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初場所に知る明暗の教え

2019年01月28日 | 雑記帳
 ずばり一言で言い表せば「明暗が分かれた、明暗がはっきりした」初場所だった。力士同士の勝敗や活躍の比較なら、それは毎場所そう言えるわけだが、今場所は力士個々を見ても、それが15日間でくっきり見えるような気がした。全体を通しての「明」が玉鷲であったことは誰の目にも明らかで、個人的にも嬉しい。


 大相撲ファンなら周知のように、玉鷲は朗らかにインタビューを受ける。その快活な姿が印象的で、逆に優勝時のたどたどしさが新鮮だった。大きな故障をせず連続出場をしていることは本当に素晴らしく、その功績が幕内最高優勝として実った。そしてその「明」を取り巻くようにあった、他の力士個々の「明暗」


 「暗」のみとも言える横綱、大関は当然、前半連勝を続けた碧山、魁聖、阿武桜などの中盤からの失速、そして千代の国の休場は「明→暗」グループだった。朝乃山・大栄翔などは「暗→明」ということになるか。明暗目まぐるしかったのは御嶽海。そして、明で括りたい場所の千秋楽に、暗を呼び込んだのが貴景勝だ。


 相撲というのは一瞬の手足が勝敗を決め、行く手(未来という大きな意味でも)に大きな影響を与える。貴景勝が豪栄道に敗れた取組だけでなく、物言いがついた白鵬×錦木戦なども軍配通りであれば、様々な明暗が違ってきただろうと予測する。ところで「明暗」で唐突に思い出すのが虚無僧。昔の時代劇でよく見た。


 あの明暗とは何か。調べると京都東福寺の明暗協会の所属を表しているらしい。ただ、明暗の基になるその教えが意味深い。「明頭来也明頭打 暗頭来也暗頭打」(賢い頭が来たならば、賢い頭を打ってやれ 愚かな頭が来たならば、愚かな頭を打ってやれ)。つまり「いい時も悪い時も」という平常心か。まさに人生を知る。