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限界の実感が目的を明確にする

2019年10月23日 | 読書
 兵庫県明石市市長の「暴言問題」が取り沙汰されたのは今年だったか。
 昨年か一昨年と思うほどに、様々な事件などが出ては消えていっているのだなあとしみじみ考える。

 あの一件は、それ以前にもあったが、人を陥れるために情報が切り取られ拡散される恐ろしさに気づかされる展開だった。
 ただ、同時に「人に対する信頼の宿り方」もその後の選挙で見せつけてくれた痛快な出来事とも言える。


 『通販生活』誌の連載「人生の失敗」というインタビューに取り上げられて、その泉房穂市長がいろいろ応えているが、興味深かった。


Vol.180
 「人は他人の痛みが分かると言うけど、当事者の本当の気持ちなど分かりようもない。だから、私がよかれと思うからといって、当事者にとってよいことなのかどうかわからない。そうしたある意味『限界』を実感する体験を小学校6年生のときにできた。」


 市長の行動の原点とも言うべき、家族(弟の障害)に関わるエピソードについて語った折の一言である。

 読んでいくと、彼を奮い立たせているのは、やはり「怒り」なのだと思う。
 理不尽な目に遭い、世の中の現実と表裏を把握するなかで、強い決意を持って社会の改革へ歩みを進める。
 そのエネルギーの大きさは、幼い頃から培われた経験と精神力によると言っていいだろう。

 インタビュワーは、市長として「原体験に基づく冷徹な現実感を持ち」と表現していた。


 怒りや憤りはある意味ではリーダーとしての資質ともいえる。
 しかし今、上に立つ者は今「怒り」をうまくコントロールできないと、足元を掬われる。泉市長はその点を自覚し、トレーニングも積んでいると言う。

 何のためという目的が明確である人は、実現のための具体的な形がイメージされている。

 そしてきっと、目的の明確さは、限界を実感する体験と対応している。