すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

大寒の日に聴いたこと

2019年01月21日 | 雑記帳
 朝ラジオから、大森山動物園の小松園長の声か聞こえてきた。途中、何故子どもが動物園に来たがるかという点について触れられ、「人間ではなく他の動物の存在を見ながら、触れ合いながら、自分という存在がわかっていく」というような話になった。生きるという不思議が明確な形で示されている場所とも言えるか。


 午前中からお昼にかけて、とある新年会へ。和やかに様々な話があったが、ある絵本をめぐり、少し戦争の話題になった。当然参加者全員が直接的な体験を持っていない。しかし伝え聞いていることには差があり、それをどう消化しているかによって、他国との関係でも見方が違ってくると改めて思う。学ぶしかない。


 秋田の「県民歌」と「県民の歌」の話題になり、出身地域や世代的な違いもあって楽しかった。ある方が「県民歌」(♪秀麗無比なる~)には、3つの違う楽譜があり…と話され、実際に歌ってその音符の長さを示していただいた。その経緯や未だに統一されない訳はわからない。自然を謳う歌だが、自然淘汰は無理か。


 午後から某議員の新春のつどいへ参加した。来賓の一人が話したエピソードに聴き入った。ある高齢者宅を訪問したとき、部屋の中に高く積まれてあった郵便物を目にしたそうだ。その中には健康診断案内など大事な通知もあったという。そこで一言「行政文書は字が小さい。しかし詐欺まがいの手紙は字が大きい。


 「それは目的が違うからだ」と続けた。ニュアンスはわかるが正確ではない。行政機関であれ詐欺グループであれ、目的はあるしそれが違うのは当然だ。しいて言うなら「成果への執着」の差異というべきか。データだけに固執するのは考えものだ。だが見逃している些細な工夫はないか、チェックすることも肝要だ。