すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

魂を遊ばせる物語

2019年10月01日 | 読書
 英語などからっきし喋れない今、思い出すのも恥ずかしいが、高校生の頃、訳詞者になりたいと一瞬思ったことがあった。まだあまり外国モノには染まっていない時期なのにどうしてだろう。LPのライナーノーツにある翻訳された詞を格好いいと思ったに違いない。怠け者は予習復習が駄目で成績は散々だったのに…。


2019読了89
『短編集 バレンタイン』(柴田元幸  新書館)


 著者は有名な翻訳家。外国文学に関心はないが名前ぐらいは知っている。中学の国語教科書に短いエッセイがあり、少し興味を覚えた。翻訳者はどんな物語を書くのだろうと。読み初めこれは…と思い浮かべたのは、連載で読んでいる岸本佐和子だ。こちらも翻訳家として著名である。共通しているのは妄想力である。


 翻訳家には妄想力が必須なのだろうか。一つの単語や文章の言い回しから、多様な想像を巡らせ、読者に場面を想起させる的確な訳語を選び出すわけだから、当然といえば当然だ。この短編集の妄想の中味は、現在と過去、人間と間、そして生者と死者の、境目や往来から生じているようだ。そこに種を見つけている。


 この感覚はなかなか味わったことがない。個人的には吉田篤弘の世界に似ていたり、筒井康隆的なイメージも感じたりするが、結局はアメリカ文学の専門家として影響を受けている面があるのか。同世代なので、幼い頃のキャラクター等が登場してきて妙にノスタルジアも感じる。なんとも不思議な文章空間なのだ。


 一種の「パラレルワールド」表現かな。そもそも妄想とは魂の遊びではないかと気取ったことを考える。心の芯の部分が勝手に行先を決めて、経験や過去の出来事を結びつけ、ぐるぐる巻きにして道を作りだしていく。そこで魂がきゃっきゃっと笑えたら最高だ。予定調和的な暮らしに慣れず、もっと魂を遊ばせたい。