく根拠ある推定である意を表す。例「飛行機なら二時間で着くはずだ」等

(イ)現実が必然的結論と食い違っていることに対する不審の念を表す。例「いつもだと連絡してくるはずだが」等

(ウ)事の真相を知って、現実が当然の季節として成立していることを納得する意を表す。例「それもそのはず。彼はもう60ですからね」等


 また、「~~はずがない」の形で、と示されたのは
 ・その理由や根拠がない意から、ある事柄を強く否定する。例「彼がそんなことを言うはずがない」等

 そして、「~~はずではなかった」の形で、と示されたのは
 ・予想に反した事柄が起こったことを表す。例「こんなはずではなかった」

 ずいぶんと詳しい。「はず」の意味というより、運用に近い。

 しかし「はず、とは何か」を訊かれて、すばっと答えられる記述ではないなあ。こんなはずではなかった(笑)。


 では、と書棚から三省堂のコンパクトな二つ「新明解」と「現代新国語」を取り出して、引いてみる。

 新明解は明鏡に近い書き方をしている。

 現代新国語が分かりやすい。

 ①当然そうなるわけ・道理であること
 ②そうなることについての確信をあらわす
 ③そうなるべき予定をあらわす


 不審や否定の感情を伴う言い回しは、運用上に生じてくることであり、ここではずばりと言い切れることが書いてある。


 「はず」とは「道理・確信・予定」のことである。

 生きていくうえで大事なことと改めて思う。


 ところで、なぜ「筈」なのか。
 「竹」かんむりは弓との関係でわかる。
 「舌」は「くぼみ」を表している。

 何事もくぼみにしっかりはめることが大切である、と教訓的?に結んでみました。