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制度化を震わせるため

2019年01月06日 | 読書
 読了した新書に引用されていた言葉に、目が留まった。
 熊谷晋一郎という東大准教授(小児科医)が書かれた文章である。

 この語自体は、ネット検索しても出てこない。
 文脈から理解できることは、仕事に就いていた時折々に感じていたことだなあと思った。

Volume.137
 「人間社会のあらゆる場面でおきている、『ポスト制度化問題』」


 制度ができる前、その制度を作ろうと尽力した人たちと、出来上がってからその制度を利用していく人たちとの間にはギャップがあり、なかなか解消できない面があるということだろう。

 作りあげてきた世代は、やはり「必然的に、全体がよく見える」のが普通だ。
 反して、その後の世代は「出来上がった制度の中にうまいこと囲い込まれる」形になり、ある意味で「見晴らしの悪い状態に陥っていく」という。


 例えば学校教育の場でも、ある活動がその学校の伝統的な内容として根付いている場合がある。
 それを発想し実際に始めた時のエネルギーと、年を経て位置づいているから実行するという時のエネルギーは明らかに違う。

 教育上のねらいや配慮すべき点など、いくら確認してもその差は容易には縮まらないだろう。
 「変える」ことに価値を見いだすのは簡単だが、「変えない」ことを価値づけることは、それより困難だ。


 本質を考える、現状を分析する、そして当事者性を維持していくために自らに問いかける…こうした場はなかなか持てない。

 だから今、考えを徐々にそこへ向かわせる仕込みと、考えざるを得ない仕掛けが必要になっている。

 仕込みと仕掛けで制度化を震わせるしかない。