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失敗学の目指す心構え

2019年10月28日 | 雑記帳
 「『失敗』を直視せよ」と題されたそのインタビューは、福島第一原発事故の調査・検証委員会委員長であった畑村氏が、率直に「結果として検証をあきらめざるを得なかった」と述べる、いわば痛恨の告白である。「失敗」がいくらわかっても、それを生かすという流れの中で、結局通用しないという失敗をしたわけだ。


 事故によって「安全神話」は崩れ去ったように見えるが、氏は今もって「特有の『気』に包まれている」と語る。そしてその原因を、政策を進めた政府や業界のおかしさより前に「自分の目で見て自分でちゃんと考える国民がいなかったのが最大の要因」と言い切る。どこから手をつけるべきか途方にくれる指摘である。


 「日本社会は、失敗に向き合うことが苦手」という著者の考えは、工学的なことに限らない。事故解明を技術的な観点から行って改善されたとしても、取り扱う人間の側が徐々に「合理化」という考えのもとに、事故防止に対する認識を甘くし、例えば「裏マニュアル」的なことに染まっていく。様々な件に結びつく。


 自然災害に対する備え等は知識が少なく、思い浮かばない。しかし政治家に関する汚職や教育現場のいじめ問題など、かなり当てはまるように感じる。真摯に問題に向き合い、対策を立てる、法制化するあたりまでは行われるのだが、それらを正しく運用する流れがいつの場合も時が経ち場が離れ弱まる印象がする。


 そういう精神構造が「福島の事故も形だけ学んだことにして、忘れようとしている」という日本社会を作り上げている。その安穏さは、やはり否定しなければならない。「失敗が起きても結果が我慢できる程度に収まるように準備する」…災害、事故、事件頻発の今こそ、本当に積極的心構えをつくらなければならない。