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桜と絵本と豆乳と

どこかにいる小さな自分

2019年01月09日 | 読書
 一時期のように「自分探し」とは言わなくなったが、「自分らしさ」という語はごく一般的に誰もが使う、それも非常に肯定的なイメージを持ち続けている。

 しかし、そうした傾向に異を唱えている方々も少なくない。

 平川克美は、著書に関するインタビューで「自分が何者かなんて、考えたってわからないでしょ?自分のことが一番わからない」と語り、続けて「実は、自分をどうやって消し去っていくのかということが、楽しい人生を送るコツなんだけどさ」と、納得の処世術?を披露する。

 そのうえで、そのインタビューの結びをこんなふうに結んだ。

Volume.138
 「自分はどこにでもいるんだよ。自分なんかないから、誰かの中で自分の考え方が生きる。誰かがどこかで自分を呼んでいたりするわけ。その声を聞き取れるかどうか。聞こうとしないと絶対聞けないんだけど、」


 目が内向きに偏っていては、そんな考え方は起きないだろう。
 お金であったり、地位であったり、他からの評価であったり、そんなことを必要以上に気にしていては、外に向ける目が曇る。

 個の中で生まれた考えなどないに等しいとはいえ、誰かから教えられ、少しずつ少しずつ培われてきた「自分」は、きっと誰かの中に存在する。
 そう考えると、なんだか楽しい。

 その存在を聞き取り、見つけだし、働きかける時間こそ、極上と言えるような気がする。
 たとえわずかな、とるに足らないものであっても、どこかにあると信じたい。