すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

横っ腹に穴あけて年を越す

2019年01月01日 | 雑記帳

(謹賀新年。本年もお付き合いのほど、よろしくお願いします。)


 大晦日。久々に酷い腰痛に悩まされてちょうど二週間が経った。数日前、よくなる兆しがあったし、降り積もる雪を見かねて、除雪に動いてみたら…また少し悪化したような気がする。「不健康なまま」などと書いたから駄目だったのかな。言霊をもっと意識せねば、暮れる年、最後の最後まであれこれ反省したくなる。


 そろりそろりと車庫のマブ(雪庇)落としをしてから、頂き物のBEERを第二冷蔵庫(笑)に入れようとしたら、中から一缶がゴロリと庫外へ飛び出した。あらーっと見ると、なんと下に置いたカセットコンロの五徳の部分に突き刺さっている。ビア缶の横っ腹に穴があき、泡が噴き出ている。しばし見とれてしまう光景だ。


 「どうしようか」と正月料理を作り始めている家人へ訊くと、「もったいない、今日はもう運転しないから…」と、昼から小乾杯することにした。餅少々と小豆とアイスの昼食。雪も小降りでいい年越しになる。夜は二人の娘たちが揃い、大晦日の食卓を囲んだ。たぶん6,7年ぶりだろう。「平成最後記念ということか。


 だらだら紅白を見ながら過ごすのは定番である。それにしても「平成最後」と謳ったけれど、ラストの「勝手にシンドバット」やユーミンの選定2曲、松田聖子のメドレー、「まつり」「天城越え」等々、「希望の轍」を除けば昭和の唄で占められた。紅白が象徴する平成を支えたのは、昭和のパワーだったと実感できた。


 ただ明らかだったのは、その歌手らの衰えである。代替わりが必要なのは宮家だけではない。温故知新、不易流行の精神をスローガンだけでなく、具体的に実行することが大切だ。すっきり晴れはしないが、穏やかな天気の下、初詣に行く。改元する次の時代にも、少しばかりは貢献できる昭和生まれでいたいと祈る。