すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

キーワードをユニバーサルにする

2007年08月19日 | 読書
 熊本にある海浦小学校での吉永順一校長の実践は、以前から注目していたし「必達目標」という言葉の響きには憧れさえ感じてきた。
 海浦小から異動後はどうなっているだろうという興味があったが、まとまったものはなかなか目にすることができずにいた。
 先月東京に出向いたときに立ち寄った書店で、シリーズになっている著書を見つけそのうちの2冊を購入した。
 その一冊が『校長の仕事はシステムづくりである』(明治図書)である。
 
 今まで発行した海浦小研究紀要や著書から、その大凡は想像がつき、確かにその通りであった。
 「必達目標」という形で数字を明確化し、そこへの到達に向けて学校のシステム(授業システム、評価システム、研修システム)を確立していくということである。
 吉永氏は、現状打開のための解決のヒントを企業に求めた。企業には問題解決のためのシステムが豊富にあり、すぐれたものの導入が図られているという認識のもとに、それをどう教育システムとして位置づけるか検討したという。
 その際の視点として、氏は三つ用意したと書いている。

「特別支援教育」「脳科学」「ユニバーサルデザイン」
 
 教育界の用語として、特に目新しいのは「ユニバーサルデザイン」であろう。
確か国語科の教材文にあったような気がするが、いずれ福祉の分野で知った言葉だし障害を持った方々との関連で「バリアフリー」との違いとして取り上げられてきた程度の認識しか持ち合わせていなかった。
ネットで検索して、次のような意味であることを確認した。

 年齢や性別、身体的能力などの違いにかかわらず、初めからすべての人が使いやすいように製品や建物、空間をデザインしようとする考え方

 つまり、吉永氏は「製品や建物、空間」の部分に、「教材や教具、指導手順、対応技術など」を当てはめようとしているのである。
そのために四つのキーワードを挙げている。

 簡単 快適 安全 柔軟

 少し具体的な言葉を添えてみると
 簡単「わかりやすい、使いやすい」 快適「負担にならない」
 安全「安心して失敗できる」    柔軟「個人差に対応できる」

 「全ての子を対象に」「基礎学力の定着」を図ろうとしたときに、この四つの視点のとらえは見事だなと思う。

 これが、そのまま「研究の目標」として位置づけられ、

 鏡西部小学校のユニバーサル授業視点

と名付けられて明記されていた。
 授業を参観して、協議をする場合も見事に視点として働くことが何より素晴らしいと感じた。
 つまり、キーワード自体がユニバーサルなのである。重要な発想ではないか。

本物のプラス思考

2007年08月18日 | 読書
 もう十年近く前になるが、バスケットボールで有名な能代工業へいってその練習を見学したことがある。
 あの田臥勇太を擁し、日本一を続けていた時期のことである。
 整然と、しかも溌剌とした練習風景を「さすが」という気持ちで眺めたことを今でも思い出す。

 その能代工バスケットの基礎を築いた前監督加藤廣志氏の著書『日本一を勝ち続けた男の勝利哲学』(幻冬舎文庫)を読んだ。
 組織を束ねていく指導者にとっての極意、心得が、監督当時のエピソードを交えて淡々と書かれてある内容だ。
 個人的におっと思わされたのは、あの「友川かずき」が部に在籍していたこと。そしてそこでのエピソードはまさにあの情熱的に唄をうたう友川かずきそのものであったことに深く納得がいった。

 「勝利哲学」と銘打たれているが、読み終わって考えたいのは加藤氏の「人生哲学」だった。
 読み終わって振り返ってみると、一つの言葉が浮かんでくる。

 プラス思考

 使い古された言葉ではあるが、現実場面でこの考えを持ち続けていくことは実は大変なことではないか。

 今、高校バスケット界は海外からの長身留学生を招く私学の強化策によって、様変わりをしている。問題化している状況である。しかし、加藤氏はそういう状況を次のような言葉で総括する。

 長い目で見ればそれによって日本全体のレベルアップにつながるはず

 そして、次のように課題を捉えなおす。

 大事なのは、刻々と変化する時代の流れに押し流されるのではなく、いち早く克服する攻略法を見つけることです。

 競技スポーツに限ったことではないと思う。仕事を持つ者なら誰しも突き当たっている場面ではないか。
 そう考えると「では、自分は何をするのか」という受けとめ方を身につけることが、プラス思考と言えよう。

 この本には

 手に身体的なハンディを持った子への指導
 悪環境の旅館に泊まったときの対応
 手術後の体調管理を考えての指導法の発見

など、どれも何かしらの障害を工夫と努力で乗り越えていく過程が頻繁に出てくる。
 チームとしての勝負においても、「負け」を貴重な機会として必ず「勝ち」に転じさせていくことが徹底されている。全編にわたって、そういう過程が記されているといっても過言ではない。
 とすると、プラス思考はもう一つ大きな意味を持つ。

 能代工は今年数年ぶりにインターハイで優勝に返り咲いた。
 ここにも確かにプラス思考があったろう。
 それは、考え方だけでなく「必ずマイナスをプラスに転じさせている」という事実そのものと言ってよい。
 それが、まさしく本物なのだ。

抗い、もがきは来る日のために

2007年08月17日 | 雑記帳
 先週金曜日に放送されたNHK『プレミアム10』は、尾崎豊の特集であった。
 どうして今なのか、あまりよくわからないが、出演者欄に脳科学者茂木健一郎の名前がある。尾崎の歌を脳科学から見た分析でもするのかしらん、と興味を持ってチャンネルを合わせた。

 内容は、85年8月に行われた大阪球場でのコンサート、リハーサルから本番の様子が流され、時折茂木の言葉が挿入されるという構成である。
 尾崎のデビュー2年目、おそらく尾崎が最も尾崎らしかった時期とも言えるはずである。
 画面のクローズアップ率はきわめて高い。歌詞を声を、メロディをリズムを、その表情とともに見せることは、尾崎を被写体として取り上げる場合常に多い手法だと思う。世代の違う私にもその「抗い」「もがき」が伝わってくる。

 尾崎の相当のファンらしい同世代の茂木の言葉は、一言で言えば「絶賛」である。物足りない?ほどの誉め言葉が続いた。
 さて、茂木が番組でも語っていたが、最近の学生は尾崎の曲などを聞いても非常に醒めた感じであるという。
 そのことはもう結構前から言われていた気がする。
 尾崎がもてはやされた頃の若者のほとんどが、その曲に全て共感したとは言わないが、惹きつけられていたことも確かだと思う。しかし、今の十代では稀なのだろう。

 こうした変化をどうとらえるか…かつて河出書房新社が発刊した『文藝別冊』に尾崎豊特集があったことを思い出した。
 尾崎を育てたプロデューサー須藤晃が、作家重松清と対談している。
重松が、浜崎あゆみの歌詞との比較を話題にして分析を試み、それを受けた須藤がこんなことを言っている。

「自分が悪いのではない」という時代から、もしかして何かが変わったとしたら、ある種の諦観とか諦念みたいなものが芽生えてしまったことではないかと思うんです。「言ったってしようがないんだから」と諦めて、その視線の矛先は今度は自分に向くしかない。
 
 ちょうど「自分探し」という言葉が出始めた時期とも重なるように思う。
 しかしそれは非常に底の浅い動きに過ぎなかった。自分が何者かということにたどりつくまでの様々な障害や葛藤には目を向けず、自分の好きなこと、合いそうなことを物色して、それが個性的だのオンリーワンだのという見せかけの言葉をまとっていることだと勘違いしているような…。

 最近は「そのままでいいんだよ」「がんばらなくていいんだよ」という歌声が高くなっている気がするが、それは、精一杯抗ったりもがいたりしている姿を見守り続け、その果てに掛ける言葉であろう。何もしない時分からそんなことを言われ続けて、どんな未来が待っているというのか。
 反社会的と言われてもエネルギーを出してきた人間は、自らのエンジンを奮い立たせていく術を知っているはずだ。

 歌の持つ力は大きい。
 確実に時代を映しているともいえる。
 85年の尾崎の歌は、「もっと耳を澄ましてしっかり歌を聴け」と言っているような気がしてきた。

未来について語ること

2007年08月16日 | 雑記帳
 かつて担任した子どもに十数年ぶりに会った。
 お盆の帰省にあわせて、拙宅まで訪ねてきてくれた。
 しかも、可愛い婚約者を伴って…。

 たくましく成長した身体、精悍な顔つきの青年となった彼は、今北の地で航空自衛隊に務めている。
 去年は中東へも行ってきたという。当時の長官である著名な政治家とのツーショットの載った広報なども見せてくれた。控え目ではあったが自信を持って仕事をしていることが伝わってきた。

 当時私が実践した「チャレンジノート」をしきりに誉めてくれた。
 岩下修氏の自学実践に刺激を受けたものだった。今になってもそう語ってくれることは教師冥利につきる。
 卒業文集や学級通信の合本を出してきて、ひとしきり話が弾んだ。
 婚約者の方もなぜか笑顔でじっくりと通信を読みいってくれた。

 二人を見送った後、文集にもう一度目を通す。
 「詩」のコーナーがあり「○○は◆◆だ」という題名で何篇か載せていた。
 ある女の子の書いた詩に、妙に惹きつけられた。

 先生は原始人だ
 先生は/何億年も前からの事を/まるで見ているように/知っている
 だから先生は原始人
 先生がいくら昔の事を知っていても/未来の事を言える/原始人にはなれない


 私はそんなに知ったかぶりだったのだろうか、未来について語らなかったのだろうか。その真意はわからないが、子どもなりに未来への希望や不安を感じていたことは確かだ。

 訪ねてきてくれた彼を含めて、改めて目にする懐かしい名前の子どもたちよ。
 あの時抱いていた未来は実現したのだろうか。
 今、君は未来について希望を持って語ることができているだろうか。

 一人ひとりに訊いてみたい気持ちになった。

読みにくい名前の願いを受けとめ

2007年08月13日 | 読書
 先週、担当者から言いつけられて、書写作品展示会の賞状の名前書きをした。一年生から六年生まで全員(といっても64名なのだが)の賞と氏名を筆ペンで書いた。
 もちろん全員の顔と名前が一致するし、書き間違いなく進められた。一人ひとりの名前にじっくり向き合うと、ああ「よい名前だなあ」という思いが浮かぶこともある。

 さて、現在大学院に通っている知人から『読みにくい名前はなぜ増えたか』(吉川弘文館)という本を頂いた。講義を受けている佐藤稔秋田大学教授が著した新刊本ということであった。
 本の題名の思いは、学校現場にいる者なら誰しも感ずるのではなかろうか。例えば本校一年生女子はわずか3名であるが、その名前を全て正確に読むことはできる人はまずいないだろう。いずれも知っている漢字ではあるが、その読みは単なる音訓で処理できないからだ。
 こうした現状に対して、佐藤氏は次のような問題意識を持って、この本を書き上げた。

 この領域に無関心でいることは、現代の漢字使用に大きな領分を占めている表記と音訓の関係の新たな展開に目をふさぐことになる。

 国語学、言語学の立場から、学術的な考証や時代的な背景など取り混ぜて明快な結論を導きだし、問題を提起しているように思えた。私なりに表題に対して得た結論は以下の通りである。

 一つは「名づけ」という行為が、歴史的に特殊な性格を持っていたということ。
 次に、現在の「人名漢字」における音訓制限の不備。
 そして、何より今「名づけ」を担う親の世代の意識である。佐藤氏は次のように記している。

 自分の居場所を模索し、価値観に「個性的」というマークを刻印せずにはおれない新興勢力の層

 その層を育ててきた社会、教育の責任という話になると大きくなってしまうが、少なくてもこの本に紹介されていた「よい名前とは」といった教えは伝わらず、一般的にならなかったことは象徴的だ。

 もう親として名づけをする世代ではない私自身も初めて知り、考えさせられた。
 昭和26年国語学者の吉田澄夫氏は『名前とその文字』で、良い名前の条件として次の三つを挙げたという。

 ①よい意味を持っていること
 ②やさしい文字を選ぶこと
 ③やさしい読み方を持っていること

 こうした知識はもっと大切にされ、アナウンスされても良かったのではないか。結局①だけが特化された形(それも独りよがり的ではあるが)になっているのが現状だ。②、③にかかわる社会意識、他者意識が「名前の機能とは何か」という点と深く関わりあってくることは事実だし、その点が置き去りにされているといってよい。

 そしてそれらの意識の欠如は、命名だけでなく私たちの暮らし全般に大きく影を落としていることは、もう認めざるをえない事実である。その現実をしっかり把握しながらの仕事が続くのである。

 だから…目の前の一人ひとりの子どもの名前をけして「でたらめ名前」と受け取ってはいけないし、その名前の「よい意味」を名づけた人ともに探っていくことは私たちの務めなのだ、そんなことを考えさせられた。

教師人間力の断面

2007年08月12日 | 雑記帳
 ちょうど一年前に参観した細水保宏先生(筑波大付属小)の提案授業についても共感できる点が多く、その感想を残してある。
 今回は、授業が坪田先生であったので、細水先生は講演という形であった。演題が「授業を支える教師人間力」と非常に大きい設定であるにもかかわらず、付属小教官としてバリバリの現役らしく現場に密着した内容だったと思う。
 講演全体の組み立ては少し羅列的であったように感じたが、多くの示唆を得られた。

 習ったことをつかう

 昨年の授業提案の際にも強調されたことが、今年も改めて心に残った。こんな具体例を出された。

 2年生の先生は、子どもに「暑いから、窓をちょっと開けて」と頼んではいけない。
 「窓を30cm開けて」と頼むべきだ。

 こういう意識を持つと持たないとでは、教室空間の密度は大きな違いが出るのではないだろうか。
 私も自校で強調していることの一つでもある「学びがつながる」というのは、そうした些細なことから始まると見ている。6月にある学校で参観した授業においても、子どもへの働きかけにおけるその点の教師の差は案外大きかった。
 教師の中で学習の意味づけがはっきりしているかということが問われることになる。


 価値観を伝える

 教師が子どもに声をかける行為そのものが、価値観を伝えているのだということに、自覚的にあってほしいという点も強調されていたと思う。「認める」「誉める」「尋ねる」…小学校の場合は教師の一言が常に教室に晒されているといってもよいわけだし、それ自体が隠れたカリキュラムとも呼べる。
 前半の模擬授業的な場面では、細水先生はかなり細かくその点を意識し、子ども(聴衆)の反応を見ながら言葉かけをすることを例示されていた。

 また、子どもの現実や保護者を見ながら必要な点はしっかり押さえておくという周到さも印象深い。
 「おもしろい算数」に関する家庭学習の仕方などについても具体的にやり方を教えたり、そのための練習を取り上げてみたり、というエピソードは、その学級の様子が見えるようだった。

 「教師人間力」の全体像はとらえきれなかったが、子どもに応ずる姿を楽しく語れるかそうでないかで案外わかるものではないだろうか、そんな思いも浮かんできた。

子どもの素直さを受けとめる力量

2007年08月11日 | 雑記帳
 坪田耕三先生(筑波大付属小)の飛び込み授業を参観した。

 今回は私なりに「安易に追試していけないことは何か」をはっきりさせたいと思った。
 以前堀裕嗣先生が書いていた論考に頼ったものだ。つまり追試できる授業技術とそうでない技術を見分けてみようという試みである。
 例えば、授業の冒頭で坪田先生は、特設された児童用の机の位置を狭めるように子どもたちに頼んだ。
 「自己の視界に子どもたちをとらえる」ためである。これは追試?できることである(もちろん、視野の問題はかなりのレベルだが)。それから「場合の数」という本時の題材に入る前に、字の並べ替えである「アナグラム」を取り入れた。これは明らかに意識的である。関連性がある遊び的な活動で雰囲気と思考を作っていく。これも追試可能である。
 授業場面でもそうしたいくつかの微細な技術があった。
 では、安易に追試してはいけないことは…

 本時のハイライトとも言うべき場面があった。
 二つのゲームをして「どちらのゲームが当たりやすいか」と問うたとき、挙手した全員が「平均で求める」という返答をしたことだ。
 坪田先生にとっては予想外の反応であり、今日のねらいから離れていく返答なのである。
 それでもそのままに計算をさせ、発表させ、板書させ、その方法のまとめをした。
やはりここだと思う。つまり

予想外の答に対してもじっくりと受けとめ、算数的・論理的に処理していく
 
 以前から参観した都度その「禁欲的な姿」に感動を覚えてきたが、結局そこが名人の名人たる所以だと強く感じた。これは坪田先生のキャラクターそして深い教材研究に支えられているからこその対応なのである。
 坪田先生には、子どもが安心して自分の考えを表現できるような言葉かけと表情がある。ずれた返答も認めて今の学習とつなげていく言葉と板書術がある。

「誤答もしっかり時間をとって対応する」…言葉としては美しく正しいが、そのままに真似ようとして撃沈、そして教室混乱という目にあう教員がほとんどと言っていいだろう。
 私でもキャリアを踏み確かな勉強をしていれば、担任している子どもたちとなら可能だろうか…そんな思いもあるが、初めて出会った子どもたちに対してさも当然のように出来てしまうことは、考えてみると驚嘆に値する。

 それを支えているのは、坪田先生がパネルディスカッションの最後に仰った次の言葉にあると得心した。

 子どもの素直さはどこへ行っても変らない

 私の思いと、私が言ったことを受けとめた子どもの思いが違うんだと考えて、次の対応を考える

 そんな子どもに出会うことがおもしろい

夏休みに学校の時間を考える

2007年08月10日 | 雑記帳
 幼稚園や保育所と小学校の連携を考える研修会に参加した。
 県内の先進事例の発表を聴くものである。
 そこでは、幼稚園、小学校の双方の職員が「相互職場体験」ということで5日間(実質的には3日間ということだったが)、日常とは違う施設での業務についたという。

 小学校を体験した幼稚園教諭の発表の冒頭で、プレゼンの画面に次の言葉が映された。

 「時間」って何だろう?

 発表者の紛れもない実感から出た疑問であろう。
 そしてこれは、幼稚園・保育所と小学校の違いを考えるうえで、きわめて典型的なことばである。
 幼稚園にも当然時間的な計画はあるわけだが、それは資料で示されたとおり「日案」といったレベルであり、時間の幅はかなり大きいものだろう。
 それに比べて学校の動きは「日課表」がもとであり、そこに諸々の活動が詰め込まれているという印象を受けるのは当然なのかもしれない。
 施設における教育活動とはいずれ時間の制約をうけるものではあるが、それが明確になるのはやはり「学校」なのだと思う。

 最近「授業時間の弾力化」ということが言われ、45分ではなく60分などの活動も組めるようになっている。そのこと自体は喜ばしいことではあるが、一面時間的な厳しさにかけるのでは…という危惧もある。
 また、総合的な学習の時間が出始めの頃には、子どもの体験の重視ということでじっくりと時間をかけた実践が注目を浴び、いったい何時間あったら終わるんだといったような感想を持ったことがある。

 柔軟な発想に欠けると言われるかもしれないが、学校では、時間を明確にした計画、時間を守った活動こそが基本ではないかと思う。弾力化という言葉でそこを曖昧にはしたくない。教師の都合優先ではないかと思われることもしばしばあった。

 時間を守ることが社会生活を営む基礎になること。
 時間を有効に使うことが生産性を上げること。
 そして、時間は有限であること。
 
 こうしたことを、子どもは学校で学んでいかなければならないと思う。
 と、話が際限なくなってきたが、

 「めりはり」は大事です。時間をもっと多面的にとらえる視点も必要だからです。
 それは、日課表の中にも必要だし、年間の中でも…そのために夏休みがあるようなものです。

食育の前にするべきこと

2007年08月09日 | 雑記帳
 「健康づくりと食教育」をテーマにした分科会で、隣市の栄養士さんが発表したなかに、子供たちへのアンケートのことがあった。
 設問と結果が詳しく資料として提示されてはいなかったが、こんなことを発表者が報告した。

「一人で食べるのが楽しい、と答えた子が5%いました」
 
 一瞬えっと思ったが、対象が中学2年と小学5年だし、親や家族にあれこれ言われて食べるより一人で食べた方がマシだと思う子が5%程度はいるのかもしれないと考えた。
 心の底ではそんなことはないはずなのだが、そう答えてしまう状況はやはり少し悲しい。
 5%という数字がどうかではなく、なんとなくその設問にあった「一人で食べる」という選択肢が悲しい気がする。

 夏休み前のPTAの全体会挨拶で話したことを思い出した。
 その一部を書き起こしてみる。
 食育の前にするべきことがある。

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 今、栄養士のNさんから「食」のお話がありましたが、ふと思い出したことがあります。
 以前、テレビで『王様のレストラン』というドラマをやっていたことがありました。その何回目かで、こんなセリフがあったことを覚えています。

 「人生で大事なことは、何を食べるかではなくて、どこで食べるかだ」
 
 レストランが舞台のお話ですので、そうしたのでしょうが、実はこのセリフはセネカという古代ローマの哲学者のことばのパクリなのです。セネカはこう言ったのでした。

 「人生で大事なことは、何を食べるかではなくて、誰と食べるかだ」
 
 この言葉はよく考えると、「何を、どう食べるか」は「誰と食べるか」である程度大きく左右されるということも含んでいるような気がします。
 都市部では、忙しさにかまけて家族がばらばらに食事をするというような現象も出てきているようです。このことが子どもたちの心にどんな影響をおよぼすのか、本当に心配です。
 
 さて、もうすぐ始まる夏休み、子どもたちの自由な時間がいっぱいあるからこそ、食事は一緒にとるというごくあたりまえのことがリズムをつくるように思います。

 水かけまんま(飯)と漬物だけの昼食であっても、家の人といっしょにがぶがぶ食べている子は心配ないなあと思ったりもします。
 ご家族の方々の協力を得ながら、そういう意味でも健康的な夏休みであってほしいと願っております。

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診察室でのことばが劣る

2007年08月08日 | 雑記帳
 昨日参加した研究会の開会式で挨拶にたった医師は「この地で開業して17年。ずいぶんといろんなことが変わった…たくさんの子どもを診てきて…」という言葉のあとに、こんな一言をもらした。

 「ことばが劣ってきているんではないか」

 それ以上詳しい状況やそう思う理由などは語らなかったが、小児科の医師がそう口にするとはどういうことか。考えてみるに値すると感じた。
「ことばが劣っている」を、診察室の場としての状況で予想してみると、次のことが思い浮かぶ。

○尋ねても反応しなくなった
○尋ねたことに対してうまく受け答えができない
○自分の状態を話すことができない
○話はしても、ポイントがずれている

 子どもが診察室という場で上手に受け答えできるということ自体は難しいはずだが、それでも年々悪くなっていると感じているのだと思う。
 如才なくしゃべるのが今の子どもの印象だが、単純な判断は禁物だ。

 医師が対象とする小児は学齢以下の子が多いと思われる。入学してくる一年生とコミュニケーションがとりづらくなっているという声が、私の周囲でも年々高くなっていることと無関係ではあるまい。

 それまでの「育ち」の中で、ことばの力を身につける場が少なくなっている。情報のあふれている社会で接する言語の量はかなりのものだろうが、それが逆に子どものことばを失わせているのだろうか。
 子どもたちは取り巻く情報に窒息されられていて、自分の見つけたことばを外に出せなくなっているのかもしれない。また、ことばと事象、感覚とのつき合わせをする体験が狭められているのかもしれない。

 向き合ってことばをやりとりする人の重要性を強く感じる。