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「わかる」ための基礎事項

2019年10月27日 | 読書
 教師の常套句ランキングを作れば、いまだに「わかりましたか」は上位なのかもしれない。子どもがわかったかどうかを、どうやったら「わかる」か。常套句を禁句としている教師ならいろいろ試みているだろう。ペーパーテストもその一つだ。でもそれはごくわずかな部分に過ぎない。その点は「わかる」者は多い。


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『畑村式「わかる」技術』(畑村洋太郎  講談社現代新書)



 第一章「『わかる』とはどういうことか」の初めに、大切なことが書かれている。「すべては、要素・構造・機能で表現できる」。言われてみればその通りで、難しくない事柄だが、一種新鮮な思いがした。何がわかるか、わからないかも、この三つに当てはめればすっきりする。目の前のどんな事象も分けることは可能だ。


 要素つまり一つ一つ、部分がわかる。構成つまり作りや組み立てがわかる。そして機能、これは働き、役割がわかる。これらがわかるレベルとも言えるし、わかる条件ともいえよう。訪問先で、りんごが皿に盛られて供された状況の意味がわかること、政治家が汚職で大臣辞任という報道をわかることも当てはまる。

 
 子どもの問題行動に関しても何をわかっているのか、明確にすればいい。可視化できる事実か、過去や周囲とのつながりか、その結果に生ずることや予想される展開か。当然本人の思いや考えも大事な要素だが、それだけでは判断できないということだ。学習に関する問題はそれ以上にわかりやすいのかもしれない。


 著者はこうも書く。人は「自分がすでに頭の中に持っている要素や構造を使って新しくテンプレートをつくることで理解しようとする」。様々に身につけた型やパターンを更新させることによって、理解が広がる。簡単に従来のテンプレートに当てはめてはいけない、つくり出す重要性を『失敗学』の権威は強調する。


 こんな基礎事項だけで十分に参考になるが、わかる訓練や積極的活用も役に立つ。特にわかるための基本として「現地・現物・現人」の現場主義を挙げていることに感銘した。その畑村氏が先週新聞のインタビューに登場し、原発事故の無罪判決に関して検証委員長としての失敗を悔いていた。興味深い。明日書きたい。