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失敗の自覚なき者たちは…

2019年01月17日 | 雑記帳
 退く者や敗者の頑張りを讃えることは確かに美徳だが、冷静に見つめることがより重要だ。それなしに進歩はない。この引退を糧にすべきは本人だけではない



 ここ一年以上の稀勢の里の置かれた状態は、「地獄」と比喩してもおかしくない。もがいても、もがいてもという印象が残るからだ。一相撲ファンとして勝手に断言するとこれは明らかに「失敗」である。どの時点からかは異論もあろうが、少なくとも17年3月場所千秋楽、そして翌場所が大きなポイントなのは間違いない。


 あの一番は怪我を押しての出場だったからこそ、感動的だったことは否定できない。しかしまた、それまでの苦労を思えば一つ踏み止まる決断もあった。出場を強行しなければ、横綱として一定期間大相撲人気を支え、その後の名勝負を生む可能性はかなり高くなったはずだ。もちろん本人は考えた末だと思っている。


 しかし、結果として負傷は尾を引いた。そこで明らかに失敗だったともう一度考えるべきだが、深く認識できなかったのではないか。こだわった本場所出場に関して、周囲から指摘する声は多かった。その時点その時点で失敗を重ねているのである。どこか、太平洋戦争における大本営本部が犯した過ちにも似ている。


 失敗が失敗を生む。早い段階での決断が必要なのに、後戻りできない道を精神論で乗り切ろうとした。だが結果は予想された通りで、地獄から脱け出さなかった。組織であっても個人であっても起こり得ることだ。現状把握の欠如である。しかし責任は横綱一人にあるか。その頑なさを解きほぐすべき者はいたはずだ。


 横綱本人とファンそして大相撲界のため、一番に何を考えるべきか断固として決すべき責任を持つ者がいた。誰を指すか書かないが、組織に関わる仕事なら大方は想像がつく。画面に映る姿や紙面からの判断ではあるが、長い期間見続けたので展望の無さは承知している。いつもがっかりさせられる。また失敗するぞ。