すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

持ちつ持たれつの質を見抜く

2019年01月04日 | 読書
 車椅子に乗っている人が段差で難儀していることは、個人の問題なのか社会の問題なのかという視点を持つ意味は、福祉を考える根本になる。目指す社会をどんな形に描いているか透けて見えるからである。短期的な「生産性」という言葉で評価されることに振り回されては、真の意味で共生を考えることはできない。


2019読了1
 『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(渡辺一史 ちくまプリマ―新書)



 著者が出会った多くの障害者、関係者の言葉が紹介されている。地道に運動してきた重みを感じる。難病の当事者である海老原さんの言葉は特に強烈だ。「障害者に『価値があるか・ないか』ということではなく、『価値がない』と思う人のほうに、『価値を見いだす能力がない』だけじゃないか」…価値観が揺さぶられる。


 具体的に介助、介護に携わる場面でのエピソードなども豊富に盛り込まれている。予備知識なしにそれだけ見れば、いかにも障害者の「わがまま」のように判断しがちだが(「こんな夜更けにバナナかよ」という映画題に象徴される)、実は、介護される側・する側双方にとっての支え合いが成立していると見てとれる。


 「他人に迷惑をかけるな」と言われて育ってきた人は多いだろう。そのうちに誰しも他者に迷惑をかけずに生きていくことは出来ないと気づくが、刷り込まれた価値観に、能力による淘汰や自己責任の重さは付きまとっているようだ。その矛盾に目を凝らせば、自立とはいったい何を指すのかを問いかけることになる。


 エド・ロングという米国のカウンセラーの言葉が印象深い。「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。」つまりは精神的な自立。社会の「持ちつ持たれつ」の質を見抜く想像力こそが自立を支える。